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地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#4 大糸線で生まれ故郷へ①

ある日曜の午後のこと。自宅近くのスーパーの店頭に「雷鳥の里」が並んでいました。
製造元は、長野県大町市の、有限会社田中屋。
思わず、一つ手に取って、買い物かごに入れました。

帰宅して夕食の後、箱を開け、一つ手にとってかじりました。口の中に、爽やかな甘みのクリームの味が広がります。
ー 生まれ故郷の味…
心の奥底に何か温かなものが流れ、自然と笑みが溢れました。

大町は、私がこの世に生を受けた土地です。しかし父の転勤により生後5ヶ月で引っ越してしまいました。その後、小学校の低学年の時に「黒部ダムが見たい」と親にせがんで連れて行ってもらったことがあります。
生まれ故郷との関わりは、これまでの人生において、それが全てでした。
もちろん、記憶も何一つありません。

その町が少し気になり始めたのは、一つにはJR大糸線の一部廃線がマスコミを賑わせ始めたこともあります。大糸線は、松本から安曇野、大町、白馬などを経由して糸魚川に至る全長約135Kmの路線。このうち巨額の赤字が問題になっているのは北部の南小谷~糸魚川間で、大町を含む南側の区間の存廃は俎上に上がっているわけではありません。といっても、元乗り鉄としては気になります。
もう50年も足を運んだことのない生まれ故郷へ行ってみたい、という思いが強くなっていました。。

◆ 出発は糸魚川から

11月25日 金曜日(2022年)。
特急サンダーバードと北陸新幹線を乗り継いで、糸魚川に着いたのは22時41分のことでした。
出発直前に職場で面倒なことが起き、むしゃくしゃして血圧が上がったのか、缶ビール一本で気持ち悪い酔い方をし、肩凝りと鈍い偏頭痛に悩まされ、持ってきた文庫本を読む気にもなれない三時間半の旅でした。

駅前広場に出ると、澄んだ冷たい大気が心地良い。今宵の宿までは一キロ程あります。ブロンプトンで走っていきたいところですが、車中でビールを呑んでしまったので、輪行バッグから出してハンドルだけを立て、あとは畳んだまま押してゆきました。金曜夜のためか、寂れた市街地にもスーツ姿のサラリーマンのグループが、ちらほらと目立ちます。
今から13年ほども前の春に、新潟から富山までロードバイクで走ったことがあります。その時と同じホテルに投宿。
何はともあれ大浴場で脚を伸ばし、肩から首筋にかけての凝りをほぐし、頭痛薬を飲んで、カタールワールドカップの中継を少し見てから眠りにつきました。

翌朝。レストランへ降りて行きましたが、何だか胃がムカムカし、寝不足感があり、食欲がありません。昨日の出発前のトラブルで、ストレスが溜まっているのでしょうか。それでも一日のライドに備えて何か腹に入れねばなりません。色々なものを少しずつ皿にとって席につきました。
8時過ぎにホテルを出て、ブロンプトンを組み立て、大糸線に乗る前に少し海沿いを走りました。国道8号は車が多く、必ずしも快適には走れませんが、朝日に輝く日本海は、少し心を浮き立たせてくれました。

▲ 朝の日本海岸

糸魚川の市街地は、2016年に大火により広範囲が焼き尽くされました。前に来た時に歩いた、雪国らしい雁木のある通りも灰燼に期してしまったようです。
海岸線と市街地をしばらく走って、駅へ。
まだ高校生の頃ですから40年ほども前のことですが、大糸線から北陸本線の特急「白鳥」に、この駅で乗り換えたことがあります。その時、本線らしい堂々とした駅舎の改札口越しに駅前の大通りが伸び、その突き当たりに海が見えたこととか、広い構内に煉瓦造りの立派な機関庫があったことなどが、ここへ来ると思い出されます。北陸新幹線の開通と共にそれらは姿を消し、今では全国どこにでもあるような橋上駅になっていました。

▲ 大糸線の改札口

その糸魚川駅の一角から、8時54分発南小谷行のディーゼル単行に乗ります。
思ったより乗客が多くて、10人は乗っていました。もっとも高齢化率は相当なもので、見渡したところ、57歳の私が若い方から2~3番目。

