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第四十一話 売人の日常

16歳の頃の私、自分自身が若かったので、販売する相手も自然と若くなっていた。世代が近いと都合がいい事も多いのだが金は持っていない。

当時の私の収入源はシンナーや薬物の販売であった。覚せい剤は当然だが、大麻も若い世代には金額的にも敷居が高く、シンナーが中心の販売をしていた。

売人の販売方法というと、映画などでは決まった場所に売人がいて、金と薬物の交換をするシーンなどを思い浮かべると思うが、そんなことはあまりなく、ポケベルが鳴り、「○○○ー△△△ー✕✕✕✕」と電話番号が入ってくるのでアパートの固定電話から電話をかけ待ち合わせし販売するというデリバリー方式をとっていた。

私のアパートには常にだれかがいたため、私の外出中にポケベルが鳴っても家に電話をして、ポケベルに入った番号にかけなおしてもらい要件を聞いてもらうことが出来るのだ。販売等も替わりに行ってもらう事もよくあった。何故そんなに協力的だったかというと、私の持っている金や薬、そして周囲に対しての影響力が大きな要因であった。私といればその街では何も怖いものはなかったのだから。

薬物中毒者はほとんど寝ない生活をしているので、こちらも自然と時間が関係ない営業になる。コカイン・覚せい剤の注文もされる場合があり、その場合は上の人に頼んでその分を廻してもらうのだ。そういったタイミングで自分たちがやる分も一緒に頼んで買っていた。業者のようなもので、仕入れ値で手に入るため末端の価格と比べるとだいぶ得を出来るからだった。

テーブルの上では最新式の秤できっちりグラム分けをし、丁寧にパケに分けて入れていく。ひたすら同じ作業を凄い集中力でやり終えた後、パケがきれいに並べられたテーブルの上に無造作にコカインをばら撒く。それぞれが自分の取り分と言わんばかりにカードを使って掻き寄せ細かく刻んで少量ずつ吸引しやすいように仕切る。細い棒等を使って紙をクルッと丸めてそれで一気に吸い上げる。覚醒感が何とも言えない心地よさだ。コカインは効果時間が短いのだが覚醒剤に比べるとマイルドな感じがして私は好きだった。

ポケベルが鳴りシンナーや大麻の注文が続々と入る。届ける時に足に使うのは盗んだ原付が多かった。もし警察などに追われた際に小回りがきくし最悪捨てて逃げてしまえばいいからだった。売人を始めてからは警察のマークもきつくなっていた。私たちは色々と考え、もう20歳になっていたシマザキ先輩に私の隣の部屋を借りてもらいベランダ伝いに出入りできるようにしていた。私の部屋に警察のガサが入ったことは何度もあるが、証拠は何も出てこない。ガサが入りそうなタイミングはなんとなく勘がはたらいて薬物は抜いていたため尿検査でも何も出てこなかった。私は薬物で警察に逮捕されたことは一度もない。自慢することではないのだが、運が良かったとしか言いようがない。客の中には使用・所持でパクられる奴もたくさんいた。私の名前も取り調べのなかで出ていただろうが、証拠がなければ逮捕は出来ないのだ。もっとも未成年だったのでパクられたところで大した事は無いだろうと高をくくっていた部分はあった。

いつも何かの薬物でキマッタ状態で薬物を売りさばく。その辺の若い不良に声をかけしばらくの間安く売り続け、依存症になったところで正規の値段に戻す。それを繰り返していれば顧客はどんどん増えていった。金もありその地域ではちょっとした顔になり、好きな事をして遊ぶ毎日。もっとも薬物中毒になると食欲はなくなるので、やる事と言えば、薬やって、薬売って、毎日違う女とSEXしての繰り返しであった。当時付き合っていた彼女は、私の女癖の悪さに本当に悩んでいたらしい。そんな生活が当時の私の日常であった。

当時の私の日常ですが、今思い返しても毎日同じことの繰り返しだったなと思います。それはそれで楽しかったのですが、何か他に趣味のようなものをやっていれば良かったなと今になって思う事もあります。ここ数回薬物系が続いてしまったので、次回は私の姉の話を書きたいと思います。最初の頃に書いた姉にも、数年たって大きな生活の変化がありました。

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