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カナダ留学(後編)

季節は変わり真冬になり
最低気温マイナス20度。

家の中は半袖で過ごせるくらい
めっちゃ暑いのに
外出て息吸った瞬間
肺が一気に凍る感じで苦しくて苦しくて。

毎日外出るときの最初の呼吸が恐怖でした。
でも、
寒くたって大雪が降ったって
お洒落はしたいんです。

ミニスカートにニーハイブーツで信号待ちしており、
渡っている途中見知らぬ男性
「You are crazy」と通りぎわに一言。

翌日学校でcrazy って言われたんだけど
なぜだろう?と友達と話ていたところ、

「I think so too」と。
友達はみんな私のこと前から
crazyと思っていたみたいです。

海外の人は本音を言ってくれるから楽ではあったのですが、
当時の私は、
自分がcrazyだとは1ミリも思っていませんでした。

なぜcrazyかと言うと、
寒いのにミニスカート、
露出多め、
発言や行動がおかしい、
毎日よくお酒を呑むなど。

こっちの人はお洒落より防寒!
足なんてだしてたら凍死してしまうと。

あんな格好で酔いつぶれて
外で寝てたら死ぬと思います。

でもこれが私だ。
という思いでそのスタイルを変えることはありませんでした。


ある日、いつも行っている図書館に勉強しに。

前から何回かその図書館で会っていた
めっちゃカッコイイ男性がいたのですが
なかなか声かけることはできずにいたのです。

その日も男性がいたのですが、
目も合わせられず勉強していた所、
なんとその男性が声かけてきたのです!

もうびっくり!
嬉しいのと恥ずかしいのと
ちゃんと会話できるのだろうかという不安な気持ちでした。

でも優しくゆっくりと話てくれ
なんとか会話することができました。

楽しい時間でした。
連絡交換しまた会うことに!

それからは今まで以上に楽しい毎日を過ごしていました。

何回かご飯も行き
彼のことを少しずつ知ることができました。

彼はドバイ人で、
ご両親がカナダで仕事をしているため、
カナダで産まれ育っていました。

だから英語も綺麗な発音で
カナダのことは詳しかったです。
なので英語や、
カナダのことなど色々教えてくれました。

そして告白され付き合うことに。

彼の仕事と
私の学校の休みを合わせて
バンフへ旅行に行くことに。

バンフは私の大好きな場所だったので
すごく嬉しかったのと
またあの綺麗な景色が見れる!
そして大好きな彼との旅行で
ウキウキしてました。

当日彼が車で家まで迎えにきてくれ、出発!!

事前に彼が飲み物とピザを買ってきてくれ
車の中で食べながら
あーでもないこーでもないと
ずっと会話していました。

途中彼がタバコを吸ってもいいかと聞かれ

Yesと。

そのあと何故だか
窓を全部閉められ、
不思議と思いながら彼のほうをみると

吸う?と聞かれNO

そのまま箱から
タバコとは違うなにかを出し始め
それを吸い始めました。

それはなにかを聞くと大麻だと。

一気に恐怖に陥りました。
たしかにカナダでは麻薬は
合法なのもありましたが
日本だとダメだし、
それに私看護師だったから薬の怖さも知ってるし、
麻薬依存患者さんも何人もみてきて怖い思いをしていました。

窓を開けたいが
ロックかかってるし、
私はこのまま無理やり薬を飲まされたりするのだろうか?

もう恐怖で震え上がっていました。

もう今すぐに飛び出したい気持ちでしたが
もう真っ暗だし、
山道だから誰もいないし。

飛び出したところで
違う人や動物に殺されてしまうかもしれない、
でも彼と一緒にいても
薬を飲まされてしまうかもしれない。

そんなパニック状態の頭で、
少し走りホテルに到着。

あー帰りたい。
日本に帰りたい。

そんな気持ちでいっぱいでした。
部屋に入りキスされて押し倒され。
正直そんな気分じゃないし、
全然ドキドキしない。
むしろバクバク。

違った意味で心臓バクバクです。
もう、マグロ状態です。
そこからは覚えてないんです。
たぶん気を失ってしまったんでしょうね。
気づいたら朝でした。
憂鬱な目覚め。

