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Twitter。 尊大な承認欲求、臆病な自己顕示欲

中国在住私氏、2020年3月上旬香港より日本で飛び帰り、18日間に渡る理不尽な強制隔離により心身共に深いダメージを受け、外との交流を求めた私は”ひきこもりん”というtwitterアカウントを始めました。

以前より匿名鍵アカウントを所有していた私は、リプライしたい、絡んでみたいと思いながらモゾモゾしていました。

中国ビジネスや在住の方とただのんびり絡む為に始めたtwitter、自分としては想像していなかった勢いでフォロワー数が増加していき、困惑すると共に承認欲求が満たされていく事、そして身の内から自己顕示欲が湧き上がっていくのを感じてきました。

とはいえ、最新テックに強い訳でも、情報収集・展開が得意な訳でも、深センに精通している訳でも、写真を撮るのがうまい訳でもない私は、引き続きのんびりTwitterで皆様にクソリプを飛ばし続けますので、皆様からも暖かいクソリプが届く事を楽しみにしております。

タイトルは無理やり作っただけなので特に意味はなかったのですが、中島敦さんの『山月記』に改めて目を通したらまるで混沌としたTwitterの世界だなと感じました。

いつまでも驕り高ぶらず、勉強や筋トレや料理や筋トレを続け、素直な気持ちでツイートをして、また他の方のツイートからいろいろな事を学び取りたいと思います。

山月記の有名な場面の中国語訳があったので、中国語の分かる方は是非読んでみて下さい。


當我是人的時候,我避開了和人的交往,使每個人覺得我驕傲、自大。其實,大家不知道那是羞恥心作祟。當然了,曾是鄉里才子的我,不能說沒有自尊心,但那是怯懦的自尊心。
我想成就詩名,卻不拜師學習、又不願和詩友切磋琢磨,堅決不與俗物為伍,而這完全是我軟弱的自尊心和自大的羞恥心造成的。我既憂慮自己不是珠玉,卻又不願刻苦磨礪,另一方面,以為自己或可琢磨成玉,所以,不屑和平庸的瓦片為伍。
我逐漸遠離世間,疏遠人事,憤懣和羞慚慢慢的飼肥了內心瘦弱的自尊心。各人的性情就像野獸,每個人都是自己的馴獸獅。我的猛獸就是自大的羞恥心,是老虎。

人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。己おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもんと慙恚ざんいとによって益々ますます己おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

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