株式会社メルカリで働いた3年を振り返る
こんにちは、Hikaru Kashidaです。
2016年の4月から3年ほど、株式会社メルカリでデータアナリストとして働いてきました。またそのうち半分はチームのマネージャを務めてきました。
その年月を一度改めて振り返って見ようと思います。
タイトルと序文だけ見るとまるで退職エントリーのような感じになってしまっていますが、これこれは退職エントリーではありません。
なんなのか
4月から株式会社メルペイに移籍することになりました。
※ 4月.... 2019/4。これを書いているのは2019/3。
メルカリのグループ会社であり転職というわけでもなく、あくまで内部での異動です。しかしメルペイとメルカリはあくまで別会社であり、組織として完全に別れていますし、意思決定機関も分離しています。カルチャーも多少は異なっているように思います。
また自分の役割という意味でも多少の変更があります。
自分の目線から見ると、キャリアとしては一つの転換点という事もできること、そして何よりこのメルカリという成長企業で働いた3年間にはいろんな事があり、ここらで一度振り返っておくのも悪くないだろうと思ったので、この記事を書くことにしました。
なお、弊社には在職中にもかかわらず退職エントリーまがいのものを書いた先達として、Ryohei TsudaやAkihiro Matsuoという人物がいます。メルカリ社に興味がある方は是非読んでみてください。
メルカリでの3年間の総論
メルカリは、自分の所属する会社だということを割り引いて冷静に見てもとても素晴らしい会社だと思います。
まず何より、社内にいる人材の質が素晴らしいです。メディアなどでは、経営陣の経歴などの豪華さにスポットライトが当たることが多いかもしれませんが、それ以上に現場のメンバーの人材レベルが高いと感じます。
スキルはもちろんのことなのですが、倫理観や人間性の面でも素晴らしい人の集まりだと言える気がします。社内でのコミュニケーションにコストが低く物事を最短で進められるというのは、働く上で最高の福利厚生ではないかと思います。
事業の内容や成長性なども、僕にとっては魅力的でした。C2Cという事業領域の(現在の日本においての)社会性の高さや市場性は、日々の仕事・作業を越えてモチベーションを与えてくれました。モノの流動性を高め、世の中をなめらかにし、人の中にある『所有』という概念を覆していくという事業の大義は、ビジネスに宿るイデオロギーを重視する僕にとっては満足のいくものでした。
また、これは主観になりますが待遇面も個人的には申し分ありません。有名な話として、全社員にストック・オプション(SO)を付与しています。スタートアップの採用戦略としてSOの是非は議論があるところでしょうが、僕にとってはポジティブな要素でした。年収の面でも、具体的な数字は控えますが十分な水準であるように思えます。
もちろん、すべてがバラ色というつもりはありません。
入社してから3年が経過し、上場などのイベントも挟んでいるので会社の事業/組織のフェーズも変化してきており、成長する組織につきものの、よくあるネガティブな事象が全く起こっていないわけではありません。
特にここ1年ほどはいろいろな面で大きな変動があったように感じます。
しかしそういった諸々を差し引いても、総論で言えば先述のようにメルカリは働く環境として、最高に近い場所だと言えます。
株式会社メルカリの変遷についてはこちらの本が面白かったので興味がある方はぜひ手にとって見てください。
ここからは3年間、というか正確には入社する前の時期も書いているので4年間、を時系列で振り返っていきます。振り返りについては常体(=だ・である調)で書きます。
入社前 - 2015
僕にとってはメルカリに入る前、当時31歳。
分析専業のコンサル会社で働いていた。
#1 / ファーストコンタクト
僕とメルカリの関係は、実際に入社する1年以上前から始まっている。
メルカリはTech業界に興味を持つものとしては、2014年ごろからずっと気になる存在ではあった。旧知の存在である石黒卓弥(現メルカリHRマネージャ)がメルカリに転職をしたことを聞いたのはちょうどその頃だった。
