第1章:何もかもがうまくいかなかった新婚時代(第3節 転機となる出合い)
《おむすびで人生が変わった話マガジン》の第1章です。
1章はおむすびと出合う前、そして出合った当時のことを書いています。
転機となる出合い
心がほどけるおむすびを伝えているわたしの転機はやっぱりおむすびなんでしょう?と思われがちですが、そうではありませんでした。微細に読み取ればおむすびかもしれないけれど、この頃のわたしへダイレクトに影響したのは「カラーセラピー」と「アサーティブ・トレーニング」でした。
人事職のわたしが大阪支社へ出張に行くたび派遣社員として働いていたちょっと不思議な女性が、わたしのことをよく気にかけてくれていました。彼女はアロマオイルやセラピーに興味がすごくある人でした。当時わたしは喉を酷く壊していて、咳が全く止まらず寝られないほど。病院へ行って薬をもらってもだめ、漢方薬でもダメ。それで彼女が教えてくれたアロマオイルでうがいする方法を試したりしていました。そんな時彼女に「カラーセラピーって嶋田さんに合ってそう」って言うんです。「え?何を根拠に?」って思ったんですけど、当時、新卒を採用するにあたって学生を観察する時に筆記テスト以外に何か本質を見抜けるようなものないかな〜って探していたんですよね。カラーセラピーなんて学術的な根拠が何もないようなもの、会社が採用するわけないけどわたしが勉強してみるのは面白いかも、と思って資格を取りました。
やってみたらこれが楽しくて。感性を開放していく感覚がすごくわたしを自由にしてくれた。科学的というか理論的な裏付けなんてはないけど「なんとなくこんな風に感じるよ?どう?」という言葉が相手の中に入っていく。ただなんとなく感じる。感性だけを使っている感覚が愉しかったです。
そしてこれはわたしが感じるままの感性を表現するボキャブラリーが必要だなと思って経験値を増やすために”カラーセラピーセッション100人チャレンジ”をしました。もちろん無料。友達に声をかけまくって、友達に友達を紹介してもらったり、会社をやっている友人には社員にやらせてもらったりしながらフィードバックをもらい腕試しを続けました。
例えば「ワクワクする」という言葉ひとつでも、オレンジ色のワクワクと黄色のワクワクじゃ質感が違うんですよね。みんなと一緒に楽しめそうな開放的なワクワク感と、自分の内省を深めていけるような学びの先にいる自分を想像した時のワクワク感はエネルギーの質が違う感じがしませんか?
そんな繊細な言葉やエネルギーを浴びながら、人事職のようにひとつひとつ理詰で裏付けをとってタスクをこなしていく毎日とは真逆の世界に足を踏み入れていきいました。
このカラーセラピーとの出合いがなんと数年後、本の出版につながることとなります。
さらに同時期、日経ビジネスAssocieという(現在休刊)雑誌を購読していた時に目に入った「アサーティブ特集」。「話し合える人間関係を作る アサーティブ・トレーニング」という特集で、読者参加企画の参加者を募集している記事が目に止まりました。
アサーティブって何??
自分も相手も大切にしたコミュニケーション??
そんなの本当にできるの??あるの??
読み進めたら、もう、これは、上司との関係や夫婦関係に行き詰まっているわたしのためにあるものじゃないか!!!
そう感じて即応募。面談の末、無料で受講する代わりに”仮名・顔出し”で半年間受講できることになったんです。
このアサーティブジャパンとの出合いもわたしの大きな転機となりました。
行われた講座は座学と合わせて現実で起きている課題・問題をロールプレイしながら学びを深めます。上司とのやりとり、関係性をリアルに再現しながら、自分の思い込みを外したり壊したりして自分の相手を見る視点を変えていきました。
このロールプレイでとても重要なポイントになったのが
「あなたはどう感じている?」
という自分の感情を言葉にすること。
悲しい? 悔しい? 辛い?
それはなぜ?
大切に扱われていないように感じるから?
自分が不甲斐ないと感じているから?
体がしんどい?心が苦しい?
これに本当に戸惑いました。
自分の感情がわからないんです。
完全に麻痺していました。
ここまで自分の感情がわからなくなっていたかと。
麻痺したのは仕事の性(さが)だと思っていました。
人事職に自分の意志は基本ゼロですから。
どうしたいか、よりも、この状況に対しどうしたら良いか。どうすべきか。
会社(社長)と応募者(社員)の仲介役ですし、そのために人に関わることを任されるのが人事ですからね。
ここまで仕事に没頭していたかと。
率直に自分の感情を言語化することにこんなにも罪悪感があるのかと。
数年後「主体的に在ることができないわたし」の原因は、仕事柄では済まないほどそれはそれは根深いことに気づくことになります。
自分が何を感じているか。正直に正直に言葉にすること。上手じゃなくたっていい。「うまく話せるかわからないんですけど」と正直に氣持ちを伝えること。
誰かのせいにするのではなく、こうなるまで放ってしまった自分の責任にすら素直になってみること。
上司に対して必要以上に下手(したて)になってしまう自分の心理を認めること。
少しずつ少しずつ「こうしなければならない」が「本当にそうじゃなきゃいけないのか」と思えるようになっていきました。
とはいえ、会社で現実に起きている課題を取り扱うため、たとえ仮名でも顔出しでしたから上司にはいい顔をされず肩身の狭い思いをしていました。関係性を改善したくて学んだことではあったけれど、やっぱり積み重ねて来た歴史を変えていくことは容易ではないんだな、と感じたことが度々ありました。
夫婦でもそう。
「そんなバカ丁寧に言わなくていいよ」なんて言われたこともありました。夫婦なんだからわかるでしょ、と。
だけど練習したいんだもん。氣持ちを省略したくないんだよ。どうにか関係性を変えていきたいんだよ。
起きた問題とか、問題までいかなくてもチクっとした感情は、小さなうちに伝えたり話し合ったりすることを、この頃からすごく大事にするようになりました。だけど相手にとっては面倒なことだったかもしれません。関係がすでに悪化していたら聞く耳持ってもらえないことって多々あるし。それでも伝えたいという氣持ちを持ち続けるとか、夫婦みたいに「言わなくてもわかるでしょ」っていう関係の中でそれでも「聞いて欲しい」って伝え続けるとか。本当はこうしたいんだよ、って正直になってみるとか。
めげずにチャレンジし続けました。スキル的なところはだいぶ板についてきた頃日経アソシエの読者企画講座が終わりました。この時期の学びはわたしに大きく影響したため、その後学びを深めたくてトレーナー養成講座も受講することにしました。
アサーティブって「自分も相手も大切にできる伝え方」と言われることが多いのでスキルと思われがちなんだけど、実は「自分も相手も大切にする”在り方”あっての伝え方」であることを、この講座で痛切に味わいます。
自分も相手もひとりの人として大切にする、という尊厳。これを土台にしたアサーティブな在り方を学んだことで、わたしは自分を全く大切に扱ってこなかったことを痛感するのです。
自分の氣持ち、自分の体、自分の存在そのものをまず自分が大切に扱うこと。
そんな生きる基本中の基本ををすっかり置き忘れてきたことに氣づかされたのです。
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どうしてそんなわたしになってしまったのか。
第4節へ続く。
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