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あー、楽しかった

なめんなバカ。


これは失敬。


取り乱してしまった。


というのも、今日、
ものすごく引っ掛かる言葉を投げかけられた。


正確に言うと、投げかけた、というより
なんとなく吐き出した、という感じなんだけど。


僕は、教育学部に所属している。


で、今日
中等教育のなんとか、っていう授業があった。


この授業、先生もすごい大好きなんだけど、
今日の授業は僕の心がトゲトゲした。


授業中、
教材として研究授業の動画を見た。


小学生の大造じいさんとガンの授業で、
最後に「この物語からあなたはどんな教訓を得たか」
「この物語を受けてあなたはどう生き方を変えるか」
的な発問がなされた。


気持ち悪い。


気持ち悪すぎる。


そんなの国語じゃなくて道徳だ。


結局、読書感想文とかにも共通するけど、
「この教材であなたがどう変わったか」を
教師が聞くのって、自分の授業が
児童の人生を変えたことを認識して
自分の影響力を感じて酔って
自己満足してるだけだろ、って思うから。


で、問題はさらに続く。


この後先生が、授業終盤で言ったのは
「あー楽しかったっていう浅いものではなく、
 この物語が自分をどう変えるかっていう深い授業に
 したいですよね。」っていう。


ばーか。


ばーか。


ばーか。


まずな、言わせてもらうけど、
「この物語を読んで自分の生活に生かしたいこと」
なんてのはな、脳の浅っさいところで考えれば
書けるんだよ。


教師の下の立場にいる子供からすれば
「道徳的」なことの答えは一つだろ。


いわゆる「良い」子になればいいんだから。


で、だよ。


で。


「あー楽しかった」が浅いだと?


ばか。


受け取りてからの「あー楽しかった」
を引き出すのに、どれだけの大人が
汗と涙を流して人生をかけてると思ってんだ。


小説、漫画、映画、舞台、音楽。


これらを見て、受け手が
「あー楽しかった」と言う。


これがどれだけと尊くて
素晴らしいことか。


つまらない学校生活の中で、
教科書で読んだ物語に
「あー楽しかった」と思えたら、
万万歳ではないか。


読む前はちょっと難しそうだと思っていたものを
時間をかけて授業で読んでいったら、
「あー楽しかった」と思える。


その子の人生にとって、
大切な経験ではないか。


僕は、エンターテイメントが大好きだ。


ミュージカルや落語、講談、深夜ラジオ。


これを、本質的に楽しむ。
深く楽しむ。そして感動する。


これができる僕は、自分で言うのもなんだが
凄いと思う。


作品の背景知識、歴史的状況、
そして作者に関すること。


作品の見方、音楽、照明、
人生観。


全てを集約して初めて
「あー楽しかった」は生まれるのだ。


エンターテイメントを楽しむというのは、
無下にはできないと、僕は思うのだ。


寄席でも行って帰ろうかな。


「あー楽しかった」と思うため”だけ”に。

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