2015年の2月。六本木の新葡苑に2人でご飯を食べに行きメルカリの話を聞いた。彼はメルカリの文化と成長の話をしてくれた。
この時点では、メルカリには日本のベンチャー業界では注目の企業、という意味で興味はあったが、転職という文脈では特に真面目に考えてはいなかった。このときに働いていた会社は非常に気に入っていたし、そこで学びたいこともたくさんあったからだ。
#2 / 小泉氏と中華料理
2015年はメルカリのオフィスに遊びに行ったり、石黒とランチに行ったりしていた。オフィスであったひとは、なにやらキラキラしている人が多い印象だった。(マーケの鋤柄や木村の印象のせいだろう)
メルカリは恐ろしいほど採用イベントを行っている会社だが(いまConnpassで見ると300近いイベントを開催している)当時はまだそういった活動を始めたばかりだった。
僕がはじめて遊びに行ったのは第5回のようだ。
驚かされたのは、石黒がたまたまついでのようなノリで小泉(現メルカリ社長COO)をランチに連れて現れることだ。幹部級の人までを採用に強く巻き込んでいたことが伺えた。
メルカリの採用に対する入れ込みの強さは、入社してからも変わらずに何度となく感じさせられた。
小泉氏はとても魅力的な人だった。
笑顔を絶やさずに、『で、いつからウチに来てくれるんだっけ?』と冗談とも本気ともつかずに投げかけてくる。恐ろしや。
余談だが、思い出してみると小泉・石黒とランチしたのは、六本木のブルゴールとChina Moonで両方とも中華だった。当時のメルカリは採用会食に中華を使う定石でもあったのだろうか。
何にせよ、よくランチに連れて行ってもらっていたし、話すたびにメルカリの興味は増していった。
#3 / gonna join
2015年の年末に『働く場所という意味でメルカリに興味がある』と石黒に伝えた。
決断の経緯はいくつかあったが、やはりメルカリという会社が今後日本にそう簡単には現れないレベルの会社になるのではないかという予感が強く、そのチャンスを逃すべきではない、と思うことが多くなったからだ。
年明けにHiring Manager (取締役の濱田優貴、入社時の組織上の上長)とランチをし、その後にUS現地にいるデータサイエンティストとSkypeで面談をしてあっという間に採用が決まった。
#4 / 山田進太郎
当時はまだ採用フロー上では最終面接としてCEOの山田進太郎との面接が入っていたようだが、僕は濱田氏の決裁で採用オファーとなったため、その機会は必要なしとなっていた。
しかし石黒は気を利かせて、オファー面談という形で進太郎さんとの1時間の面談を組んでくれた。今思えば、相当に多忙な中だったろうにいち社員の採用のために1時間を割いてくれたのは恐縮としか言いようがない。
メルカリのオフィスで待っていると彼が現れた。正直かなりプレーンな印象で、起業家の強いオーラみたいなものは感じなかった。
僕は現代社会において『所有』というのは人民の心を縛っている強いイデオロギーだということ、そしてメルカリが『所有の概念』を転覆しうるサービスであることに興奮しているということ、『なめらかな社会』に興味があるということについて熱心に喋った。
進太郎さんは穏やかに賛同してくれていたように見えた。いまにして思えば、僕が熱心に話したことなど彼からすると何年も前に考え尽くしたことだったのだろう。話していて、静かだが深い思索と強い洞察を持った人だという印象を受けた。(彼に興味がある方はsuadd blogを読んでみてはいかがだろう)
この時点で、メルカリにジョインすることに迷いはもうなかった。
#5 / ユニコーン
メルカリは僕が入社する直前の2016/3に84億円という大型の資金調達を行っている。三井物産という大手のエスタブリッシュメントも引受手になっているのが印象的だった。
メルカリはこのラウンドでValuation : 10B(1000億円)を超え、いわゆるユニコーンとしてベンチャー界でより一層の注目を浴びる存在になる。
