見出し画像

【82】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 27日目 熊石〜岩内③ 2020年8月16日

2020年夏、「週末北海道一周」最終レグ。八雲町熊石から、道道740号線、茂津多岬など、約100キロの険路を走り抜け、島牧村の道の駅「よってけ!島牧」で早めの昼ごはん。快晴の空の下、晩夏の海が紺青に煌めく最高の1日です。
今宵の投宿地である岩内まで、弁慶岬、寿都湾、雷電海岸を経て、あと70キロほど。

▼ 「週末北海道一周」、ここまでの記録はこちらです。


◆ 弁慶岬

道の駅のすぐ先で、賀老の滝への登り口を右手に分け、短いトンネルを抜けると、日本の渚100選の江の島ビーチが広がりました。長い砂浜の向こうには、緑のプラトー状の歌島高原が、たおやかな姿を見せています。これから、その麓を巡って走ります。その突端が、次の休憩地点に予定している弁慶岬のようです。

▲ 歌島高原遠望

1時間ほどの昼食休息でだいぶ疲れは取れましたが、まだ昼食がこなれていないので、弁慶岬まではゆっくり踏んでいくことにしました。出入りの多い海岸線ですが、起伏が少ないのはありがたい。脚を止めて振り向くと、そろそろ夏の終わりを思わせる層雲の下に、狩場山の盾状の姿が悠然と横たわっていました。

▲ 狩場山を振り返る

今日は朝から、人と殆ど会話していないなあ。
宿のチェックアウトの時と、食料補給に立ち寄ったコンビニと、あと先ほどの道の駅で昼ごはんの注文と支払いの時くらい。
そんなことを思いながら、このあたり、ペダルを踏んでいました。
元々、自転車は喋りながら乗るものではないけれど、こんな世捨て人のようなことをやっていて、9月から果たして社会復帰できるだろうか、と心配になってしまいました。ただでさえ早期退職後は人と会話する機会が激減しています。
翻って、これだけ三密と正反対の日々を過ごしていたら、ウィルスを移したり移されたりするリスクは限りなくゼロと言えるのでしょうが。
今回の旅では、何かで羽目を外したりしない限り、常識的な感染対策さえしていれば現実的に感染の恐れは非常に低いとわかっていながら、人目が気になって出発を躊躇していました。今日(2023年11月)になって振り返ると、このように客観的に感染リスクが低い状況だったら、多少なりとも経済を回すためにも、また身体の免疫力を高めるためにも、このような自転車旅を躊躇する理由などないのですが、ワクチンも未だ開発途上のこの時期、軽はずみな行動に対する世間の目は厳しいものがありました。

さて、先ほど道の駅あたりから江ノ島ビーチの向こうに仰ぎ見た、歌島高原の麓あたりに来ました。
人家が途切れ、キュッとした短い登りがあります。その先は、森林と牧草地に縁取られた直線的な道が続いていました。多少起伏がありますが、空と大地と海が一点に向かい集約されていくのを感じさせるよう。何年か前に走った能取岬のような美しい道でした。
突端の弁慶岬は、昼下がりの陽光が降り注ぎ、伸びやかな雰囲気でした。武蔵坊弁慶の銅像がぽつりと立っています。「義経北行伝説」に由来するもので、弁慶がこの岬に立って援軍の到着を待ちわびていた、ということらしい。
広い駐車場があり、自動販売機と立派なトイレもあって、バイクが数台止まり、ライダーたちが休息をとっていました。穏やかな日本海が広がり、夏の終わりの微風も心地よい。

▲ 弁慶岬 

◆ 核廃棄物に揺れる町

岬を出発してほどなく、広い寿都湾を挟んで、寿都町が運営する風力発電所の風車群、その北には雷電海岸、さらには太陽光線が眩しく反射する泊原発の白い建屋や、積丹半島西海岸が視界に入ってきました。寿都町の市街地まで、あと5キロほどです。

このライドの数日前、寿都町長が、全国の自治体の中で初めて、核廃棄物最終処分場の文献調査への応募を表明したことで、寿都の名は突如全国区になりました。

原子力の恩恵を受けている人々が核廃棄物処理の問題になると一様に背を向ける現状に一石を投じたい。また当面の町財政は風力発電やふるさと納税で運用できるが、数十年後の未来を考えたとき、この過疎の町はどうすれば存続できるのか。それを考え実行するのが自分の責務、という町長の弁は理に適っており、そのような意識すらないままに日々を過ごしている私はどきりとさせられたものです。
そうは言っても、そこに暮らす人たちの情緒的な不安や風評被害への懸念もまた無視し得ないわけで、要するに、局外者の素人がとやかく言うのは無責任な評論の誹りを免れないように思いました。

その大勢の局外者の中には、寿都町と、スキーリゾートで知られる留寿都村を混同している輩が少なくなかったらしく、ニュースで「町」と言っているのは誤りで「村」だとか、核関連施設を作ったらスキー客が激減して地域経済には逆効果じゃないかとか、そんな的外れなコメントがネット上で飛び交ったらしい。

そのような騒ぎが起きているとは思えぬほど、また、明治期には鰊漁や銀鉱山で賑わったとは信じられぬほど静まりかえった市街地が、心地よい昼下がりの陽光の中、海に向かう斜面に広がっていました。海岸沿いに旧道、一段小高くなっている山側をバイパスが走っています。少し食料を補給する必要もあったので、コンビニがあるバイパスを走ってから坂を下り市街地に入りました。静かな街の中で、港に近い道の駅だけが観光客で賑わっていました。

▲ 道の駅寿都にて
▲ ニシン漁や鉱山で賑わった往時の写真(道の駅寿都にて)

◆ 雷電海岸への道

さて、雷電海岸の険路を征く本日の最終行程。岩内まであと40Kmばかりとなりました。
陽光に波頭が煌めき、山は力強い緑に覆われています。美しい晩夏の午後です。

▲ 寿都市街地近くから、対岸の風力発電所をのぞむ

ただ、寿都を出てからクルマが増えてきました。今日は日曜日、お盆休みの最終日でもあります。このエリアで休暇を過ごしたり、実家へ帰省していた人たちが、このルートで岩内へ抜け、共和町から国道5号線に出て札幌方面に帰るのでしょうう。
路面の荒れも目立ち始めました。
寿都湾の最奥部で、黒松内への道を右へ分け、北へ方角を転じます。風は強くはないが北から吹いており、ここからは向かい風になりました。ここまで来れば焦る必要もないので、楽に回せるギヤ比で、上半身もリラックスさせ、先ほど弁慶岬のあたりから臨んだ町営の風車が並ぶ草原を間近に見ながら、のんびり踏んでいきます。
歌棄という集落を抜けたところに鰊番屋を模した建物がありました。道路の向かいには小さな祠と駐車場があります。ここからは、弁慶岬、寿都市街地、風力発電所など、ここまで走ってきた寿都湾のパノラマを一望することができました。
その伸びやかな風景に、とても満ち足りた心地よさを覚え、脚を止めて草の上に腰を下ろし、この瞬間をしばし楽しんだものでした。

▲ 蕎麦屋のようです。
▲ 夏空、風車、寿都湾

▪️ ▪️ ▪️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。この先には、岩内へ最後の険路・雷電海岸が待っています。よろしければ続きもお読みいただければ幸いです。

わたしは、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

アウトドアをたのしむ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?