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「カンガルージャーキー」ep.7

女の子は、柔らかい。
合わせる肌はもちもちとしていて、発する声も猫のように甘く、いい香りがする。
 
 秋を迎えて、肌寒くなってきた。
 俺は昨晩出会った女の子の家で、床に落ちていた下着を履きなおしていた。
「帰るの?」
布団をかぶったままの裸の彼女が、甘えるように聞く。
「連絡先、交換しようよ。」
そう言ってベッドの横に置いてあった鞄からスマホを取り出す彼女の髪は、出会ったときよりも乱れていた。
「あー……。ごめん。」
 そう言うと、あからさまに驚きと嫌悪をむき出しにした表情をし、最低、と彼女は小さくつぶやいた。
 そのまま無言になった彼女の家を出て、徐々に明るくなってきた住宅街を歩く。
 しばらく車の走る音を頼りに、道なりに進む。大通りまで出てくると、通りの向こうからは、動き出した電車に合わせるようにスーツを着たサラリーマンがポツポツと姿を現してきた。彼らと逆方向に歩き、家を目指すことにした。風は冷たく、横切る車の音は、数カ月前より乾いて聞こえる。
 ふと、甘い香りがして、自分の服から香っているのだと気付いた。そして、昨晩のおぼろげな記憶と、同じくさっきまで一緒にいた彼女の名前を思い出そうとして諦めた。

 思ったよりも早く家に付き、シャワーを浴びてリビングでだらだらしていると、真司が部屋から出てきた。
「お前、また朝帰りが。そろそろ紹介しろよな。」
にやにやと探るように見つめてきた真司は、俺が彼女の家に泊まって来たのだと思い込んでいる。
「まぁ、そのうちな。」
そう言って、俺は満足感と罪悪感の間を行き来する。
 
 真司への気持ちを認めて、それからの俺は最低だった。
 男へ興味を持ってしまったのかと、俺は相変わらず戸惑いを隠せなかった。けれど、誰よりも信頼している真司を失いたくなくて、どう解決したらいいのかと考え続けた。
 夏の終わり、俺は一人で飲んで帰るのが習慣化していた。以前のように明らかに避けることはなくなったが、それでも、今まで真司とどんな距離感で接していたのか一向に分からなかった。
 いつものように一人で飲んでいると、ある日、女の子が声を掛けてきた。年齢は聞いてないが、明らかに年上の社会人であった彼女と、俺は酒の勢いで寝た。今では名前も忘れてしまったが、俺はその夜、確かに女である彼女に興奮し、そして同時に男として機能した自分に安堵した。彼女のおかげで、俺の崩れかけていた雄と言うアイデンティティは、それを保つ術を知ったのだ。
 それからと言うもの、俺は女の子に夢中になった。というより、女の子に夢中になっている自分に酔いしれたのだ。酔いしれ、安堵し、救われた。
 アプリで出会う女の子たちは、予想以上に俺の誘いに乗ってくれたし、世の中には俺のようなサルを求めている人も結構な確率でいることに驚いたほどだ。
 真司のいる学校でさえ、俺は女の子に声を掛けた。真司に、女を好きな俺自身を知ってほしい、それでも、最低なことをしている自分を知られたくない、そんな二つの感情の狭間で、俺は彼女たちと関係を持つスリルに熱中していた。
 
 たった一人、涼子だけは例外だった。
 涼子に声を掛けた理由は、他の女の子とは違った。身体目当てでも、本気で恋をしたからでも勿論違う。
 嫉妬。俺が涼子に声をかけた理由は、嫉妬だ。

「めちゃくちゃ美人がいる。」
冬の始め、久しぶりに真司と飲みに行った。
 その頃、俺は幾らか戸惑いを抑えられるようになっていた。少しずつ、俺は異性を対象として恋愛できる、そんな風に思えていた。真司への感情は何かの間違いだったのだ、と自分を抑えているうちに、まるで波が引いて行くような感覚になっていた。
 久しぶりに真司に飲みに誘われても、今なら邪な気持ちを持たずに、友人として接することができると思えた。
 入学してすぐの頃にたまたま入った居酒屋「親父の台所」は、今まで食べたどれよりも美味しい鳥南蛮を出す店で、俺と真司は一時期、店主に顔を覚えられる程通いつめた。
 ゆっくり話すのは久々で、最近の互いの近況を話し、俺の(架空の)彼女の作り話になると、真司は自分にも彼女が欲しいと言い出した。
この時、すぐに後悔の念が押し寄せた。俺は回復なんてしていない、まだ早かった。冷静に真司の話を聞く構えなんて出来ていなかった。話の流れで出たそんな他愛のない会話にさえ、内心がざわつき始めたのだから。
その戸惑いを打ち消そうと、俺は友人を装う事に必死になった。
「何、気になる女の子でもいんの?」
真司の目が見れない。
「いや、実際候補はいないんだけどね。」
安堵から抑えられない笑いを隠すために、俺は皿の鳥南蛮を急いで口に運ぶ。
「いや、でもさ、」
真司はそう一言発したところで店員を呼び、ビールをオーダーした。
「めちゃくちゃ美人がいるんだよ。」
 箸先で俺を指しながら、真司はそう言った。顔の筋肉は一気にこわばり、真司の次の言葉に集中する。
「知らない? 三号館の近くの喫煙所にいる美人。殆ど毎日見かけるんだけど授業では見かけたことないから違う学部だとは思うんだけどさ。物凄い美人なんだよ、モデルみたい。」
 最後の鳥南蛮を箸でぐさり、と刺して、真司はそれを口に運んだ。
 その女の子のことは知っていた。ハーフのようにはっきりとした目鼻立ちで、いつも一人でタバコを吸っている。喫煙所に集う人間なんてたかが知れているし、加えて美人がいれば尚更覚えているものだ。
「あ、その人多分俺と同じ文学部だ。授業が何個かかぶったことあるし。お前、なに、あぁいうのタイプなの?」
 籠った声でうーん、と言うと、口に含んだ鳥がまだ残っているのか、真司はグラスに残ったビールでそれを流し込む。
「タイプって言うか、美人だな、って話。ただ、あぁ言う美人って性格きつそうってイメージがあるけどさ、実際どうなのかなって興味。声も聞いたことないから、どんな声で、どんな口調で話すんだろう、って。」
 丁度新しいビールが運ばれてくると、空になったグラスを店員に渡しながら、真司は鳥南蛮をもう一つ、と告げた。
 俺は、ぬるくなったビールを一気に飲み干した。
 
 

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