オファーが決まってから入社するまでの間も、メルカリは猛烈なスピードで前に進んでいる。入社への期待と焦りが募る日々を過ごしていた。
Apr. 2016 to Mar. 2017
僕にとってはメルカリの1年目。当時32歳
#1 / 入社
2016年の4月にメルカリで働き始めた。
ちょうど同時期にデータアナリストが数名採用されていたため、僕が入った時点でチーム(データ分析を専門とする"BIチーム")は4名いた。
※ のちにプロゲーマーになるためにメルカリを退職した長谷部や、現在ではUS事業の分析チームのマネージャを務めてくれている野中などがいた
しかしこの当時は、BIチームの社内の活動は特に規定されておらず、特定のプロジェクトにもアサインされておらず、仕事は自分で勝手に見つけて勝手にやればいいというスタイルだった。
#2 / ドキュメント製造機
特に何をすればいいのかわからなかったので、とりあえずは自分の理解も兼ねて、主要な数字のKPIへの分解と基礎的な数字の分析を行いそれを社内のwikiにまとめ始めた。
自分がドキュメンテーション好きであるという話は、こちらのnoteで述べたことがある。
いずれにせよ、文章と図表を社内の誰でも見れる場所に残しておけるというのは便利だ。これのおかげで、以降しばらくは新しく入社した企画職の人は、wikiを漁るうちに僕の記事にたどり着いて僕のところに話を聞きに来るということが続いた。文章化は、社内での人脈形成に大きく役立った。
#3 / PJO
6月にBIチームのPJOなる役割に指名された。
PJOとはメルカリ内で『Project Owner』を指す略語で、一つのチームのリーダの役割を担うポジションだ。
※ 注記
PJOはマネージャとは違う。
マネージャは人事権や評価権を持つが、PJOはそれらを持たない。
また、マネージャは登用されれば(降格処置などがなければ)実質上恒久的にマネージャを務める。一方、PJOはプロジェクトの創設や統廃合に伴ってカジュアルに任命されたり解職されたりする。
この頃のBIチームは、誰がチームの代表もしくはメイン窓口であるかなどが一切決まっておらず、チームとしてはカオスだった。
一旦は自分がPJOという形でチームの顔という立場を執ることになった。
#4 / 松田慎太郎
この頃、まっつんこと松田慎太郎がBIチームにジョインしている。まっつんは僕と前職でも一緒だった盟友だ。
僕がメルペイに異動したのちには、彼が僕を継いでメルカリのBIチームのリードをしてくれることになるのだが、この時はそんなことは想像もしていなかった。
松田さんと僕。Google本社にて。
#5 / 切り拓く
ともかくチームの陣容も充実しはじめていた。
しかし、既に簡単に述べている通り、この時期のBIチームは決して効率的に力を発揮できている状態とは言いがたかった。
まず、各人が特定の案件を担当しているわけではなく、分析を依頼されるたびに誰かがなんとなくそれをこなすという、『ケ・セラ・セラ』精神あふれる業務フローだった。
また、社内のどこに分析ニーズがあるかをきちんと把握できていなかった。そもそも僕を含めて、誰も社内の組織とプロジェクトの全容が見えていない状態だった。これでは適切な分析サポートなどできそうもない。
とりあえず、社内のドキュメントを見て分析に興味がありそうなプランナーに当たりを付けて、順に話しかけていった。そしてそこから、彼らが属しているチームのプロジェクト内容などを理解していき、分析でサポートできそうなことを見つけて提案をしていった。
こうしてひとつひとつのチームとの関係を切り拓いていった。
社内には思っていたより多くの分析ニーズがあるチームが存在しそうなことがわかったので、この時点でアナリストを各プロジェクトチームに対して担当させるアサインメント制を(ある程度)導入することにした。
僕自身は、US事業で登録後のオンボーディング改善のチームを担当し、shinyaやkyosukeといった一線級のPMと一緒に働くことができた。
僕は同時並行で日本事業の分析も担当していた。そのときのPMとの関係性などはこちらのパネルディスカッションで語られているので興味がある人は見てほしい。
