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あの時、もっと大事にすべきだったのは「退屈な時間」

前に進まない、楽しくない、ときめきが足りない。

あーなんか退屈。

けれど、実はこれを「幸せ」と呼ぶんじゃないかと、さっきシャワーを浴びていて突然思いついたわけだった。

心を動かしてくれるものを探し続けなくてもいい。

退屈な時間は、落ち込んでいるわけでもなく、何かを必死に追いかけているわけでもない。ただなんとなく、気の流れを感じられない、持て余す時間。

満たされずに生き急ぐ系のわたしとしては、この退屈な状況はむしろ貴重なものだったことに気づく。


今日、浴室に足を踏み入れるまでは、前に進めない時間は空虚で、一秒でも早く何者かになりたかったわたしは、「この時間をなんとかしなくちゃ!」と思っていた。

今までを振り返ってみると、退屈を楽しめていたら、欲しかったものをもっと早くに手に入れることができたかもしれない瞬間がたくさんある。

101歳のおばあちゃんに長生きのコツを聞いたら「流れに逆らわないこと」と言っていた。ああ、逆らいまくってきたな、と。

逃したものの多さで言えば、いちばんは恋愛。

突き詰めれば、そんなに焦って何を叶えたかったのかも分かっていなかったんだろう。逆に言えば、焦っていたから、本当の願いを度々見失っていたのかもしれない。

大まかな願いとしては、彼と幸せになることで。それは、未来でしか叶わないことだと思っていた。

ぞんざいに扱ってきた退屈な時間には、実は何もかもが手に入っていて、心もフラットで、唯一ほっとできる時間であったのに。

そして、彼から連絡が来なくなるのは決まって、そんな時間を大切にできなかった直後なのだ。

相手が少しでも離れていくと感じると、「わたしが彼との時間を大事にしていなかったからだ」と、精一杯の愛情を注げなかったことを後悔した。

嫌いだと思う瞬間はあってもいいけれど、おとといにも昨日にも比べて代わり映えしない彼を、わたしが退屈な時間を楽しめないせいで、つまらない存在だと思うことだけは、もう決してしないと決めた。


***


会いたい人に会えない時間が長い今だけれど、退屈を無理やりどうにかしようとしなくていい。

刺激も爆笑もないかもしれないけれど、変わらずにつながっていてくれる人たちとの平凡なやり取りを、ただ愛しく見つめていたい。







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