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恋愛至上主義が解せない

ーあなたは、恋に落ちたことがありますか?


こう聞くと、まるで私が体験した「人生の大恋愛」もしくは「大失恋」を話し出しそうだけど、そんなつもりは毛頭ない。

というか「できない」というのが正しい。

私は、人生32年間で、本気の恋愛をしたこともなければ、恋に落ちたこともない。


小学生の時は隣のクラスの内藤くんが好きだった。それも6年間ずっと。
ただし、小学生の頃なんて「誰が一番、好き(≒まし)?」というくらいで、付き合うとかキスをするとかもほとんどなかったし。
まぁ、あれだ。恋の予行練習、みたいなもんだ。

そのあと私立の女子校に進んだ私は、女性の怖さと優しさ、複雑さと美しさを身をもって学びながら、1年の浪人生活を終えて大学生になった。
環境のせいにするつもりもないが、私は中高6年間、そして浪人時代も恋愛というものに触れずに思春期を過ごした。
それで満足だった。

大学で出会う男性は(女性もだけど)、誰も彼も特に話が合わなかった。
その場しのぎで会話して「さようなら」をすれば、もうどうでも良かった。
正直、興味が湧かなかった。
男性が怖い、子供っぽく見える、男性に対して人見知り……とか女子校出身者あるあるが理由ではない。
決して人間関係は悪くなかった。

サークルにも入っていたし、社交的で通っていたはずで、遺産と言わんばかりに、当時の最先端SNSだったFacebookの「知り合い」の枠には
当時のつながりが垣間見られるほどの人数の男友達もたくさんいる。
(ほとんどが繋がっているだけだけど。)

私にとって男子学生は、徐々に頭角を現してきていた「酒飲み仲間」でしかなかった。
幽霊部員にも関わらず、サークルの上級生にも名も知られる大酒呑みだった私は、何も考えず馬鹿騒ぎする男子学生との方が付き合いやすかったくらいだ。

そんな中、大学2年生のときに人生で初めて彼氏ができた。同じサークルの『うっちー』だった。
なんてことはない。初めて人に「好きだ」と言われたことに舞い上がり、二つ返事で恋人という立場を了承したのだ。
正直、それまでうっちーと話した覚えもなければ、何で仲良くなったのかも思い出せない。
多分、当時ほとんどのバイト代を注ぎ込んだ飲み会のどこかで何かを話し、奇跡的に何かが彼に刺さり、麻痺してくれたのだろう。

結論から言えば、初めての彼氏との恋人期間は3カ月で終焉を迎えた。
……1カ月後には「距離を置きたい」と言って1カ月ほど距離を置き、3カ月目に別れたので実質1カ月である。
(そして今思い出そうとして気づいたが、私は彼の下の名前を覚えていない。)

うっちーには申し訳ないけれど、彼との“お付き合い”は、私にとって気苦労の絶えない日々でしかなかった。
学生同士の付き合い始めというものは、絶頂期であることが多い(と、聞いている)。
四六時中連絡を取り合い、人によってはトイレとバイト以外ずっとスマホ(当時はまだ携帯だったが)を手放さない、という人も結構な割合でいることは知っている。
当然、私もそうなるのだと思っていた。

いや、ならんかったけど。

当時の私は大学三年生からの短期留学を目指していて、放課後といえば
週に2回は英会話学校に通い、他の3日はバイトと勉学に勤しみ、あとは「友人と酒を飲む」という行為に全力を注いでいた。

そんな私も、周りの人を手本に、連絡不精に鞭打って頑張った。
おはようからおやすみまで、まぁ今思ってもよくやったわ。
そんなのも2〜3週間しか続かなかったけど。
飲み会の数を減らし、お酒を飲めない彼に付き合って
缶チューハイ1本で我慢していた自分が、もはや愛らしい。

決定的となったのは、彼が邪魔になったからだ。
言い方がストレート過ぎか? ……でもそれ以外の言葉が思いつかない。

ある日、英会話へ向かおうと急いでいた学校からの帰路、うっちーから着信があった。
『風邪をひいてしまったので、うちまでお見舞いに来てくれないか。』
だいぶ端折るとこんなことを言ってきた。
当時、田舎から出てきた彼は吉祥寺の外れアパートで一人暮らしをしていて、バイトもしていなかった(これも問題だが)ために、一日一食という極貧生活よろしく栄養不足生活をしていた。そりゃ風邪もひくわな。
「大丈夫? 今日は英会話スクールだから行けないんだ。」的なことを伝えたら
『俺とスクール、どっちが大切なの?』
という鳥肌総立ちワードを投げかけてきた。
彼はそのあと冗談だと早口に笑いながら言っていたが、
冗談に散りばめた本気ほど、人に伝わる。