なお、kyosukeは2019/2にエモい退職エントリーを残し去っていった。
日々発生する、BIチームとのやりとりからは、どうKPIを扱い、どう課題を設定し、解決策にアプローチするか、といった問題解決の基礎的な部分を学んだ。
このBIチームと問題解決を通じて、その考え方をINPUTし、また別の課題でOUTPUTしてフィードバックを得るというループはPdMにとっての最大の福利厚生であったと思う。
特に、この記事のお二人にはめっちゃ学ばせてもらった。メルカリでこの2人と働くと、企画者としての第三の目が開眼するので超絶オススメ。
#6 / 米国事業
USのメルカリ事業を成功させるための議論を、経営陣と一緒に合宿などをして決めていった。事業の目標数字を変え、組織体制の変更などにもつながる重要な意思決定の土台となる分析をアウトプットできた。
この時いろいろと頑張ったせいもあってか、会社で賞を受賞した。
#7 / PMとアナリスト
2017年の1月-3月には、米国事業の改善のためにPMとアナリストが密になって企画を進めるようになった。企画系のMTGにはアナリストが帯同するのが当たり前になっていたし、朝会にも毎日参加するようになった。
この頃には前述のkyosukeのほか、tairosanやmiyattiなど個性豊かなPMとタッグを組んで働くことができた。
外様ではなく、企画チームの一員としてデータアナリストがワークできる確信を得られたのはこの頃だ。これ以来、メルカリのデータ分析チームは、企画チームの一員に近い形で深く入り込み、PMのサポートをする形で仕事をするスタイルを貫いている。
この頃の、米国事業の企画PDCAを回していた話はこちらの資料にまとめてある。
なお、miyattiもいまはメルペイで働いている。
#8 / 顧客の声を聴く
オフィスにこもってデータ分析ばっかりやっていても、実際にアプリの何が悪いのかよくわからん!ってことで、US現地に飛んで2週間ばかりユーザインタビューやユーザテストをしたりもした。
当時USに関わっていたPMとアナリストは全員渡米することになり、僕はPM3人(kyosuke, miyatti, tairosan)と一緒に、メルカリUSオフィスがあるサンフランシスコ市内にAirBnBでアパートを借りた。
昼は各地へユーザテストに飛び回りながら、夜はアパートに帰ってきて、テストの結果をまとめて、と大忙しだった。にもかかわらず、夜な夜なビールとUberEatsのDeliでみんなで飲みながら、あーだこーだと語っていたのはいい思い出だ。
一緒に出張したtairosanとmiyatti。
4人で借りたAirBnBの部屋。ビール飲んで熱く語ってた。
Apr. 2017 to Mar. 2018
僕にとってはメルカリの2年目。当時33歳
#1 / 日本事業
2017年の3月末に、社内では大幅な組織改編が行われた。
これは『メルカリ - 稀代のスタートアップ』でも語られているが 、"Project Double"という社内的な戦略変更のためで、米国現地法人にUS事業のオーナーシップを寄せるためだった。
これに伴い、東京オフィスでUS事業を担当していたメンバーの相当数が、日本事業の担当に編入されることとなった。
僕にはチームのPJOとして、自分自身がどちらの事業を担当するかの選択肢があったが、自分なりに考えた末に日本事業の方に戻ることを決意した。
これには2つの理由があった。
1 - 伊豫
一緒にやっていたUSのプロダクト統括の伊豫が日本事業責任者を新たに担当することになっていた。伊豫はデータ・ドリブンな執行役員で、一緒に日本事業をいちから成長させていくのは面白そうだと感じていた。
参考:伊豫と僕がふたりで受けたインタビュー(Forbes Japan)
2 - 適材適所
日本事業は売上規模としては既にかなりの大きさになっていたし、この社内の体制変更で今後、事業の構造や組織が複雑で難しいものになっていく可能性が高いと感じていた。
チームの中でも僕はそういった局面でも社内での立ち回りなどをうまくできる方だという自負があったので、チーム内で誰かが日本事業を担当するなら僕が適任では無いかと思ったのだ。
