【オーダーメイド物語】旅する花追人の小さな事件簿
その日、同郷の友人が旅先から送ってくれた手紙には、千年に一度しか咲かない《翡翠月華》の開花日と場所が予言されていた。
それを知ったが最後、居ても立ってもいられずに、愛用の鞄ひとつを携えて雪狐の森から臨時の天空馬車に飛び乗っていた。
あふれる好奇心と探求心は抑えきれない。
森とともに生きる《花追人》の――植物の朝露に宿る特異なる《色彩》を採取するという使命を帯びる者の、コレはどうしようもない性分である。
そして、この性分を友人は十分に理解してくれていた。
手紙にはちゃんと、天空馬車のチケット予約まで手配されていたのだから。
*
情報を基に降り立ったのは、一年の半分以上が雪に埋もれるこちらの森とは正反対の、水が凍ることを知らない宝玉の城下町だ。
いたるところに真珠やオパールの可憐な花々が咲き乱れ、いつにもまして華やいでいる。どうやら婚礼間近の恋人たちがいるようだ。
しかし、気のせいだろうか。
ふと風に乗って薄氷色の香りが鼻先をくすぐるのだ。
芽吹きの華月期から、まもなく生命が燃え盛る炎月期へ入る時期だというのに、なぜ季節が逆戻りするような冷たい香りがしているのだろうか。
あたりを見回すけれど、ちらちらとこちらを伺う愛らしくも小さな気配が見え隠れするだけだ。
なるほど、これはミステリーだ。
ふむ、とひとつ頷いて、鞄から一枚のカードを取り出す。
雪狐の森でしか採れない《時渡りの琥珀》で作り上げたカードを空にかざせば、その表面に、植物の色彩と記憶によって描かれる《過去未来現在の時を超えた絵》が浮かび上がった。
「瑠璃の野茨でできた檻に……囚われているのはローズクオーツのアネモネの花冠……ふむ?」
見えるキーワードは、幸福、孤独、恋の傷、真実、期待。
声に出して呟けば、隠れていた気配たちがざわめき、ついに、グリーントパーズの三角帽子をかぶった小人たちがぴょこぴょこわらわらとやってきた。
「……もしや、あなたは《花追人》さまですか?」
頷けば、彼らの表情に期待という名の光がぱぁっとあふれる。
「姫さまを、われらが姫さまを助けてください」
森の番を担う冬オオカミの、その子どもたちみたいな瞳に見上げられ、断れるはずがなかった。
もちろん、初めから断るつもりもなかった。
…*…
小人たちに案内されたのは、豪華絢爛にして透明度の高い宝玉の花々に囲まれた城であり、その広すぎる敷地の奥にある広すぎる庭園だった。
「姫さまはあそこに……もう三晩もアレに閉じ込められているのです」
凍えるような瑠璃の野茨の鳥籠がそこにはあった。
あどけなさの残る少女の指先に刺さる、抜けない小さな青い棘。
枷のように足首に絡む、繊細な群青の野茨たち。
喪失と後悔に彩られた檻のなかで、頭上に冠をいただく少女がほとほとと涙をこぼしている。
彼女の足元には、猛禽類の爪のように鋭い花弁が野茨に紛れていくつも落ちていた。
この光景には覚えがあった。
「……なるほど、翡翠月華の開花に巻き込まれたらしい」
友人の告げた開花時期。
千年に一度咲く美しい花は、見るものを虜にするほどの豊潤なる姿を持ち、その香りは開花直前にもっとも芳しく魅惑的となる。
けれど、《花追人》たちは知っている。
美しい花には棘があり、毒があり、そうしていくばくかの呪と共生関係にあるのだと。
さて、友人はどこまでを見通して手紙をくれたのだろう。千里眼は持っていないはずだけれど。
心の中で小さく首を傾げつつ、けれど、為すべきことは決まっている。
「はじめまして、お姫さま。私は雪狐の森から来た《花追人》の――」
目線を合わせるように膝をつき、名乗りとともに微笑めば、
「……こんなわたくしを、助けに?」
少女はうるんだ瞳を伏せて、小さく小さく呟いた。