▲ 糸魚川〜南小谷の険路を行き来するディーゼルカー

◆ 大糸線の旅 糸魚川〜南小谷〜白馬

ディーゼルカーは田園地帯を走っていきます。根知の先、谷が狭まりました。対岸には何条かの滝がかかっています。北国の紅葉はそろそろ終わりかけ。

姫川第六発電所、というのがあり、続いて小さなダムと小さな発電所が連続して現れます。
かつて大糸北線の終着駅だった小滝には、昔の駅舎が残っていました。もっともサッシは入れ替えられ、壁はサイディングボードに張り替えられています。
駅の対岸に石切場があり、その傍らになかなか見応えがある階段状の滝が流れ落ちていました。

小滝の先、中土までの区間は、厳しい地勢と気象条件に阻まれ、大糸線の中で最後に開通した区間です。
谷はますます険阻になり、ディーゼルカーはまた徐行しながら谷を詰めていきます。
対岸の道路は、ずっとスノーシェイドに覆われています。そのコンクリートの屋根は枯れ木に埋め尽くされています。
人家は見当たらず、ただ姫川の濁った急流と紅葉に埋め尽くされた急斜面が続いています。

▲ この区間の写真が、なぜかこの一枚しかありません…

寂れた温泉街が川沿いに現れ、やがて平岩に到着。かつてはそれなりに賑わっていた集落なのでしょう。南からの強い風に煽られながら、中年の夫婦が乗ってきました。側線には除雪車が停まっています。
平岩を出発して間もなく、真新しい高級マンションのような建物が前方にみえました。地方でこういう建造物を見ると、特養ホームかな、と思ってしまいます。しかし調べてみると、なかなか評価の高い高級温泉ホテルでした。

再び長いトンネルを抜けると谷が広がりました。西の空には雪山が姿を現しました。朝日が眩しく輝いています。
北小谷から、初めて制服姿の女学生が乗ってきました。
この列車の終点である南小谷に近づくにつれ、人家が増えてきました。並行する道路にはローソンの看板も見えます。線路側には動画を撮る二人連れの鉄道ファンの姿。

この列車の終着駅・南小谷は海抜513メートル。
空気は冷え込み、山は新雪を纏い、初冬の雰囲気があります。

今日は駅前は何かイベントがあるようで、テントが用意されていました。
ここからは電化区間となります。

◆ 白馬ポタリングとジャンプ台

10時22分、白馬駅の屋根付きの長いホームに、二両編成の電車はゆっくりと滑り込みました。急に大都市の近郊駅に着いたよう。観光客と地元民が2~30人ほどもホームで待っていました。
駅舎を出ると、正面には五竜岳。荒々しい山肌に新雪を纏い、青空バックに凛々しく佇んでいます。
ブロンプトンを輪行バッグから出して組み立て、山の方へ向かって走り出しました。

▲ 白馬駅前

登山シーズンが終わり、スキーシーズンに入る前の白馬は静か。
ロードサイドにはアウトドアメーカーの店舗が立ち並んでいます。

▲ 唐松岳を望む

八方尾根スキー場の方へ登っていきます。やはり昨夜の眠りが浅かったせいか、少し身体が重く、たいしたことないクライムがしんどい。無理せず軽いギアで登ります。

せっかくなので、行ったことのないジャンプ台に登ることにしました。往復460円のリフト代を払い、記念館になっているタワーへ。

▲ シーズンオフの、静かなジャンプ競技場

このタワーは、最上階までエレベーターで登り、階段で降りてくるのが定石らしく、そうすることを勧める掲示も出ているのですが、無視して一階から階段で登ってみました。
大失敗。2階までがきつかったこと。
ともかくも、ラージヒルの台のトップに立ちました。

▲ 白馬村を一望
▲ これから向かう南方を望む
▲ 雪化粧した唐松岳が迫る

長野オリンピックからもう25年。今も語り継がれるジャンプ団体金メダルの舞台。ここから、スタンドを埋め尽くす人と旗の波の中へ飛び出していく選手たちの気持ちを想像してみます。とてつもないプレッシャーを払い除けてスロープを滑り出すのか。それとも、何物にも変え難い高揚感に支配されるものなのでしょうか。
スロープには、着雪用のネットが既に張り巡らされていました。
見下ろす谷間には、樹林と畑、ペンション群。小春日の陽光を気持ちよさそうに浴びていました。

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ここまでお読み頂き、ありがとうございました。ジャンプ台の後はブロンプトンで、仁科三湖を巡り大町市街地へ。よろしければ、続きもお読みいただければ嬉しく思います。

このマガジンで、ブロンプトンを連れて、地方都市とローカル線を旅する記録を綴っています。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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