とはいえUS事業の優先度は以前として高かったため、チームの大半はUS担当として残したまま僕は日本事業担当のデータアナリストとして働くことになった。
また、この年の7月にはJohn Largelingがメルカリに参画。USのCEOに就任し、より一層の現地化を進めていくことになる。
#2 / マネージャ
7月にマネージャ職に就任した。
これは前述の通り、(PJOとは異なり)チームの人事権や決裁権・管理監督責任などを持つ、正式な社内の職位だ。
ちなみに、この当時メルカリにはマネージャ職はかなり少人数で、なんなら執行役員の方が数が多いくらいだった。(当時数えた覚えがある。メルカリは外部からスター人材を幹部職として登用するのがうまく、社内の執行役員ポジションは錚々たる面子で溢れ、執行役員の数はそれなりに多かった)
実は、僕は元来マネジメント職に興味が極めて薄く、取締役の濱田にかねてからマネージャになること打診されていたのを渋っていたが、思うところがあり任命を受けたのがこのタイミングだった。濱田は1on1のたびに僕にいろいろな角度からマネージャの意義についての話を諦めずに説いてくれた。
最終的にマネージャ職を受けた理由自体は彼の説得とは直接的には関係がなかったが、それでもこの時の彼のスタンスには感謝している。
当時濱田とは毎週1on1をしていたが、サービスや組織、企画、仕事の進め方について考え方があまり合わなかったので、仕事に関するアドバイスや指摘は一切受けたくないと明言していた。(我ながら中々の我儘ぶりだ)
彼はそれを理解してくれた上で、マネージャについてはいろいろと彼なりの考え方を押し付けでない範囲で話してくれた。
いまから振り返ると、この時マネージャ職を受けたのは、自分にとって非常によいチャンスだったと思っている。
#3 / 新規事業
日本事業に帰ってきて、まず最初に新規事業の分析を担当した。具体的には、ライブコマースのメルカリチャンネルなどのサービスを、ローンチ直前から担当していた。
自分は、マネージャポジションに就いてからも、いままでと変わらずに手を動かして分析をするのは止めなかったし、マネージャ業務との時間配分は5:5くらいで実分析業務を行なっていたと思う。
このときに学んだことはいろいろあったが、ひとつには新規事業は非常に難しいということ、そして二つ目に、スタートフェーズにおいてビジネスが分かるデータアナリストの重要性はかなり高いのではないか、ということだった。
このときはProduct Managerと一緒になって、事業計画やサービスのKPI、CSFの発見、ダッシュボードでのモニタリング強化、施策の効果分析なんかを一通りやっていた。自分の視点からは、そういった全てがスタートフェーズのサービスでは非常に重要でかつデータアナリストの立場ならではの、できること・やるべきことが沢山あるように思えた。
参考:
一緒に働いていたogiさん(荻原裕太)の記事
同じく、一緒に働いていた小山さんの記事
なお、ogiさんもいまはメルペイのほうで働いている。
#4 / 主力事業の成長戦略
10月くらいからは、新規事業の他にメルカリ(フリマ事業)全体の成長戦略と分析も担当し始めた。言うまでもなく、日本のフリマ事業はこの当時も今も変わらず、社内の主力事業だ。
この当時は、マーケティングチームがメルカリ全体のグロースの責任を持っており、マーケ責任者のyamashiroと一緒にああでもない、こうでもないと言いながら戦略・戦術を練り上げていった。
この時、僕の方からの提案で進めた戦略のひとつに、顧客セグメントの導入があったのだが、その内容については こちら - simple data analytics leads impact に詳しいので、興味がある人は見てほしい。
この領域の仕事は端的に言ってとても面白かった。10月にこの全体グロースを担当し始めて、12月に設定されていた大きな成長目標を紙一重で達成したのはいい思い出だ。
※ 12月の売上目標を12/31の22:30にギリで達成した
その時のSlackのキャプチャ。スタンプの数がすごい!