チェックアウトし目的地へ。

あんな大好きなバンフに到着したのに
全然綺麗な景色には見えない、
もう疲れ切ってるし…

彼が次どこ行きたい?
と聞いてきたのですが、
もうどこも行きたくなく、
帰りたかったので、
「お腹痛くてもう帰りたい」
と言ったところ心配してくれ、帰ろうかと。

そしてカルガリーの私の家まで送ってくれ、
自分の部屋に戻り
どっと疲れがのしかかってきたのと
脱力感とで眠ってしまいました。
何時間寝ていたのだろうか。

その後も
彼からメールがきたが
当たり障りない返事をし
徐々に距離を置くことにしました。

今思うと
私が異常に考えすぎてしまっただけでした。
でも薬なんて初めてみて、
ましてや隣で吸われて
パニックになっていただけでした。

海外の生活は怖いことだらけでした。
でも日本では経験できないことを
たくさんできたのである意味よかったです。

そんなこんなで
カナダ生活6ヶ月が過ぎました。

ちょうどその時期、
わたしの前には大きな英語の壁が。

半年間学校で勉強し、
飲み行ったり
彼に英語教わったりで
なんとなく喋れるようになり
聞き取りもはるかにわかるようになりました。
しかし、
そこからステップアップがなかなかできず。
クラスのレベルも
上がることができずにいたのです。
できない自分にすごく腹が立ち、
イライラしていました。

何をやってもうまくいかない私。
英語ができない自分を受け入れるとこが、
できなくなっていました。

英語話したいのに、
英語を聞きたくない。

寒すぎて辛かったし、
日本食が恋しくなったのと、
家族に会いたくなったのと
いろんなことが重なり
一回帰国しようと思いました。

そして帰国して1ヶ月ほどゆっくりしたら
今度はハワイに行こうと思っていました。

ただ帰国する前に、
せっかくカナダにいるんだから
オーロラをみて帰りたいと思い、
当時1番仲良くて、
日本にいる親友の結に電話して、

無理を承知で、
「オーロラ一緒に見に行かない?
だから2週間後にカナダにきてほしいんだけど」と。
結は爆笑していました。
オーロラみたい、
だから2週間後にカナダきてくれって
急すぎですよね。

でも、
結は仕事を調節してくれ
2週間後にきてくれました。
最高の親友です。

私の部屋に泊まり、
まずカルガリーを案内したり、
学校の友達に紹介したり
楽しい時を過ごしました。

そして飛行機のチケットをとり、
イエローナイフへ。

カルガリーはマイナス20度で
めっちゃ寒かったのですが
イエローナイフはマイナス40度。

もうね、寒すぎです。
イエローナイフは
ツアーで行ったので
ジャケットと靴と、
すべてレンタルで借りました。

やっぱり暖かかったのですが
着込みすぎてまん丸に。
昼間はモーターバイク乗り回したり、
犬ぞりしたり。
犬ぞり中に
結が吹っ飛びいなくなってしまったハプニングがあったり。

そして夜はバスに乗り山奥に。
オーロラがでるまで小屋で待機。
小屋の中では
軽食や温かい飲み物が用意されていました。

ただ、
当時私たちは若かったし、
雪が見たことないくらい積もっていたので
雪合戦したり雪だるま作ったり、
雪の中に寝そべったり、
雪を満喫し、
寒くなったら小屋に戻るを繰り返していました。
しかし、
オーロラも自然現象なので
確実にみれるわけでもなく。

オーロラをみるチャンスは、
4日間しかありませんでした。

このままみえないで終わってしまうのかなと
思いながら3日目の夜。
バスで小屋まで向かってる途中、
ガイドがあっ!!
と発したので外見るとうっすらオーロラが。

小屋についてからは
オーロラがバスでみたときよりも
はっきり色濃くみえ
テレビで言っていた通り
本当にカーテンみたいにヒラヒラ動いていました!
しかも色も緑や黄色、赤、紫と
カラフルで風や気温によって
色が変化しているのもすごくて
寒さを忘れずっと外で眺めていました。
ガイドが
「今日のオーロラは僕が今までみたなかで3本の指に入るほど綺麗だ」と。
今でもあの光景は目に焼き付いており、
今までの人生で最高のひと時でした。

最終日の夜も少しオーロラがみえたのですが、
昨日ほどではなく。
ただ、
2日連続でみえたので
とてもラッキーな体験ができました。

カルガリーの自分の家に戻り
荷物の整理し、
学校の友達達とお別れし
結と一緒に日本に帰国することになりました。

日本に着くと
お父さん、お母さんが迎えにきてくれ
久しぶりの再会。

でもお母さんの最初の一言が、
「ずいぶんとまん丸になっちゃって、
だれだか一瞬わからなかったよ!
そして恥ずかしいから上着をきて!」と。

確かに太ったんです。
実家に帰り即体重計を乗ったら
8キロほど太っていました。

そして上着の件ですが、
最初の方でもお伝えした通り
マイナス20度のなか生活していたのですよ。
2月に帰国し
日本も寒かったのですが
カナダと比べたら全然寒くなく、
むしろ室内は少し暑いくらい。
なのでコートなんてきてたら汗だくなんです。
なので半袖でいたら
さすがにとなりにいて
恥ずかしかったみたいで。

そんなこんなで
私のカナダ終了したのです。

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