25歳の男です。 人見知りです。 初対面の人とは仲良くできるけど、 今後会いそうな人とは、悪く思われたくないので、緊張して会話が弾みにくいです。 友達が二人しかいません。 狭く、深くがモットーですが、あまりにもです。 自分と近い感覚がある人をすぐに好きになります。 でも違うところを見つけてしまうと、感情が冷めてしまいます。 恋人はいません。 周りの人からは難しいから、付き合う子がかわいそうと言われます。 過去を思い返すと、心当たりがあります。 感情を口にするのは苦手
大丈夫、理不尽な大人と相対しても大丈夫。 毎日生きる意味とか存在意義なんてずっと考えている俺は大丈夫。 さぞかし毎日が楽しそうに生きているあの人達や、 理不尽な大人達でも、 答えを出さずに、うやむやにしている問題に真摯に取り組んでる。 大丈夫、大丈夫。
何連勤かした、次の日が休みの日の夜=24時間+αのαは幸せでいたい
小学生の頃を振り返る 僕の小学校には「はまっこ」というシステムがあった 所謂学童みたいなもので学校の授業が終わった後、17時くらいまで学校の中で遊べるシステム よく体育館でキックベースをやったり、校庭でサッカーをしたりしていた 普段は教室として使っている一つの部屋を放課後は「はまっこ」専用として利用できて、ドンジャラやトランプもできた 僕はよく「はまっこ」に通っていた 「はまっこ」には学童の先生のような人達もちゃんといて、恐らく地域のボランティアの人やPTAの人た
一昨年から前厄に入って、占いやおみくじ、周りの人達に素直になりなさいと今もなお言われ続けている それが鬱陶しくもあったし、今の自分に嘘をついて生きてはいないので、素直に生きていると思ってるけど流石に言われすぎると素直になるって何なのか気になる しかも占いによると、素直になれば、周りの人からも好意を持たれたり、仕事も上手くいくらしい 素直の意味を調べると、逆の内容で当てはまる事が多かったので素直じゃないのは理解できた 今の自分に至るまで、 「カッコつける」「 見栄を張る
小学生の頃を振り返る 僕の母親は、 一般家庭の両親が持つ家族愛の総量を 1人で持っているような人で、 良い母親で居ようとしてくれていた その上母方の祖母は自分のパートナーに尽くす人だったので、母親や僕らには介入してくることは無かったし、そもそも片親なので、 仕事に育児に追われる日々だった 母は僕らに尽くす事を怠らなかったので、 自分の時間は極端に少なく、趣味なども無かった さらに自分だけ何かを得たり、自分だけいい思いをする事が性格的に出来ない為、 自分の欲しいものだけ
小学生の頃を振り返る 小学生の時に「おんず」と言われていた 「おんず」は「女好き」の略称で、一個上のカス野郎に言われていた 小学生の自分は女の子としか喋らない訳でもなく、今のひん曲がった性格からは想像がつかないほど活発で、誰彼関係なく話していた そもそも小学生よりも以前に女性を「女性」とちゃんと認識した上で話したり、遊んだりはしていなかったので、小学生になってからも「男性」「女性」と区別して、人と関わるようなことはしていなかった なのに「おんず」と呼ばれていた 自分
ドラマとかアニメ、映画を見るとたまに自分と性格とか境遇、考え方が似ている人物を発見する。 その際にその人物に感情移入をして、物語に入り込む瞬間がある。 ここまでは周りの人と話していても、「そういうのあるよね〜」で終わるのだけども、 僕は感情移入をした人物が物語上、好転していくのを見るとすごくげんなりする。 そもそもドラマやアニメ、映画などは人間のドロっとした気持ちの悪い感情をそのままにはせず、どこかへ吐き出したり、それが昇華されていき、終わりを迎えると思うので、お門違
『ここには悲哀が漂っている 薄明かりで灯った目には世間が流れているのだ それは街には収まらない衝動と 鬱屈した日々に気を吐く唯一の道具だ 誰々やあれそれなど特定できないものに 流されまいと保つ自分の心を ないものとされ、ここを選ばざるを得ない 今でこそ、ここは聖域とされ、 テリトリーとして考える者もいるが、 本来は所構わず、行えていた 排斥されていった我々の通念は 煙になって消えていくのだろうか 我々の言葉にはその者の生きてきた匂いが混ざり、アイデンティティを確立し
かっこつける その1 ・流行りの音楽を聞かない 移り変わりが激しい流行の波に乗らない、動じない自分がかっこいいと思っている(※1) 【メリット】 ・会話の中で流行りの音楽の話題があったとしても、その話題には入っていけないので、愛想笑いや作り笑顔が上手くなる(※2) ・万が一話題を振られたとしても、話す内容がない為、変な間を作り、ミステリアスな人だと演出ができる 【デメリット】 ・なんか周りを変な空気にする ・あえて感が先走りすぎて、ミステリアスじゃなくてなんかきもい ※
だるい、風邪、病院、高齢者、カート、マリオ、ゲーム実況、狩野英孝、神主、神社、お参り、年始、お餅、白い、雪、エルサ、籠る、部屋、ベッド、寝る、起きる、結局だるい
サボる、サボタージュ、フランス語、パリ、 パン、コーヒー、張り込み、刑事、パトランプ、チバリヨ、沖縄、SPEED、4人組、西遊記、沙悟浄、河童、相撲、朝青龍、サッカー、ロナウジーニョ、ドレッド、ボブマーリー、マリファナ、ラッパー、タトゥー、Mステ、タモリさん、笑っていいとも!、お昼、休憩、足りない、結局サボる。
なんも変わってない。 小さい時から。 お前らだよ。 変わったのは。 しかもこっちはお前らが変わった事に対して全くネガティブに捉えてないのに、なんでお前らはネガティブに捉えるんだよ。 トントンじゃねぇだろそれは。
夢とか目標とかあるけど、そこのスタートラインにもいない。 というかそのスタートラインすら遠すぎて見えない。 『誰にでもチャンスはある』 『努力は裏切らない』 くそくらえ。 そんな言葉この世から消えろ。 そんな言葉があるから、生きづらい。
『腐っても鯛』でも腐ってるなら誰も食べない。
心がコップだとして、 疲れや悲しさなどのマイナスな感情を 水だとするなら、 コップに水がひたひたの状態は 心が限界を迎えているのだろうか。 「心が疲れた」 この言葉は被害者意識を持っている気がする 身体の痛みはある程度想像することができる。 腹痛、頭痛や骨折、捻挫など、 ある程度の人間は何か当てはまったことがあるはずだから、痛みに対して具体的にどう痛いか理解することができると思う。 また身体の疲れも同様に、 想像する事が簡単だろうと思う。 だが、心は人によって違うので