この当時のグロースチームの達成打ち上げ。
この時考案した考え方は、いまでもメルカリ全体のグロース戦略の一部として取り入れられ、サービスの成長を支えている。
yamashiroは現在はメルペイのマーケチームを率いる立場に移っている。
#5 / チームと採用
PJO時代からチームの人材採用については活動をしていたが、マネージャ職に就いて、より採用のための動きを本格化させていった。
具体的には、
・採用フロー/採用基準の整備
・エージェントマネジメント
・Job Descriptionのリニューアル
・社内のリファラル(社員紹介)の掘り起こし
・MeetUpイベントの開催
などを8月くらいから順次進めていった。
また、採用に当たってある程度の外部情報発信が必要と感じていたため、チームの紹介のブログを書いた。
参考:メルカリの分析チームとは?その全ての疑問に答えます
この記事はそこそこ多くの人に読まれたらしく、社外の人に会う時に役に立ってくれた。また、このブログ経由で講演登壇のお誘いもいくつか頂いた。また、このブログ経由で講演登壇のお誘いもいくつか頂いた。外部への情報発信の重要性を改めて再認識させてくれた出来事だった。
あの手この手を尽くした甲斐あってか、1-3月には3名の非常に優秀な人材を採用することができた。 もともと旧知であった新保もこの時に、僕の社員紹介という形で採用したメンバーの1人だ。データ分析とUXリサーチから施策の起案までこなせる、マルチなデータアナリスト人材だ。
採用は、マネージャになって良かったことの一つだ。
役職のせいで自分のチームと採用への責任感は否が応でも増す。メルカリでは人材採用は本当に本当に重視されている。
マネージャでなければ、採用の難しさと喜び、そして自分で何かを企画する楽しみ(メルカリでは採用は作業ではなく、クリエイティブな企画業務だと捉えられている面がある)をここまで芯から経験はできなかっただろう。
自分たちのチームに強力な新メンバーを迎えられる時の高揚・アドレナリンは素晴らしく、他の何にも似ていない。
#6 / ペイメント事業
元グリーCFOの青柳直樹氏のジョインを以て、メルペイが本格始動。
組織の再編成が行われ、チームから1人のアナリストがメルペイに担当することになり異動していった。
#7 / ゆるふわBI
2018年の1月、BI内のプロジェクトとしてゆるふわBI(ゆB)を立ち上げた。
これは前述のまっつん(松田慎太郎)がリードしてくれた。社内のいろんな部署のメンバーを巻き込んで行く彼の姿を見て、会社の次のフェーズが来たら、自分でなく彼にチームを率いるのを任せたいと、この時ぼんやりとは思っていた。
ゆるふわBIでLEFT JOINを視覚的に勉強している様子
#8 / 息を吸うようにツイートするのです
3月にTwitterを本格的に使い始めることを決意した。
主に採用のため、自身とチームのブランディングが必要だと考えたのがきっかけだった。
この時にTwitterをはじめてからの経過は、下記の記事に詳しく書いた。
参考: 発信力の強化とブランディングを頑張ってフォロワー数を20×にしたこの半年を振り返る
なお、『息を吸うようにツイートするのです』は僕にTwitterを頑張るように進めてくれた広報のriccha(中澤)の言。
この時Twitterを始めたおかげで、自分の業界内でのプレゼンスも多少上げることができた。また、Twitterをやっていなかったらnoteも始めなかったかもしれない。
Apr. 2018 to present
僕にとってはメルカリの3年目。34歳
#1 / 社外プレゼンス
上述のTwitterもその一部だが、2018年に入った頃から社外への露出と情報発信をより強く意識して行うようになった。
やはり、人材採用それも最高のチームを形成できる最高の人材を惹き込みたいと考えるなら、社外に対してのプレゼンス(メルカリのBIチーム、そしてマネージャである僕)を高く保つことは必須条件に思えた。
そしてメルカリという会社は、広報戦略には長けた会社だ。BIチームのブランディングのための活動は、HRのかおりんやいわっちなどが全面的にバックアップをしてくれた。
PRチームはもちろんなのだが、チームやタレントのブランディングについてはHRチームも全面支援してくれるのがメルカリ人事戦略の特徴だ。HRは採用のオペレーションは当然として、(中長期含めた)採用に必要な全てのアクションを企画として捉え、協力してくれる。
この頃はHRの紹介でいくつかのメディアに出てブランディングを狙った。
参考①:Forbes Japanの記事、前述の伊豫と一緒に。
参考② : Seleckの記事、思った以上に反響があった。
前述のブログ経由で誘われたData Analytics Summit 2018に登壇して、内容もきちんと記事化してもらった。(ネット上でレバレッジできるアウトプットが欲しかったので、記事化を条件にお話を受けた。)
また、HRのススメで新しいイベント Data Leaders Talk を立ち上げた。
記事化されるなどもメリットだったが、この時の登壇メンバーとは未だに親しくさせてもらっているのは非常に大きい。
参考③ :メルカリ、DeNA、グリー、楽天のアナリストが語る分析組織
そしてなにより、このイベントで出会ったある人物が後にメルカリにジョインしてもらうことになるのだが、このときは想像もしていなかった。
イベントのひとコマ。
#3 / Lookerとか上場とか
2018-06くらいからダッシュボードツールのReplaceのプロジェクトを手がけた。7月からいろんなチームに導入を進めてきて、いまでは社内で幅広くのチームが使っている。
あと6月には会社が上場した。
ひとつの節目だという感覚はあったが、特に大きくなにかが変わることはなかったように思う。そのあたりはメルカリらしいところだろうか。
上場時の新聞広告。『GoBold』が映える。
#4 / Don't mean a thing if...
