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他人の目を気にしない 自分に素直になる生き方のすすめ ヨガが気づかせてくれること

他人からどう見られているのか、どう思われているのか。他人の目ばかりが気になって本来自分がしたいことや自分が好きなこと、自分らしさに蓋をして生きづらくなってしまってはいませんか。今回は、人の目を気にしない生き方、考え方について話していきたいと思います。

モーハン:人からどう見られているか、まわりからどう思われているのか、どうしても他人の目って気になってしまいます。様々なコミュニティに属して、人と関係しながら生きていく上では、少なからず他人の目を気にすることって最低限は必要なことだとは思うんですよね。気にしすぎはよくないですけどね。

ヒマギリ:悪いことではないよね。同調や調和を大切にしていく上では、相手のことを思いやる気持ちが必要だし、そうすることで物事が円滑に進むこともある。何事もいき過ぎることなく、バランスが大事。

モーハン:何事もバランスですよね!人の目を気にしすぎてしまうと、誰かに何か言われたらどうしようと、人から批判されることを避けて、自分のしたいことに制限をかけてしまいがちです。

ヒマギリ:無難な選択や行動をすることで安定はするのかもしれないけど、それって、常に我慢している生き方、常に頭で考えて動いていることになる。

モーハン:他人の目を気にしすぎていると、知らないうちに自由ではなくなってしまう、、苦しい生き方ですね。どうにかバランスを取れるといいんですが・・・

ヒマギリ:他人の目を気にしすぎないようにするには「他人を見る目をあらためる」。これに尽きるかな。

モーハン:なるほど、自分が他人をどう見ているかを見直すということですか?

ヒマギリ:そう。他人が自分の鏡であるということに気づく必要がある。例えば、自分の顔にコンプレックスがある人は、無意識のうちに、最初に人の顔を見てしまっているんだよね。自分が他人を見る目をなおしていければ、自分がどう見られているかを気にすることはなくなってくる。

モーハン:人は鏡という言葉にあるように、自分がどう見られているかは自分の行動にすべてうつっているということですね。

ヒマギリ:そう、だからこそ他人にどんどん寛容になっていけるといいよね。他人を優しく見れると、自然と自分も優しく見れるようになる。

モーハン:人からどう見られているかを見直すにあたって、自分にばかり意識が向きがちですが、他人をどう見ていくかをあらためていくというのは意外でした。すぐに実践できそうです!

ヒマギリ:そうやって他人の目を気にしなくなってくると、「流れ」が見えるようになる。自分自身を個人として見ることがなくなってきて、人と人との関係性や全体の空間、ムードを見ていけるようになる。

モーハン:個人の視点ではなく、流れ、関係性、空間、ムードが見れるようになると、自分に素直でありながら、まわりの人や社会とも、自然に同調したり調和をとることができてくるわけですね!早速、取り組んでみます!ちなみに、ヨガの練習でも取り組めることはあるのでしょうか。

ヒマギリ:ヨガでも同じことが起きがちだよね。人とポーズを比べてしまっていたり、人からポーズを見られていると思ってしまう。ヨガのレッスンでは、比べる対象ではなく、合わせる対象として人を見ること。比べることではなく、合わせることにただ必死になること。マットの上で、その練習をする。そうやって、マットから出たあと、社会の全てを合わせる対象として見ていく練習をしていくと、人の間違いやミスにも寛容になって許せるようになる。自然と優しくなっていくはず。

モーハン:ヨガの練習でそこに向き合えるのはありがたいことです!すぐに取り掛かってみたいと思います。ヨガでまわりの人に合わせていく練習、みなさんもぜひUeLのレッスンにきてやってみてください!

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