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人との関係が断たれた世界線で。

今日の記事のテーマは
「なぜ、私は書くのか」です。

藤原華さんのコンテストに参加します。

なぜ、私は書くのか。
それは「いろんな書くを楽しみたい」と
なんとなく」です。

・読んでくれた人が少しでも
 優しい気持ちになったら嬉しい。
 私が優しさに救われてきたから。

・今日もnoteが書ける幸せ。

・書く能力を失ってもいいと思えるくらいの
   noterさんに出会うため。

・私のスキを育んでいく。

・学校へ行けなくても、働けなくても、
 少しでも生きやすいように。

・日常を、日常以上に感じさせてくれる。

・「何者か」「何者でもない」関係なく
 誰もが生きやすくなったらいいなって。

・届けたい人に読んでもらえる幸せ。

・書いた軌跡を残したい。

・書くセラピーみたい。

・インナーチャイルドにも
 イマジナリーフレンドにも
 そして、そのどれでもない私に
 出会えたから。

・私をもっと知りたい。

・誰にでも分かりやすくて、
 でもちょっと素敵な表現を紡ぎたい。
・人生の生涯学習。

・私のコンテンツを育てていく。
・未来予想図を描いていく。

・ある瞬間の、気持ちの
 バックアップを残していく。

・何でもない日常を読んだり書くのがスキ。
 :
・毎日が素晴らしいものでありますように。

ひいろの過去記事より

過去記事に書いてきたこと。

そのどれもが私にとって大切で
書く理由を上げれば、キリがないけれど。

書いているうちに
少しずつ増えていった。

いまのお気に入りは
いろんな書くを楽しみたい」という名前の
パフェみたいなもの。

「なんとなく」という器の中に、
小さな「書く理由」が
散りばめられています。

「何のために書くの?」


「書くことで人を救いたいです」


「でも書くのが苦しくなって
 筆を折る人もいるよね?

 書くことで人を救えてないよね?」

鋭い質問で返されたら
私は、多分何も言えなくなります。

でも「いろんな書くを楽しむ」は
どんな色にも変えられます。

それまで日記は
続いたことはなくて

ブログを
書いたこともなくて

小説も読めなかった私が

書くことができているのは

noteという街に出会ったからです。

コロナカで
外に出る機会が減って
孤独を感じて

このまま年を
重ねていくことに

漠然とした不安を
抱えていたとき

noteに出会いました。

ちょうど自己受容していて

何者でもない私で発信したい

noteは私には
居心地が良くて

なんとなく
毎日続いて

素敵なnoterさんと
出会って

なんとなく
いろんな書くを楽しみながら

気づいたら
640日が経っていました。

自分でも驚いています。

noteとnoterさんのおかげです。
本当にありがとうございます。

フォロー・フォロワーを
増やしたくない。
そう書いたことがあります。

私には、書いたその先に
何かになりたい気持ちはありません。

有名になりたくないし
目立ちたくない。

吐くような思いをして
命を削って、書く覚悟や

渇望や、飢えが
私にはない。

創作大賞にも応募しなかったです。

もうメンタルを壊したくないという
予防線もあると思います。

創作大賞向きの文章
小説向きの文章
WEBサイト向きの文章

いろんな文章があって

私のnoteで書いている文章は
そのどれでもなくて。

"HSPの居場所"や
"フェルメール パン"のような

google検索して
トップに表示される記事もあれば

ひたすら絵文字を
並べた記事とか

ひたすらハッシュタグを
並べた記事とか

noterさんの
スキ画像を並べた記事

おおよそ文章から
かけ離れた記事も多いです。

そのときどきで「なんとなく」
「いろんな書く」を楽しんできました。

noteは
何かになりたいじゃなくても
何かを目指していなくても

書いても大丈夫だよ。

受け入れてくれる
優しさを感じます。

誰もが創作を楽しめる街。


タイトルの"人との関係が断たれた世界線"は
かつての私です。

小さい頃、コミュニケーションが
苦手で、ひとりでした。

小学校1年生のときは
支援学級。

家族とは話せたけれど
他の人とまったく
話せなかったです。

特定の状況下では
言葉が出てこなくなってしまう。

人との深い関係を
築けないまま
過ごした子供時代。

あるとき「場面緘黙症ばめんかんもくしょう」という
言葉を知りました。

いまは、改善したけれど
話すことは苦手意識があります。

何かのタイミングで
一人ぼっちの私が
顔を出すことがあります。

場面緘黙は
この人だったら
この場所だったら

何を話しても
大丈夫という
心理的な安全が

確保されていると
話しやすいそうです。

たしかにそうかも!

私は、書くことについても
"場面緘黙"のような状態

あると思っています。

「話せない」があるように
「書けない」があるから。

noteが書きやすい理由は
いくつかあるけれど

一番は、心理的な安全が
確保された空間だからです。

noteのホーム画面を
開くたびに、ホッとする。

私の秘密基地。

誰かに話すほどでもない
小さな気持ちも

あんまり話せないような
重めの気持ちも

noteに綴るとすこし
軽くなる気がして。

他のSNSよりも炎上や
誹謗中傷が少なくて。

私が書いても、大丈夫な場所です。

自分の考えや気持ちを
言葉にすることで
私を深く理解できるし

もしかしたら誰かの心に
届くかもしれない。

そんな可能性に
ドキドキしています。

人との関係が
断たれた世界線の先に

noteという世界に
出会える未来が
待ち受けているなんて

これっぽっちも
想像できなかった。

noteのなかで
生きづらさを抱えた人の
言葉に出会いました。

ひとりじゃないよって
孤独に救われました。

私の経験してきたことも
意味があったのかもって
心が軽くなりました。

家から一歩も
外に出られなくても
話すことができなくても

スマホから「あ」と入力したら
noteの画面には「あ」と表示されます。

それは自分の内側にも、外側にも
繋がる可能性を秘めた「あ」

「あ」一文字の創作。

「いろんな書くを楽しみたい」と
「なんとなく」が、心のハードルを
少しでも下げられたら嬉しいです。

最後までお読みいただき
ありがとうございます。

みなさんの毎日が
素晴らしいものでありますように。

noteにいる人たちって、なぜ書き続けるんだろう?って。

ここを言語化する機会をこのコンテストで提供できれば、みんなが今後表現者として筆を折る可能性を減らせるかもしれない。

そして、他の人の「書く理由」を知ることができれば、今まさに筆を折りかけている表現者を救う手助けができるかもしれない。

藤原華さんのnoteより

コンテスト開催の背景に
"表現者が筆を折る可能性を減らせるか"を
求められているように感じました。

なにかの理由
"「書けない」という場面緘黙みたいな状態"が
つづくと、筆を持ち続けるのが
難しいようにも感じます。

私自身、"書けない"になんどか遭遇して
途方に暮れることがありましたが

・noteという心理的な安全性が高い環境
・心の距離が近いと感じるnoterさんとのあたたかい交流
・「いろんな書く」を「なんとなく」楽しむ。

幸いにして筆を折ることなく
書くことができています。

藤原華さんコンテストの開催
ありがとうございます。


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