『スウィングしなけりゃ意味ないね』
- "Don't mean a thing if it ain't got that swing"
これはジャズの世界ではあまりに有名なフレーズだ。
この当時の僕がジャズメンだったら、"Don't mean a thing if it ain't got that hiring" というタイトルの曲を書いたかもしれない。
この頃は4~9月くらいまでは、新メンバーのオンボーディングを多少しつつ、自分でも分析をこなしつつ、採用にかなり力を入れていた。
7月にはTwitter上で何度か、チームに興味があって僕と話したい人を募集して、2週間で20人ほどの人と1on1でカジュアル面談をさせてもらった。
この時は運よく、とても優秀でかつ気が合うひとりの人物と巡り会うことができた。彼は特に転職活動などを考えていなかったが、飲みに連れ出して口説くこと数回、メルカリに興味を持ってくれて最終的にはチームに加わってもらえることになった。
メルカリは会社のカルチャーとして、結果的に最高のひとりを採用するためにの多くの時間を割くことを厭わない。
1人を採用するために1h × 20人と1on1の面談をし、さらに口説くために何度も飲みに行くというのは決して効率が良くない行為に見えるかもしれない。
しかしこの労力とこだわりが、最高のチームを作るために必要不可欠だと信じているし、メルカリの強さの源泉はそこにあったと思う。なお、採用に対する会社のスタンスは、最近は少し変わってきたかもしれない。
7-9月には4名の、いずれもかなり優秀なメンバーを採用することができた。最高だ。
#5 / JP, US, Pay
入社以来、データ分析チームのヘッドとして東京オフィスに在籍するデータアナリスト全員を担当領域(日本事業 or 米国事業)にかかわらずマネージしていたが、10月に米国事業担当の分析チームを独立させることになる。
この時点で、メルカリグループの中には3つの分析チームが併存する形となった。
① メルカリ(日本)
② 米国事業@東京オフィス
③ メルペイ事業
僕はもともと①/②を両方見ていて、ここから①に専任、そして4月以降は③に異動ということになる。
②/③のマネージャともに、もともとは僕のチームのメンバーだった経緯があるため、チーム同士の独立性は保ちつつ、人間関係的に近く関係性が良好なのは非常にありがたい。
①~③のマネージャの3者対談がこちらに記事になっている。
#6 / チームを成す
採用の奮起の甲斐もあり、日本事業担当の分析チームだけで10名ほどのデータアナリストがいる体制となった。
※ そのほかに執筆時点でかなり強力なメンバー2名の入社が決まっている。
シニアも若手もいるが、本当に優秀なメンバーが集ってくれている。
入社してくれた人たち、採用協力してくれたチームメンバーやHRには感謝しか無い。
チームの拡大を受け、2018/12には先に登場したまっつん/松田慎太郎には僕と並ぶ形でマネージャを引き受けてもらうことになった。
僕はマネージャとしてチームの拡大や社内/社外ブランディングなどは(比較的)得意になっていたが、メンバーの育成などはさほど上手ではない方だと思う。他方でまっつんはその分野には非常に長けている。前述のゆるふわBIなどチーム外にも分析スキルを布教して、全社での分析人材を増やす試みにも積極的で、僕とは良い補完関係にあると思っている。
新しくジョインしたメンバーたちも活発で出てくる意見の幅も量も増えた。もちろん社内でも分析力を行き届かせられる領域も着実に広がっている。
ずっと少人数で慢性的なリソース不足を抱えながらも、人材の質にどうしても妥協ができず採用にも苦労し、社内のいろんな部署にも迷惑をかけていた僕たちの小さなチーム。
やっとチームとしての春が訪れたような気がした。
#7 / Team As a Product
チームが拡充すると、マネージャの仕事は楽しくなる一方だ。
2年近くマネージャを務めてきて、その業務は日々面白く感じるようになっている。
僕たち、データアナリストという職種はプロダクトの開発と成長に深く関わってはいるが、自分たち自身でプロダクトを直接生み出すことはない。
