「カンガルージャーキー」ep.8

 次の日、喫煙所にいた彼女は、やっぱり独特のオーラを放っていた。そのミステリアスとも言える外見は、東南アジアの血が混じっているようで、周りの男どもの目線を感じているのかいないのか、じっと中庭の芝生を見つめていた。

「意外だね。タバコ吸わなそうな雰囲気なのに。」
 中々の勇気を振り絞ってそう声を掛けたとき、俺の内心は彼女に対する嫉妬心だけだった。
 その美しい外見を持っているだけでたくさんの視線を集められるのだから、真司の視線まで奪わなくてもいいじゃないか。喫煙所で真司が彼女の姿を見るたびに何を思うのか、数パーセントの可能性でも、真司がいつしか彼女に恋心を抱いてしまうのかもしれない。そう考えるだけで、俺は経験のない嫉妬心を持ってしまった。ならば、俺が彼女と関係を持ってしまえばいい。その事実さえ作ってしまえば、いつか本当に真司が彼女に想いを抱いたとしても、彼女に対してあらぬ想いを抱かないはずだ……。そんな幼稚なことを考えてしまう程、俺は必至だった。
 けれど、そんな目論見は、彼女の一言で抹消された。
 会ってすぐに、大丈夫か、と彼女が尋ねた時、内心どきりとした。世にいう、チャラくて、ヘラヘラしていて、少なからず女に不自由しなかった俺は、誰からも心配の言葉などかけられたことはなかった。悩みがなさそうだとか、調子がいいだとか、そんな言葉をかけてくる人間にしか囲まれてこなかった俺は、彼女の言葉を聞いた瞬間、まずい、と思ったのだ。彼女は気づいたのだ、と。


 実際、涼子は気持ちのいい女だった。清々しいほどに相手に意見をぶつけ、何でも見透かされてしまっているのか、と思うほど核心をついてくる。彼女の視点は他の女とは違う切り口で、なるほど、と感心してしまう意見がどんどん出てくる。かと思えば、黙ってそこに座っているだけで、まるで湯船に浸かっているのだと錯覚してしまうほどの温かい「気」をまとっている。一度彼女と言葉を交わした人間は、誰もがいい意味でのギャップを感じ、そして彼女のテリトリーの中にまんまとはまって行く。
 かく言う俺も、彼女を知れば知るほど、初めに抱いた幼稚な自分の考えを恥じた。さらに言えば、何度となく真司への想いを告白したい、涼子にこの悩みを聞いてもらって優しく包んで欲しい、と思うようになった。涼子だったら、どんな俺でも受け入れてくれるような気がしたのだ。
 俺の目論見は、ある意味では成功したと言えるかもしれない。方法は違ったが、真司は涼子を女としてではなく、心を許せる友人として受け入れたのだから。
 

    三人で初めて飲んだ次の日、気づくと俺と真司はリビングの床に倒れこんでいた。気持ち悪さで起き、起きた瞬間にトイレに駆け込んだ。トイレを出るとすぐ様、真司が入れ替わりにトイレに入り、苦しい声を発した。
 どうやって店を出たのか、むしろ会計はどうしたのか、どうやって家路についたのか、真司と話しても互いに全く記憶がなかった。涼子に連絡をすると、あの程度で二日酔いしたのか、と電話越しで笑われた。
 会計はとりあえず涼子が全部払って、タクシーに二人を乗せてアパートまで送り、そのまま自分のアパートに帰ったらしい。そう言われれば、確かに玄関の鍵は自分で開けた気がする。記憶が部分部分でフラッシュバックする。
大の男二人が女に酒で迷惑をかけるなんて恥ずかしい。それ程までに涼子に気を許していたと言えば聞こえは良いが、俺にいたっては、涼子に真司を改めて紹介することに気を張っていたのだ、ということを言い訳にしたい。
 夕方からバイトを入れていた真司は、完全復活をしないまま家を出た。暇になった俺は涼子に連絡をとり、金を返すがてら、近くにファミレスで落ち合うことにした。


