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第五十話 働くという事

18歳の冬、初めての一人での年越しだった。誰もいない部屋、今のように携帯電話が普及していない時代、静かな時間が流れていた。
一人で部屋にこもりコカインを吸い続ける。薬はまだまだある。多少の金も持っているので仕事は焦る必要はない。そう言い聞かせているうちに日にちだけが過ぎていった。彼女ともしばらく話していない。外の電話BOXまで行くのも面倒なのだ。ただただコカインを吸い続ける日々。

当然そんな日々は長くは続かなかった。思ったよりも早くコカインは無くなってしまった。無くなってからが辛い日々の始まりだった。薬断ちの禁断症状が思っていた以上にきつかった。辛さで泣き叫ぶ、喉がやたらに乾く、誰かに追われているように感じる、全く食欲がない、ひたすらに暴れまわる等々で隣や上の階の住人から苦情が入る。薬を買いに行きたくても知らない土地で売人がどこに居るのかさえ分からない。どうにもならない辛さだった。一人でいると死んでしまいそうだった。彼女に電話をかけると免許を取った彼女は車で東京まで来てくれた。彼女は私といた頃はシンナーが好きでいつも吸っていたが私が飛んだタイミングで止めたらしい。彼女が東京に来て最初は暴れる私に驚いていたが、「落ち着くまで一緒にいてあげる」と言ってくれた。何かの本で見た禁断症状が出た時の対処方法を思い出し、片栗粉を買ってきてそれを鼻から吸ってみたが、やらないよりはマシという程度で大した効果はなかった。

そんな日々が2ヵ月程続き、段々と状態が良くなっていくのを感じた。彼女が付きっきりで側にいてくれたのが大きかった。私一人ではとてもじゃないが無理だったろう。食欲も徐々に出てきて少しの食事なら食べられるようになった。大分落ち着いてきたのを見て、彼女は帰ることになった。彼女が帰る前に姉のところに行って彼女を紹介がてら仕事の話をした。そうすると姉が「仕事見つけてあげるからちょっと待ってな」と言ってくれた。

それから数日が経ち部屋のインターホンが鳴った。誰だろうと思って玄関を開けると姉が立っていた。「仕事紹介してあげるから今から挨拶行くよ」と言った。急いで着替えて姉の後ろを子供のようについていくと小さな工場に着いた。事務所の中に入っていき汚いソファーに腰かけた。すると頭の禿げあがったおじさんが目の前に座り姉と仲が良さそうに話しだした。姉が私をそのおじさんに紹介したので、私は「こんにちは、よろしくお願いします」と小さな声で挨拶をした。「明日から来れる」と聞かれたので「はい」と答えた。帰り道、姉にさっきの工場はどういう知り合いなのか聞くと、禿げたおじさんが社長で、姉の働いているスナックのお客さんらしい。「大事なお客さんなんだから顔潰さないでよね」と笑いながら姉が言った。「わかってるよ、ありがとう」と返した。学校を辞めてから不良の真似事して売人なんてことをやっていたので、私には働いた経験というものがなかった。十代で月に数百万を手にしていた私には地道に働く辛さがまだ分かっていなかった。

翌日の朝遅刻をしないように早めに起き工場へ向かった。事務所にいた社長が私に気がついて工場の中へ案内してくれた。働いている人たちとの挨拶を済ませ、工場の主任という人に「この子のことお願いしますね」と言って社長は事務所に戻っていった。仕事の内容は土木工事に使う重機の整備だ。
キツかった。何年も毎日薬をやり毎晩酒を飲んで過ごしていた身体にはキツすぎた。まだ肌寒い春先だったが滝のように汗が流れた。『こんな事を毎日続けるのか』と気が遠くなる思いだった。朝から汗を流し狭い工場をあっちこっちせわしなく動き回り夕方の6時、やっと一日の仕事が終わった。部屋に戻るとシャワーを浴びてすぐに布団に転がり込んでそのまま寝てしまっていた。働くことがこんなに辛いとは初めて知った一日だった。

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