こんな仕事人間が子供を授かってみて
細田薫です。こちらの日記に辿り着いていただき、ありがとうございます!
いつもはメッセージ性の強い投稿が多いですが、今回は最早「お悩み日記」です。「自分の成長」に一番の力点を置いてきた仕事人間が子供を授かってからの葛藤、悩み、そして今日時点の結論、について綴ってみました。同じような境遇の方や、これから子供をと考えておられる方々(特にパパ)の参考になれば幸いです。
尚、私の「一人っ子子育て理論」はこちらに。もしよろしければ。
「ヒトは皆一人」
物心ついた時から今日まで、変わらない自分の信念があります。それは、「ヒトは皆一人である」ということ。友達だろうと同僚だろうと家族だろうと、ヒトはヒトの人生を変わって生きることはできない。
これは決して「他人を蔑ろにして、自分の幸せだけ考えていればいい」ということではありません。「他人が幸せなら自分がそうでなくても構わない、なんてことはありえない」、ということです。
言い換えると、「自分が幸せになって始めて、他人に幸せを与えられる」とも言えます。だから、私は自分に「毎日の成長」を求めます。どんな形でも成長しない限りは、幸せになれないと信じるから。「ちはやふる」の新くんもこう言ってます。
自分のことでないと、夢にしたらあかん
「自分のため」と「他人のため」のバランスが取れてないと、「尊大」とか「偉そう」とか「自分のことしか考えてない」とか言われますし、言われてきました。でも今は、ある程度バランスが取れてきたかなと思います。
なので、どんなコミュニティに所属していようとも、「自分」を見失わずに今日まで来れた気がします。妻とも、この価値観を共有出来ていると信じています。
タスクじゃないのよ、育児は。
そんな私が昨年7月に子供を授かりました。
その時は海外にいたので、9月頭に初対面。我が子との新生活開始当初は上述の信念が全面に出ていたので、「やらなきゃいけない育児をやって、仕事・勉強・家事をやる」というように、「Task」として育児を捉えていました(無意識)。
でも赤ちゃんの日々なんて、もうめちゃくちゃ。よく寝る日もあれば、ずっと泣いてる日もあれば、ご飯も食べたり食べなかったり。
当然、その日の朝に設定していた「やりたかったこと(仕事とか)」が出来ない。自分が成長しない。そうするとイライラします。イライラすると子供は寝ない。最悪の悪循環です。
1ヶ月ほど経った頃でしょうか。妻から「もっと娘と向き合ってあげて」と言われました。そこで初めて、「眠そうだから、早く寝かせて仕事をやろう」とか「一緒に遊びながらも、AirPodで英語を聞こう」といった行動を取っていた自分に気が付いたのです。
そして、それらは当然上手くいきません。「仕事・勉強をしたいのに、今は育児をやらないといけない」とか考えながら育児をしているからこそ、日々強いストレスを抱えていることに気が付きました。側から見れば当たり前なのでしょうが、自分は全然気付いてませんでした。
その日から、「育児の時は120%子供に集中する」と決めました。保育園が始まるまでの約6ヶ月は、毎日午前中ワンオペ育児だったこともあって育児にも慣れ、娘の成長や娘の気持ちなんかにも気づけるようになりました。
指摘してくれた妻に感謝ですし、このタイミングで娘と向き合えたことは本当に大きかったと思います。
娘との「同質化」、そして二重人格化
ここで止まれば良かったのですが、ここから行き過ぎます。娘を抱きしめている時に、ふと思います。
娘が元気に育ってくれれば、自分は幸せ。それでいい。
娘から離れると「よっしゃ今日も成長したるで」となるのですが、娘と一緒にいると、いつの間にか「自分=娘」というか、何か「娘が成長していることが自分の成長」のように感じられ、それで満足している自分がいました。それに気づいた時には、何故か涙が流れました。
午前中のワンオペ育児が終わり、午後から仕事を始める時には既に満足しているのです。充足感が半端なく飢餓感が無いから、どうにも仕事のパフォーマンスが上がりません。やることはやってますが、何か雲の上を歩いているようなふわふわ感。
そして、夜寝る時に混乱します。
あれ?俺って何を生き甲斐にしていて、何を目指して生きてるんだっけ?
と。そしてさらにこう思います。
自分が主語の世界なんてなくなってしまえばいいのに
つまり、「午前中の世界だけでいいのに」ということですね。ここまでくると、もう冒頭の細田くんはどこに行ってしまったのでしょう。でも、人間そんな直ぐには変われません。元の細田くんも定期的に登場します。
この「シン・ホソダ」と「モト・ホソダ」のとんでもないギャップに、数ヶ月苦しんできました。自分は一体何を目指して日々を生きたらいいんだと。
一周して戻ってきた場所
でもやっぱり他人なのです、娘も。残酷かつ当たり前の事実として、娘はいつかは自分の足で自分の人生を一人で歩いていきます。そして、それは思いの外早いかもしれないし、早くてあって欲しいと思います。
しずかちゃんのお父さんではないですが、今の日々が素晴らしい贈り物。それ以上に望むものはありません。でも願わくば、娘が目指したいと思える背中を出来るだけ長い間見せたい。だから、今考えるのは
自分は、どんな背中を見せたいか
家でいがみ合ってる背中でも、面白くない仕事に元気なく取り組んでる背中でも、ワイドショーに世の中への文句をぶつけてる背中でもない。常に前向きに、生き甲斐を持って日々を生きている背中を見せたい。
そうなるためには、やっぱり「ある程度」モト・ホソダを取り戻す必要があります。つまり、やっぱり自分の人生を大事にしなければならない。一周してここに戻ってきました。そして結論は
自分、妻、子供、そしてその他全ての大事な方々のために、自分の人生を大事にする
これが今のモットーというか、スローガンです。これは「モト・ホソダ」ではありません。妻と娘と過ごしている時は他のことを考えずに120%その時間を楽しみます。性質が違うものを混ぜない、これに尽きる。
いつか娘に「パパの生き方、いいね」と言ってもらえるように、頑張ります。
おわりに
自分が「娘が元気に育ってくれたらそれでいい」と心から思っていることに気付いた時、衝撃を受けました。想像もしてなかった心境でした。自分がそんなことを思う日が来るなんて。
それから数日は「いや、俺はそんなことは思ってない!」と否定したりと、錯乱状態。マスクの下で何かブツブツ言いながらベビーカーで散歩してるのですから、まあさぞかし不審人物だったことでしょう。
そして辿り着いた境地、「自分、妻、子供、そしてその他全ての大事な方々のために、自分の人生を大切にする」は、自分として納得のいくものでした。
娘は9ヶ月ですが、日々新たな気付きや学びをくれます。妻も何事にも真剣に取り組み、家庭のことでもなーなーにしない。日々学ばせて貰ってます。仕事やそれ以外でご一緒している方々も、素敵な人ばかり。
そんな人たちに何かを返せるような、一廉の人間になれるよう、明日もがんばりますので、引き続きよろしくお願いします。
今回は自分の内面を曝け出した形のため、いつも以上の駄文・乱文となりましたこと、ここにお詫び申し上げます。
細田 薫
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