無理だ……。

それまで「いつかは好きになるかもしれない相手」うっちーを、私は「夢を応援してくれない人。自分の時間を奪う人」認定し、マイナスな存在へと転化させた。


まぁ長々と書いたが、これが私にとっての初めての恋人だったわけで、
このとき、私には「恋人がいると自分のペースが乱される」という思いが生まれた。


それから10年、何もしなかったわけではない、ということだけは言いたい。
「最初なんてそんなものよ」
と友人や人生の先輩から言われれば、従うように恋人探しに出会いの場に向かい、それなりに男性とやり取りをし、何度かお付き合いをした。
合コンも友人の紹介も、クラブやバーの出会いも、なんでもやった。
ときには女性が恋愛対象なのか!?と思い色悩む期間もあったが、最終的にはどうにも落ち着く結論は出なかった。

毎回同じ始まりと結末を迎えては、ループにハマる。
私が相手に恋することは一切なかった。
「好きだ」と言われ、付き合っていけば好きになるかも、とお付き合い。
そして最後は、仕事や夢や趣味への熱を冷ます存在と思い、私から別れを告げる。

『恋人がいると自分のペースが乱される』は確信に変わっていくだけだった。
そして毎度思う。
『もはや私は、恋人になる相手を傷つけるだけでの、酷い人間だ』と。


私には、恋に落ちることができないのかもしれない。

適切な言葉を探すが難しかったけれど、「恋に落ちる」が一番近いかもしれない。
男性だけでなく女性をも、人間として「好き」になることはできるし、家族を「愛して」もいる。漫画の主人公やアイドルに「恋」をすることもできる。

それでも、私は誰かに「恋に落ちる」ことは今の今まで経験がない。

24時間“その人”のことを考えることもなければ
“その人”の言葉や表情を思い出して胸焦がれることもない。
香りや音楽を聞いて思い出す“その人”もいなければ
耳当たりのいい“その人”の声が聞きたいと思うこともない。

いわんや「会いたくて会いてくて震える」なんてものはある意味衝撃的だった。
怒りで震えたこともあっても、会いたくて震えるってまじか(古いので引っ張るのやめるわ)。


さて、そんなことを考えていて、最近はもう巡り巡ってなんだか
「恋に落ちられない自分に悩んだり不安になること」が、アホらしく感じてきた。
人生で一回くらい恋に落ちれたらいいな、くらいに考え始めたら随分気が楽になった。

人には手先の器用・不器用があるように、私は恋愛ができない人なんだ。
そう思ったら肩の力がふと抜けたというか、何やってきたんだ自分、と思えてきた。

そして、一旦肩の力が抜けると、こんな疑問を持つようになった。

「世の中、なんですべてが恋愛至上主義なのか。」

そう疑問に思う人って、どのくらいいるのだろう? やっぱり、少数派なのかしら。

恋の噂が出ない芸能人には、いやそれ無理やりすぎるだろ!と思うほど勝手に共演者との噂が流れたり、
たとえヒーローものの映画でも主人公と恋愛する相手はいるし、
一緒にタッグを組んで事件を解決している探偵と思いきや、なぜか最後は恋人になってキスし始めるし、
そもそも恋愛ありきのドラマや映画ばかりだし、
名曲と言われる曲は恋愛ばかりテーマにしてる。
モテ服やモテメイクで一週間コーデを特集する雑誌はいまだにあるし、
異性へのアプローチだけで突っ走るyoutuberやツイッタラーも結構いるわけで。

初めて会う人や久しぶりに連絡とった友人に、恋人の有無を暗に確認されたり探られたり、
「いない」と言えば『なんで?』とか『合コンでもアプリでもして出会いなよ』とか勝手に勧められ、
過去の男性遍歴を語っては「まだ若いんだからもっと男で遊びなさいよ」と勝手に指示する人生の先輩の登場とか。


『恋愛すること』って、そんなに当たり前なのだろうか。


そう言えば、こんなことも言われたな。
「自分のことを受け入れていないから、恋人も受け入れられないんだよ」。
「誰よりも自分が大好きで大切だから、自分よりも好きな人ができないんだよ」。

自分のことを受け入れてんのに、自分が大切じゃない人なんているのだろうか?
完全じゃない私を、私は私なりに受け入れてる。
自分のことを大好きなわけではないけれど、まぁ嫌いでもないのは確か。

孫の顔をいつまでも見せられなくて申し訳ない。早く心置き無く老後を過ごしたいだろうに……。
という、親への申し訳なさと折り合いをつけるのがちょっと心苦しいくらいなんだけど、
あの新ドラマもあの新曲も恋愛絡ませてるし、男女の恋模様をフォーカスするバラエティ番組も続編がでるっぽ。

恋愛至上主義の世の中では、まだまだ生きにくそうだ。


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