 いつもより幾分ラフな格好でファミレスに現れた涼子は、化粧をしていなかった。夕方までアパートでダラダラしていたらしい。
 本当に、涼子は美しい顔立ちをしている。彫刻のようだと一度直接言ったことがあったが、軽くあしらわれた。本人は本当にモテない、とよくこぼすが、違う。美しすぎて、男が軽く声をかけられないのだ。
 涼子が笑いながら前日の男二人の醜態を話し始めると、俺は顔を手で隠したくなるほど恥ずかしくなった。涼子に膝枕をせがんだところまでは記憶にある。しかし、素っ気なく涼子にあしらわれ、頭を軽くたたかれたところで、俺の記憶は皆無だ。
 途中から、涼子の計らいで日本酒が水になっていたらしいが、男二人は何も気づかずにうまいなー、などと話していたこと。お互いの武勇伝を、しかも同じ内容を繰り返し自慢し続け、互いに何度も褒めあっていたこと。大声で叫んでは店員に注意されていたことなどは、覚えていない。
「大変だったんだから」
と、ため息交じりに涼子が一通りの事情を話し終えると、急に口をつぐんだ。
「なに、まだ何かした? 俺ら。しばらく顔出せないな、あの店。」
 恥ずかしいながらも聞くと、涼子はううん、と首をふり、また黙った。そして、悲しそうに笑いながら、俺を見た。
「なんだよ。」
「祐樹さ、また痩せたね。」
 急に何を言い出すのかと思いながらも、一気に血の気が引くのを感じた。なぜ今、それを聞くんだ。
「……いつもはぐらかすけど、何か悩んでるなら、言ってね。」
「急に何だよ。俺に悩みなんてあるわけないだろ。」
 目を合わせられない。こいつは、一体何のことを言ってるんだ。そして、どこまで見透かしてるんだ。昨晩、俺は一体何をやらかしたのだろう。無い記憶を遡ってみても、ひとつもヒントが出てこなかった。
「ま、いいや。今度ご飯作りに行ってあげるね。」
 そう言うと、涼子はドリンクバーのお代わりを取りに席を立った。
 怖い。一瞬にして恐怖を感じた。それと同時に、楽になりたい、とも思った。涼子に言ってしまおうか。それで俺の気持ちに出口はできなくとも、一緒に迷い込んでくれる人間ができるなら。
 三杯目のメロンソーダを持って席に戻ってきた涼子は、何事もなかったかのように話題を変えた。次の試験で誰にノートを借りようか、最近見たお笑い番組、映画、そしてクラスメイトの話。どれも、俺の頭には入ってこなかった。


 迷惑料としてのファミレス代と、真司の分の借金も返して、俺は涼子を家まで送ることにした。
 あからさまに、俺は口数が減っていた。自分でも自覚出来るほど、動揺を隠せていなかった。涼子の顔も見れず、意味もなく何度もスマホを見てはポケットにしまう。
「涼子」
 アパートについて、じゃあね、ありがとう、と礼を言われた時、俺は涼子を呼び止めた。
 なに、と振り返った涼子の顔は、彼女の後ろから射す明るすぎる外灯の光ではっきり見えない。どんな顔で俺を見ているのか。不意をつかれたのか、それとも予想通りの反応で含み笑いをしているのか。恐怖がまた襲ってきた。
 何を言いたくて呼び止めたのか自分でも分からず、言葉が出てこない。
 なにかを言わないと、そう思っても、頭が真っ白になってしまって幾度と息を止める。

 一歩二歩、涼子が近づく。
 やっと読み取れた涼子の顔は、なぜか今にも泣き出しそうな顔をしていた。
堪えきれなくなって、俺は涼子の背中に腕を回した。それは、小さい頃に母親に甘えた時のような感覚だった。
「俺さ。俺、真司が好きなんだ。」
「うん」
「友達としてじゃなくて、その、」
「うん。好き、なんだよね。」
「もう、やだよ、俺。どうしたら良いのか―。」
声が震えている。情けない。顔を上げる勇気がない。
うんうん、と優しい呟きが耳元で聞こえ、また目頭が熱くなる。
涼子の右手が、優しく俺の頭を撫でた。
顔をゆっくり上げると、涼子の唇が目に入った。
俺は、すがるように唇を合わせた。
涼子は抵抗することもなく、俺を受け入れた。

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