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「カンガルージャーキー」ep.12

「あれ?日本人?」
 一杯目の乾杯をしてしばらく経つと、突然、肩に手を置かれた。
 そいつの声は確実に男の声だったが、振り返って目に入った人間はまるで女の子のような顔をしていた。肌は白く、髪色は金髪に近いくらい明るい。両耳に、瞬時には数えられない程のピアスをしていて、その中には小ぶりの、花のモチーフをしたものも見えた。そのピアスは、違和感がないほど彼に似合っていた。

「え、あ……はい。」
 急に声を掛けられ、さらには男だと認めていいのか戸惑っていたため、声が幾分高くなってしまう。
「わー、珍しいな、このパブで日本人に会うなんて。」
元々大きい目をさらに大きくし、彼は俺と真司を交互に見た。
「俺、サトシ。ワーホリで来てるんだ。二人は? 旅行?」
 随分馴れ馴れしく声を掛けてきたが、外国という土地柄、真司も俺も特に気にしていなかった。
「えっと、俺らは旅行で。」
「一緒に飲もうよ。俺もあっちで友達と飲んでんだ。」
そう言うと、サトシは奥の友人に声を掛けた。

 サトシの声に反応したグループは、所謂オージーの三人組のようだった。
 英語で簡単に挨拶をすると、彼らは、お前はアメリカから来たのか、と口々に突っ込んできた。やはり俺の英語は生粋のアメリカ英語のようだ。事情を話していると、横の真司は口を開けて呆然とやりとりを見ていた。
「俺、全然分かんないよ。」
不安そうな顔をする真司に、サトシが通訳をしてくれる。シェイという中国系オージーが、サトシの横で拙い日本語で真司に声を掛ける。日本語を勉強しているんだ、と真司に話すと、真司は嬉しそうにシェイに簡単な日本語で話しかけていた。
 しばらく飲んでいると、サトシは横にいるシェイの腰に手を回し、カウンターに二人で酒をおかわりに行った。その手の回し方は、甘い香りがしそう、と表現出来るようなものだった。絡みつくような、まるで恋人のそれだった。
 驚いて残りの二人に目線を投げかけると、ケビンという友人の一人が彼らはカップルなんだよ、と教えてくれた。真司も分かったらしく、俺らはその二人を見つめた。
 サトシとシェイは顔を近づけて何かを話し、楽しそうに笑っていた。何て、幸せそうなのだろう。
「うわ、俺初めて会った、本物。」
 咄嗟に声のする真司の顔を見る。というより、見てしまった、というのが正しいかもしれない。
「日本では少ないの?」
ケビンが俺にそう聞く。動悸が激しくなる。
「ノー!」
 横にいた真司が、ケビンの言葉を聞き取り、はっきりそう答えた。真司は、手と首を同時に横に振っている。
「……実際はいるんだけどね、あまり表沙汰にはしないかな。」
 誰にでもなく自分のフォローのために俺はケビンに答える。
酒を持ってきたサトシは、ケビンから二人がカップルだと伝えた、という事を聞くと、恥ずかしそうにシェイと目線を合わせた。

 ゲームをしよう、と店内にあったビリヤードをすることになった。俺はビリヤードが苦手だから、と答えると、サトシも同じ理由で辞退した。真司は根っからの社交性を発揮して、もう彼らと仲良くなっていた。
「……驚いた?」
テーブルでゲームを見ながら酒を飲んでいると、サトシがそう聞いてきた。
「うん、何よりも二人が幸せそうで驚いた。」
そう答えると、サトシは何かを悟ったような表情をした。
「もしかして、祐樹も?」
「言い切れるかは分からないんだ。……俺は、あいつだけ。」
サトシの言葉を遮るように答え、顎でビリヤード台を指す。
 サトシはそっちに目線を向けると、黙りこくった。
初めて会った人間なのに、何のためらいもなく打ち明けた俺は、涼子とは違う心地よさをサトシに感じていた。
「二人を見ていて、俺はあいつとそうなれるのか、ってさっき想像した。」
手に持つグラスを見つめ、これは何杯めだっただろう、と考える。
「俺はね、」
サトシは空になったグラスをテーブルに置き、身体をこちらに向けた。
「俺は、物心ついた時から男しか好きになれなかったんだ。でも、日本がそれを受け入れてくれる社会でないことは分かっていたから、大学はこっちに来て、ゲイを受け入れてくれるコミュニティに入った。」
『ゲイ』という言葉を聞くと、何故か生々しさが出るな、なんて思いながら、サトシの次の言葉を待つ。
「俺は逃げたんだ。」
予想もしていなかった言葉に、つい、顔をサトシに向ける。
サトシは少し笑うと、続けた。
「もちろん親はそれを知らない。実際、こっちでも受け入れられない事は多い。日本よりもまし、ってだけで。」
サトシは俺の手からグラスを取り上げると、黙ってそれを飲んだ。
「辛いんだね、祐樹。」
うん、と頷くと、涼子の顔が浮かんだ。
「俺もシェイに出会うまで、シドニーでも生きづらいのは変わらないのかと思ってた。こっちに来ても、俺はやっぱり幸せになれないのか、って思うことがたくさんあってさ。」
サトシは思い出すように遠くを見つめる。
「でもさ、あいつと出会って、俺も幸せになれるかもしれない、って思えたんだ。」
「なんだよ、のろけか。」
そう笑って言うと、当たり、とサトシは答えた。
「ねぇ、祐樹。」
背の低いサトシは、自然に上目づかいになってしまうらしい。
「辛かったら逃げるのも手だよ。逃げたって良いじゃん、一度きりの人生なんだから。わざわざ辛い思いをしていなくても良い。楽したって良い。」
サトシはまたシェイに目線をやり、愛おしそうに見つめた。
 ゲームで勝った真司は、一杯のビールを奢らせ、拙い英語で日本に来るときは連絡しろ、とオージー達に自分の連絡先を教えた。俺も同じように教え、その日はそのままホテルに戻ることにした。気付けば、時刻は日付が変わるところだった。
 ホテルに着くと、涼子は既にベッドの中にいて、寝息を立てていた。
涼子の寝顔を見ながら、俺はサトシの言葉を思い出した。
「逃げたって良いじゃん」。

―なぁ涼子、俺は逃げても良いのかな。

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