プロダクトとして何を作るか、を最終的に決めるのはProduct Managerであり、それを実際に動くものとして世の中に産み落とすのはSoftware Engineerの仕事だ。
僕たちは(少なくとも僕は)直接的に何かを作り上げているという実感は強くないと思う。『過去に自分が作ったもの』というポートフォリオには載せるものがない。あるのは、"関わったプロダクト"かもしくは大量のグラフ、使い捨てに近いコードなどだ。
しかし、自分のチームに関しては、初めて『自分が作ったプロダクト』に近い実感を得られているような気がする。
意思を持った人間の集合体を『プロダクト』と表現することに抵抗がある方もいらっしゃるかもしれないが、僕はチームや組織は一種のプロダクト的なものであると考えている。
周りの人の力を借り、育て、成長を喜び、あらゆる障害を取り除き、繁栄を願う。
Product Managerが自分の企画したプロダクトに熱くのめり込むのはこんな気持なのかもしれない。(僕は事業に対してのコミットは高いほうだと思っているが、同時に直接的な情熱はPMには敵わないという自覚もある)
チームのマネージャの仕事は、自分にProduct Managerがコアとして持っている、重要な気持ちを理解させてくれたのかもしれない。
What's Next?
書いていてだいぶ長くなった。
さて、メルカリでは上述の通り、約2年ほどデータ分析チームのマネージャを務めてきた。メルペイでは、とりあえずはマネージャではなくいちメンバーとして働かせてもらうことになった。
これまでも50%ほどはアナリストロールをこなしつつも、50%はマネージャとしての仕事に時間を割く生活を続けてきた。
マネージャロールを下ろして、しばらくは分析と事業の推進に専念する時間を過ごす予定だ。
もちろん、採用関与自体は続ける。
それはメルカリグループの全社員誰もが担うべき仕事だと思っている。
メルカリ(フリマ事業)での分析経験の長さを活かしつつ、メルペイという新たなサービスの成長に関われればと思う。
キャッシュレス系のサービスは群雄割拠時代を迎えているが、やるからにはメルペイに勝ってほしい。当然ながら、その結果として本体のメルカリ(フリマ事業)も国民全体により根付き更に拡大していく未来を描きたいと思っている。
Why 異動?
これについては、ひとことでいうのは難しい。
また、異動についてどうこう書くというよりは、3年間の振り返りと言う意味で筆をとったエントリーなので、ここについてはこの記事で詳しく描くつもりはあまりない。
ただ、書いておきたいのは現状に対して何らかの不満があったなどの理由はさらさら無いということだ。
長々と書いたとおり、最近はマネージャの仕事も面白くチームもこれから更に、というところだ。担当している分析プロジェクトの方でもそこそこ手を動かしていて、「マネージャになって現場から離れて....」というありがちな不満も特段ある状態ではない。
メルペイという選択肢は、常に自分の脳裏にはあったように思う。
振り返りの中で書いたとおり、過去に一緒に働いた人たちがメルペイに移っているケースもそれなりにあり(多くはマネージャクラスだ)、その他にもCTOの曽川などと仲良くしていたため、事業や構想のについての話を聞く機会には事欠かなかった。
今回の異動の背景などは、また時間があれば別途書いてみたいと思う。
最後に
というわけで、メルペイで頑張っていきます。
さて、そんなメルペイはデータ分析チームは絶賛採用中です。
興味ある人は『データアナリスト』ポジションにご応募お待ちしています。(いきなり応募は...という人は、TwitterのDMなどでご連絡いただければカジュアル面談からでもお待ちしています。)
一緒に働くのを楽しみにしています。
日本のお金を、一緒に変えましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
いつも読んでくださってありがとうございます。 サポートいただいたお代は、執筆時に使っている近所のお気に入りのカフェへのお布施にさせていただきます。