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キリコとラウシェンバーグ


このキリコの作品は好きな人が多いが、キリコが優れた芸術構造をもっているアーティストである事に気がついている人は少ないのかもしれないと思う。

この一番人気の作品にしても、遠近画法のレトロ的なイメージと、子供の輪回しという童話性に惹かれている人が多いいのだろうと思う。しかし芸術が成立しているのですよ。

《原-芸術》《芸術》《反-芸術》《非-芸術》《無-芸術》という5段階の芸術構造が全て成立している。

言い方を変えれば、芸術とは何であるかがわかっていれば、芸術を全て成立させる事は難しくは無い。 

しかし多くの自称アーティストというのは、独我論に落ち込んでいて《芸術》が何であるかを知らないのである。自分を捨てれば良いのだが、自分を大切にして唯我状態で恍惚とするために《芸術》を捨てるのです。


さて、もう一人のアーティストと比較すると、アメリカのラウシェンバーグの代表作『モノグラム』なのだが、これの芸術構造は、どうなっているのだろうか。1950年代のラウシェンバーグというのは天才を絵に描いたような凄いアーティストであったとだが。

普通に考えれば《反-芸術》の代表作であるはずなのだが、私の言語判定法で見る限り、あるのは《芸術》だけの単構造であって、《非-芸術》も《無-芸術》も無いばかりか、《原-芸術》も無い。5段階のうちの《芸術》の一つしかないのです。

キリコと、比較してみると、ラウシェンバーグの作品が薄いことが分かるのだが。

ラウシェンバーグの革新性を高く評価する気持ちは分かるが、しかし1960年代の半ば、あるいは後半から自己模倣の連続になってしまって、ラウシェンバーグの作品は退屈きわまりないものになる。

ラウシェンバーグの革新性の逆に、キリコは過去に回帰する反動作家として否定する事は、少なくとも理論的には可能なのだが、現実のキリコの大回顧展をミラノまで行って私は見たのだが、その壮絶までの絵画の探求は素晴らしかった。少なくともラウシェンバーグの様な退屈さは無かったのです。


2. すみません、最初の記事ですが、アップしてから、マガジンの設定でトラブって、記事を消してしまいました。そこで再度書いたのですが、内容が加筆されて膨らみました。ですので、買ってくださった、狩野さん、記事を再度読んでくださるようにお願いします。