「わたくしの半分は……夢の隙間からすべり落ちてしまったわ。そうして目を覚ましたら、瑠璃の野茨に閉じ込められていて、身動きも取れなくて……そんなわたくしなのに……」
「ええ。もしもあなたが望むなら」
不安げに、けれど期待に満ちた小人たちの視線を背に受けながら、ソレとはまるで無関係とばかりに少女自身に向けてそっと優しく言葉を紡ぐ。
「あなたが、切り離された自分の“半分”を取り戻したいと願うなら」
いまもなお彼女の心が、体が、魂が、翡翠の花びらとなって消えていくのを目で追えた。あの花は、悲嘆や痛みを糧にする。
「手伝うよ。植物とその呪に関わることならね、こちらは専門家といってもいい」
「……、……はい」
一瞬というには少し長めの逡巡の後、彼女は確かにうなずいた。
「わかった。それじゃあ、花追人としての仕事をしよう」
琥珀のカードを自分と少女の間にかざし、深呼吸。そして、問う。
「さて、あなたには、いま“ここ”に“何”が視えるかな?」
彼女はそれを口にする、その瞬間、カードから無数の花びらがあふれ、景色を塗り替える。
自分と少女だけを取り込むように、山吹や紅葉、新緑、露草といった色調のやわらかく暖かく不可思議な絵画の世界へと導いた。
ここから先は《心》の旅だ。
何人も不用意に触れることも、不用意に踏み込むことも、不用意に口外することも許されない、絶対的秘密の、自分と少女のふたりきりの解呪と自分探しの旅となる。
「なるほど、あなたはそれが気になるんだね」
「それはなんて言っているのかな?」
「それを聞いてどう思った?」
「いまのあなたなら何て声をかける?」
花追人は、紡ぐ言葉に力を乗せることができる、と言われている。
乾いた魂へと恵みの雨を降らせ、暖かなよう異なって胸に巣食う魔を払う、とも。
表現そのものはずいぶんと仰々しく物々しい。
しかし、やっていることはたぶん、自分が認識する限りにおいては『会話』あるいは『対話』なのだ。
植物の色で染め上げた絵画の中を旅しながら、こぼれ落ちて閉じ込められて見失っていた《半身》を、彼女は、ひとつひとつゆっくりと見つけ、拾い上げ、解放していく。
その過程で気づいたことは、少女の秘めたる恋心、儚い想い、すれ違いの悲しみ。
そういえば街をあげるほどの婚礼が間近だ。それは誰のものなのか。華やかな祝い事の裏側で揺れた心は誰のものなのか。
翡翠月華はおそらく、受け止めきれずにあふれたその想いを《野茨の鳥籠》へ変えてみせたのだろう。
「……さて、あなたの探しものは見つかったかな?」
「はい」
花がほころぶように、少女はその顔に涙と笑みを浮かべた瞬間、現実世界の瑠璃の鳥籠もするりと綺麗にほどけて消えた。
翡翠月華――翡翠より生まれしこの世ならざる幻影。いずこからともなく不意に現れ、咲き誇るその花の所在は、探すまでもなく判明している。
今宵の採取を楽しみに、少女と小人たちに請われるままに、ひと時を城で過ごすことにした。
明日には、琥珀のカードに新たな《彩》が増え、映す世界が増えるだろう。
そして宝玉の街の真の美しさと楽しさも、きっと明日は新たに知り合った彼女らとともに心から楽しめる。
そんな予感に、ふわりと心が浮き立った。
了
***
◆オーダーメイド物語
あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語
▶︎ご依頼内容:
完全おまかせであり、書き手が自由に発想した物語を、とのオーダーにてお届けした物語となります。Facebookやブログ、実際にお会いした時の印象などを醸造し、作成させていただきました。
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