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誰でも、自分の意見を持っていて良いのです。
誰でも、自分の意見を持っていて良いのです。
だからと言って、私は誰で良いからといって無差別に自由に議論しようとは思いません。
まず喧嘩はしたくないし、教育もしたくないのです。教育というのは、自分で自分を教育する自己教育でしか教育はできないからです。
私はとにかく穏やかに生きていきたいのです。だから闘牛士のように勝手な意見は赤い布でやり過ごしたいのです。
経験的に言えば、多くの人の意見はその
セザンヌとシンディ・シャーマン
このセザンヌの作品には五つの構造があります。《原-芸術》《芸術》《反-芸術》《非-芸術》《無-芸術》です。この重層性を私は評価するのです。
それに対して、シンディ・シャーマンのこの作品は芸術の5つの構造が無くて、たった2層なのです。つまりあるのは《原-芸術》《芸術》です。《反-芸術》も無いのです。だから《非-芸術》も《無-芸術》もありません。セザンヌと比較するとシンディ・シャーマンの芸術構造の薄
言語判定法を使って美術家が書いた公説日本美術史12 原始時代の最後
すでに述べたように、原始段階の人間の精神というのは、《想像界》だけなのです。
今日の人間の多くは、《想像界》しかない人が非常に多くなっているので、現代が原始段階に回帰してしまっていて、それほどに文明のなかに原始人が増大していると言うことが言えます。文明の制度と文明の利器の中に、原始人が生きていると言う、今日の状態です。この現代の原始人というのは、言い換えれば子供です。子供というのは、
【書けること・書けないこと】1/10:《狂気》について
いくつかの重要な認識が溜まってきたので、整理して行こうと思う。
「書けないこと」というのは、一つにはFacebookの当局にひっかかることは、書けない。すでに2度警告を受けていて、3度目はFacebookの使用禁止になるからです。大した事を書いてきたのでは無いですが、書いてはマズイということがあるのです。
もう一つマズイのは、このFacebookの人間関係で、不快に思われることは、書けない。他
【社会の二重性、美術の二重性】
今日のマスメディアは、真実や事実をおおい隠して成立するものになっています。
この構造は、美術に於いても同様です。最近の、デジタルアートの75億円での落札も、表に見えて、作られてきているイメージと、隠されている事実は、違うのです。隠されている事実は、多くあるのですが、その一つが、この作品が、芸術であるかどうかです?
言語判定法を使って美術家が書いた公説日本美術史11 芸術分析について
ここで、私が使っている「芸術分析」というものについて、少し解説をしておきます。
私は、学問という規準にこだわりました。それは哲学者のフッサールを勉強していたと言うことがあって、『厳密な学としての哲学』という著作に感銘を受けたのです。それで、《厳密な学としての芸術》という設定をして、芸術分析をする様になったのが、私なのです。ですので、あくまでも学問としての芸術論なのです。
こうい
言語判定法を使って美術家が書いた公説日本美術史10 縄文式土器
原始時代と言っても、縄文・後期になると、日本人の精神は、《想像界》の一界になります。岩手県には旧石器時代から続く遺跡が残されています。その中の縄文後期の深鉢を見て見ましょう。
・縄文後期 深鉢
岩手県駒板(こまいた)遺跡(軽米町)
縄文を磨り消して磨き、光沢を出す技法
なんで《想像界》があるなどと言えるのかと言えば、縄文後期の土器を言語判定法で測定すると、《想像界》とい
美術には、階級問題があるのです。
高尚な高級美術が、過去の歴史には沢山あるのですが、18世紀この近代以降になると、通俗的な下層美術が台頭してきます。
その意味では、最初は、ゴヤの絵画です。ゴヤは驚くべきすぐれたアーティストなのですが、その中には、下層美術の先駆的というものがあります。
ゴヤはスペインの宮廷画家になっているので、その作品は、高尚であり、超俗的であって、決して通俗ではありません。
『カルロス4世の家族』(1800
堀浩哉氏の回顧展を見ると、驚くほどに、作品が弱い。生命力が10しかない。
回顧展と銘打っていながら、内実が回顧展になっていないことが、1番問題なのです。何しろ私は、大学時代の1967年から54年間付き合って来ているので、おぼえている重要な作品が、全く無いのですね。
大学時代には、ダーカンジェロというアメリカのポップ・アーティストの模倣作品的な作品をを作っていたのですから、それから出して欲しかったです。
アラン・ダーカンジェロの作品。1930年アメリカに生まれる。19
【今日の様々なアート】5−7
5、浅井忠の水彩画
浅井忠は、今日まで続く日本洋画の先駆者です。
浅井忠の水彩画は、東京国立博物館が持っていて、私は見に行って、見入りました。
これも いわさきちひろのような【作品密度1】の淡い作品ですが、いわさきが想像界だけなのにたいして、浅井は《想像界》《象徴界》の2界があるので《芸術》が成立しています。
【今日の様々なアート】1-4
今日の芸術、あるいはアートは、多様なものになっています。あまり難しくしないで、行き当たりばったりで、あげてみます。
まずは子供の絵です。
1975年以前は、子供の絵を、芸術とは言いませんでした。
芸術分析では、子供の絵は、《想像界》もなくて、《狂気》もなくて、しかし《原-想像界》はあって、そして《原デザイン》性はあります。
しかし1975年以降になると