色を感じる

 二〇二一年もとうとう年末を迎えて、本職の仕事が十連休の長期休みとなった。私はもう居ても立っても居られずに、大阪市立美術館で催されている「メトロポリタン美術館展」に友人を連れて足を運んだ。
   私は美術館に行くことが好きだ。その理由の一つとして、色の美しさを感じる喜びがある。この世界には美しい色がある。それは当たり前のことではあるが、美術館は改めて自分に教えてくれる。そして私達は美しい色に出会ったとき、自らの心が大きく動くことを感じて、ふと時間が止まったかのような恍惚の瞬間を迎えるのだ。この時間こそ至福の時に違いないだろう。
   私はメトロポリタン美術館展の入口に入って少しすると、いつものように友人のことを忘れてしまって、美術鑑賞に心から耽っていた。今回の展覧会で私は何度も感動した。何も考えずに絵をぼーっと見続けているときが幾度とあった。もう私は周囲にいる人のことなど忘れている。言わば本当の感動とは常に孤独であるはずだ。絵を見て感動している私は、もう目の前にある美以外には何も見えていない。

 私はメトロポリタン美術館展で改めて色の素晴らしさについて考えさせられたのだが、そのきっかけとなる絵は「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」で、作者は「ベラスケスと工房」となっていた。私はその絵に描かれたガスパール・デ・グスマンが跨がる白馬の毛並みを見ると、もう自分の周囲にいる誰のことも見えなくなった。ああ、なんと美しい色だろうか。そして白馬の身に着けられた金の装飾品が又もや非常に美しい。私は我を忘れて美しい色に恍惚として、その場にずっと立ち尽くす。どれほどに絵を眺めていようが飽きがこない。この色を目にしていると無心になる。もう自分は何も考えることができない。恐らくこの瞬間こそが、美を感じるということであり、感動しているということなのだろう。
   私はベラスケスの絵から中々次に行けなかった。それでも足を動かしたのだが、次の絵を見終わった後、再びさっきの絵まで戻って来てしまった。そして又もや美しい白馬の色に恍惚とする。そしてしばらく色の美しさを堪能した後、また順路に沿って歩き出したのだが、やはり何度も後ろを振り返ってしまう。ずっとあの絵を見続けていたい。そして何度も振り返った後、結局は絵を何枚か見た後、先ほどの美しい色を見るために又もや戻って来てしまった。やはり心は美を求めるものなのだと、このときに私は改めて感じた。そして私は色に対する美について再認識した。色は見るものではなく感じるものだ。見るのは視覚によるが、感じるのは心を用いる。言わばどのようなものであれ、そのものの良さを感じるためには、心の目を開かなければならない。そして感じるということこそが、そのものを本当に見るということを忘れてはいけないのだ。そのためにも私たちはいつであれ、心でものを見なければいけないのだ。


 色を感じる。これは美術館での楽しみでもあるし、もっと言えば日常生活においても、色を感じる楽しみは常にある。日没前の太陽がマジックアワーの魔法を掛ける。すると大空の色は何と美しいことだろう。あの空の色を目だけで見ることなど不可能なはずだ。だからこそ私達は美を感じるのだ。そのとき、私達は自らの魂を感じることができるだろう。感動によって無心となったとき、私たちは初めて自らの魂を感じることができるのだ。

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