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なぜ僕は「群青」に涙するのか

YOASOBIの「群青」という曲を皆さんご存じでしょうか。

2020年9月リリースの曲ですが、私はちょうど1年ほど前に出会い、それ以来辛くなった時、頑張りたい時には欠かさずこの曲を聴き、都度涙しています(泣き上戸なんです)。

この曲は全国高校生ダンス部プロジェクトやセンバツのテーマソングに選ばれていることから若者向けの印象が強いですが、私は悩める社会人にこそ刺さる曲だと思っています。

私がこの曲にどんな想いを持っているか、特にうるっと来てしまう4箇所を歌詞と共に綴らせてください。

流されていく日々に違和感を感じつつも、それに向き合わない自分

嗚呼、いつもの様に過ぎる日々にあくびがでる
さんざめく夜、越え、今日も 渋谷の街に朝が来る
どこか虚しいような そんな気持ち つまらないな
でもそれでいい そんなもんさ これでいい

大学を卒業後、なりたかった商社マンになり、日々の業務に勤しみました。4年目以降はより多忙になって、脇目も振らずに一心不乱に頑張る日々。

希望する部署に異動でき、自分がやりたい投資もやれ、素敵な同期や仲間らとプライベートも充実し、楽しい。それでもふと、夜や出張中の飛行機の中で「これでいいんだっけ?」という気持ちが湧いてくる時がありました。

しかし、目まぐるしく進む日々の中で、その疑問に向き合うことはなく眠りにつき、また忙しい日の朝を迎える。そんな20代の日々。

「俺はなりたかった商社マンになって、日々充実してるんだ。これでいい」どこかでそう言い聞かせていた20代でした。

「自分の声を聴く」のが一番怖い

知らず知らず隠した本当の声を響かせてよ、ほら
見ないふりしていても 確かにそこにある
(中略)
好きなものを好きだという怖くて仕方ないけど
本当の自分 出会えた気がしたんだ
(中略)
踏み込むほど、苦しくなる、痛くもなる
感じたままに進む、自分で選んだこの道を
(中略)
好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない
本当にできる? 不安になるけど

しかし、ついに無視しきれなかった「自分の声」は「大企業に染まっていく自分への不安」でした。

日々の仕事は楽しいし、充実している。間違いない。一方、会社へのイワカンに向き合わず、「個」としての自分や信念が徐々に薄れていっている。それに目を背けている自分に心がザワつき続けている。これを無視し続けて生きていくことは出来ませんでした。20代後半の頃のことです。

そこに目を向けてからは、相手が誰であろうとも、どれだけ偉かろうとも、自分が正しいと思うことはしっかりと主張するようにしました。その「正しい」は自分の正義ではなく、社会やチーム、案件からみた正義。独りよがりにだけはならないように気をつけながら。

それを実行するのは苦しいし、痛い。怖くて仕方ない時もあります。夜眠れない日々も少なくありません(詳細は前回note参照)

ですが、自分の声に耳を傾け、「自分はそこから目が背けられない人間であり、それが自分の使命だ」と理解して生き始めたら、迷いがすーっと消えていきました。

歌詞にある「好きなもの」と私の話は少し違いますが、見ないふりをせずに自分の声を聴く、そのことの大事さを語るこの歌詞に強く共感します。

不安は努力で塗りつぶすしかない。その先に「絶対感」がある。

嗚呼 何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ
何回でも ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる

周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも

私はよく「自信家だね」やそれに近いことをよく言われます。一方、本当に私のことをよく分かってくれている友人や同僚は、私が如何に臆病で慎重な人間かを知っています。見え方と中身が全く違うのです。

なぜそのようなことが起きるのか。それは、私が「相対的世界」から一歩脱却し、岡本太郎氏の言う「絶対感」で生きることが出来始めているからだと思っています。「自己肯定感が高い」のと「自信がある」のは違うのです。
(相対感VS絶対感についてはこちらのnote参照)

その自己肯定感を支えているのは、何よりも「努力」。臆病で慎重だから、不安なこと、知らないこと、初めてのことを全力で学び、準備する。そうすると「これで失敗したら、仕方ない」と思え、泰然としていられる。

それを繰り返すと、スポットではなく「ここまでやってきた自分が失敗したら、仕方ない」と自分自身を認められるようになりました。

まさに、不安だから努力する。そして周りと比べないようにする。元々、人一倍他人を意識していた私が経て来た道が、歌詞になっていました。

自分で決断すると、強くなる

もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままのかけがえのない僕だ

30代になって新たに出てきた「自分の声」は

もっと「個人・細田 薫」として輝きたい。「〇〇(所属先)の細田さん」ではなく、「細田さんって今は〇〇にいるらしいよ」の順序で語られたい。

自己肯定感は高まったけれど、「住友商事」という看板が無くなった自分にどのくらいの価値が残るのか、不安で仕方がない。

でした。

自分としては成果も残してきたつもりだし、本業と関係ない所での人脈も広げてきた。それでも、自分の価値のどれ位を「住友商事」というプラチナ看板が占めているのかが分からず、心の底から自分を信じてあげられませんでした(自己肯定感が高まっても、臆病な細田くんは健在なのです)。

それに気付き、この度ベンチャーに出てきました。また、これも含めて、大小さまざまな自分の声を聴いて決断をしてきました。

「自分という人間はどんな人間なのか。どんな人間になりたいのか。」を確認しないと、人は決断できません。

それを幾度も繰り返す中で、自分への理解が進んできた気がします。歌詞の表現に沿えば、「自分の色を発見していく」とでも言えましょうか。

ソクラテスは「自分のことを知ることぐらい大切なことはない」と言いましたが、まさにそうだと思います。自分を理解すること、自分の色を見つけることが人生を有意義にするのでしょう。

今から振り返れば、中学・高校・大学の私は透明でしたし、20代の私は1色か2色でした。今は5色くらいでしょうか。

40代、50代の私が今の私を振り返って、「まだまだ透明だったなぁ」と思えるような人生をこれから歩んでいきたいと思います。

細田 薫

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