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『私の好きな美術作品』クルト・シュヴィッタース


クルト・シュヴィッタース『アンドピクチャー 』(原題: The Undbild)1919年

 このダダイストであったシュビッタースの作品には五つの構造があります。《原-芸術》《芸術》《反-芸術》《非-芸術》《無-芸術》です。

 ダダイストであるにもかかわらず、芸術のこの5重層性があることを、を私は評価するのです。

 つまり、ダダというのを反芸術であるとする美術史の常識から見ると、シュビッタースの場合には逆で、《新芸術運動》のアーティストと見た方が良いところがあるのです。

ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』1784年

つまり《新古典主義》のダビッドやアングルと似ているアーティストなのですが、《新古典主義》は過去を見ていてレトロ主義なのですが、シュビッタースは、未来を見ていて、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもので、20世紀初頭にイタリアを中心として起こった未来派の前衛芸術運動に似ていて、これが繰り返されてドイツで再燃したのがシュビッタースであったのです。

クルト・シュヴィッタース(1887~1948年)

  この未来派の運動は文学、美術、建築、音楽と広範な分野で展開されたのですが、シュビッタースにおいても絵画以外にも詩、音響、彫刻、グラフィックデザイン、タイポグラフィ、パフォーマンスなど様々な手法を用いて活動したのです。

シュヴィッターズ『メルツバウ』(1933年)

 アメリカのネオダダ運動を展開したジャスパージョーンズと、ラウシェンバーグ、この二人は、シュビッタースの作品に影響を受けています。シュビッタースの廃物の寄せ集めであるメルツ絵画は「サイコロジカル・コラージュ」と呼ばれた。作品の多くはファウンド・オブジェの断片を利用して、シュヴィッタースの周囲の環境と密着した芸術的感覚を作り出するものだった。これらの断片は現在の出来事に対して、機知に富んだ暗示を示すものだったのです。グラフィックデザインのテストプリント、バスのチケット、新聞紙、友人から一言、などシュヴィッタースの自伝的要素も豊富に見られました。のちのポップ・アートの先駆けともいえ、インスタレーションの先駆けともなったのです。

シュヴィッタースの生涯の親友でパトロンでもあったアメリカ人キャサリン・ドライアーの助力により、1920年以後にはアメリカ合衆国でも継続的に個展を開いています。

 第二次世界大戦戦、友人の女性作家ケッテ・スタイニッツ(Käte Steinitz)は移住先のアメリカからシュヴィッタースに手紙を送り始めました。彼女は手紙の中でアメリカの消費社会の勃興を詳述し、新世界の息吹を伝えるアメリカン・コミックスのページに手紙を包んだのです、の彼女はこのエフェメラを用いた「メルツ」を作るよう励ましたが、この結果1947年に、ポップアートに先行するポップカルチャーを用いた絵画、『For Käte』(ケッテへ)などが制作されたのです 。

シュヴィッターズ『ケッテへ』1947年

 このシュヴィッタースの最晩年の作品を見ても、《芸術》は成立していて、《原-芸術》《芸術》《反-芸術》《非-芸術》《無-芸術》の5段階があるのです。すごいアーティストであります。

シュヴィッタースの「メルツ芸術」は、絵具とキャンバスを用いた伝統的な芸術の範疇を超えるものでした。

 シュヴィッタースの「メルツ芸術」は、戦後の現代美術の中で広く受け入れられるようになったのです。戦後から現在まで、ネオダダや、フルクサス、ジャンク・アート、ハプニング、ポップアート、コンセプチュアル・アート、などに関わった多くの芸術家が、シュヴィッタースから大きな影響を受けたことを語っています。

その他、ミュージシャンの中にもシュヴィッタースやその作品から影響を受けた人々が多くいます。ブライアン・イーノは1977年のアルバム『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』に収録されている曲「Kurt's Rejoinder」の中でシュヴィッタースの『ウルソナタ』の録音をサンプリングしています。

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ジャスパー・ジョーンズ


ジャスパー・ジョーンズ『国旗』1954~1955年
ジャスパー・ジョーンズ『3つの国旗』1958年

それに対して、ジャスパー・ジョーンズのこの星条旗の作品は、シュヴィッタースが重視した芸術の5つの構造が全く無くて、ゼロ層なのです。つまりあるのは《原-想像界》《想像界》です。芸術では無くて、デザインなのです。ジャスパー・ジョーンズはアーティストでは無くて、デザイナーなのです。

 《反-想像界》も無いのです。だから《非-想像界》も《無-想像界》もありません。芸時ではなくて、古典デザインとでもいう作品がこの星条旗の作品なのです。《反-芸術》がないということは、このアメリカの反芸術運動と言う美術史は嘘であって、《反-芸術》が成立していないのです。

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 アメリカのネオダダの運動は、ジャスパー・ジョーンズとラウシェンバーグの、ゲイカップルであったと見られる二人を中心に展開した芸術運動でした。

 つまり今日的なLGBT(エルジービーティー)というのは、レズビアン (Lesbian)、ゲイ (Gay)、バイセクシュアル (Bisexual) の3つの性的指向と、トランスジェンダー (Transgender)のジェンダー・アイデンティティ(性自認・性同一性)の頭文字を組み合わせた頭字語であり、特定の性的少数者を包括的に指す総称であるのですが、ただの頭字語ではなく、政治的連帯を示しているのが今日の状況です。

 つまりネオダダの運動と言うのは、この今日的な性的少数者のLGBTな流れの先駆的なものであったのです。そういう性的少数者という意味が、反芸術運動というものと重なっていた可能性があるかもしれません。

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それは第二次世界大戦後でありまして、ジャスパー・ジョーンズは1954年から1954年頃から、国旗、数字、標的などを題材にした絵画を発表し始めました。

ラウシェンバーグ『モノグラム』(自立型コンバイン)1955~1959 年。

一方のラウシェンバーグは、1951年頃から作品を画廊で発表し、1954年頃から「コンバイン・ペインティング」と呼ばれる一連の作品を発表し始める。

 1958年には親交のあったジャスパー・ジョーンズと同じくニューヨークの画商レオ・キャステリ(英語版)の画廊で個展を開き、やがてヨーロッパにも出品されて人気を呼んだのです。この人気の裏には、シュヴィッタースの「メルツ絵画」の作って来た広がりがあったのです。

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と言うわけで、シュヴィッタースの「メルツ絵画」の継承者であるということと、ゲイ (Gay)のカップルという面で、人気が出で、半谷術運動として脚光をあびたのは理解出来るのですが、しかし、私に違和感があるのは、シュヴィッタースの作品が芸術の5重奏の構造を持っていたのに対して、この芸術重構造が失われたものとして、しかも反芸術も無い、アメリカの反芸術運動の輝きが、インチキに見えるところなのです。

シュヴィッタースの優れた芸術構造は分かりにくく、そしてインチキなアメリカの反芸術運動の二人は分かりやすく輝いたのです。

2. すみません、最初の記事ですが、アップしてから、マガジンの設定でトラブって、記事を消してしまいました。そこで再度書いたのですが、内容が加筆されて膨らみました。ですので、買ってくださった、狩野さん、記事を再度読んでくださるようにお願いします。