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第1章:何もかもがうまくいかなかった新婚時代(第2節「鮭おむすびください」)

《おむすびで人生が変わった話マガジン》の第1章です。

1章はおむすびと出合う前、そして出合った当時のことを書いています。

1章1節はこちら

あらゆることを犠牲にして仕事に没頭しまくっていた日々。なにひとつうまく循環していないことをわかっていた日々を送っていた1節からの続きです。



「鮭おむすびください」

外食ばかりの私たち夫婦がよく行っていたお店がありました。名前も忘れてしまって、数年前に行ったらもう違うお店になっていたため今となってはマスターとママに会うこともできないのですが、東京都駒込にあった飲み屋さん。ご夫婦でやっていて、マスターが接客をしていてママが料理をつくっていました。店のつくりはスナックみたいだったから入るのにすごく勇気が入りました。だけど一度行ったら夫もわたしもすごく気に入って。出してくれるごはんは店のつくりや雰囲気とは裏腹に北海道出身のママが丁寧に仕込んだものだったんだと思います。

今思うと、わたし達夫婦はコンビニのごはんで済ませたことがほとんどありませんでした。心底疲れていたからこそ温もりのあるごはんが食べたかったんでしょうね。


ある日もそのお店に行き、ひとしきりつまんで飲んだ後シメに「鮭おむすびください」って頼みました。

「お待ちどおさま」

目の前に運ばれきた鮭おむすび。

手にしてひと口、頬張った瞬間泣きました。


涙が溢れて止まりませんでした。



ママに聞きました。

「どうやってむすんでるの?」って。

どうしたらこんなおむすびむすべるんだろう?!?!

えぇ!?

あの時の衝撃は未だ覚えています。


ラップは使ってない、特別なことはしていない、と言われたことだけは覚えています。塩をどうやっているのか、海苔をどう巻いているのかさえ今となっては全く思い出せません。


とにかく記憶にあるのはおむすびを食べて泣いたこと。

泣けたことでギリギリのところにいたわたしが踏ん張れた、ということ。

あの時食べたおむすびがわたしを救ってくれた、ということ。

そして、食べた瞬間体中にエネルギーが行き渡って息を吹き返したように自分を取り戻せたという体感覚。


10年以上前のこの体験が、のちに心がほどけるおむすびを伝えることになる原体験です。




もちろん当時はおむすびの人になろうなんて思いもせず、「明日からも頑張ろう」とまた会社員としての生活へ戻って行ったのでした。

今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