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2度目のバイトを始めるまで③〜不登校•引きこもり•非行をへて、国家公務員へ〜

1ヶ月半郵便局での短期バイトをして、
また1ヶ月半のお休み期間に入ります

必死の1ヶ月半を経て少しは成長し
少しは心持ちができました。
なので、何もしてなかったわけではないですと
言いたいですね😅

新聞配達の手伝いをして、家族のお弁当を
作り、掃除をして、家事を始めました。

ようやく少しはまともな人間になれたのかな?
と思いながら、、

また『バイト始めなきゃな〜』と思い、
いくつか企業さんに面接をしてもらいましたが、
結果はすべて『不合格』。 
中卒なんですが、、と言ったら電話を
切られた事もありました。

ほぼ、落ちた理由は、
『中卒だから。
歳が若すぎる。
パソコンを扱えないから。』と
断られました。
他にも理由はあったのかもしれません。

求人広告をみても、アルバイト
『学歴:高卒以上』と書かれていて。

16歳の若造は当時すごく傷つきました。

そして、現実を突きつけられました。
思っていたものとは全然違くて、、
『中卒に対し、世間はこんなにも冷たく、厳しいんだ』
と子供ながらに思い、落ち込みました。

今は分かりませんが、
当時は中卒の若造に対して
世間の目はとても厳しかったんです。

友達の鳶職の会社でつとめさせてもらおうかな。
スナックに勤めさせてもらおうかな。とか。
色々考えてました。

父がこんな姿を見ていたからなのか、
いつの間にか、知人の社長さんに掛け合ってくれて
アルバイトの面接をしてもらえるように
なりました。

初めて書く履歴書。

すぐ間違えてしまって、何枚も何枚も
書き直し、わからない漢字や、
ひらがなを携帯で検索し、
ようやく書けた履歴書。

間違えてるのかもわからないから
母に見てもらい、オッケーを
もらうまで書き続けました。
気づけば1週間くらいかかってました。

学歴の所をみると、
高校中退としか書いてない履歴書。
その履歴書をみて、当時
『私ってなんにもないんだ』と
落ち込んでいた事を今でもよく思い出します。

その当時、
10代の時はずっと
自分の心と闘っていました。
郵便局のバイトを始めてから、
少しずつ付き合いが悪くなり
非行仲間の友達と呼べる人達と
距離ができ始めました。

でも、当時支えてくれている友達は
いたんです。
今でも仲良しなんですが、
当時は気づけなかった。

晩御飯の買い物に行くと、楽しそうに
話ながら帰っていく中学生。
テストの日かわからないけれど、
昼頃買い物に行くと
下校している中学生とすれ違うことがありました。

その当時はその光景が辛かった。
私もあんな事がなければ、、
こうなれたんだろうなと。
中学生とすれ違う時はいつも俯いてました。

いつも母に
『なんで私はいつもひとりになるんだろう。
母がみんなに言ったからこんな人生になった。
同じ年代の人たちは、
高校や中学に行き
みんな、楽しくやっているのに。
私の人生は終わっているんだ。
死にたい。死にたい。』と。
よく言うようになり、
母に当たり散らすこともありました。

母はいつも困り、悲しい顔をし、
時には喧嘩になりました。

また母と喧嘩になり、
家出をしました。

当時住んでいた家は駅から5キロありました。
家を飛び出し、田んぼ道を
泣きながら歩いて
駅に向かいました。

3キロくらい歩いていると後ろから
母の声が聞こえたんてくるんです。
『ひーろ』と。
振り返ると、母が走って追いかけてきていました。
携帯と財布だけ手に持ち、追いかけてきた母。

私は走りました。
でも母も必死に走ってくるんです。

1キロぐらい走りました。
振り返ればまだ母が追っかけてくる。

そんな母の必死さに負け、
私は立ち止まり、『何?』と
ぶっきらぼうに言いました。

母は『あんた足速いね〜。中学生の時
あんた一番足速かったもんね。』と。
『さっきはごめんね。言いすぎた。一緒に帰ろうよ』と。

そこで『いやいい。帰らない。』といいましたが、
それでも母は折れませんでした。

母の必死さに負け、
本当は追いかけてきてくれた事が
嬉しかったんです。
『そんな私の事を考えてくれているのだ』と。

そして、友達に連絡しました。
『ごめん。今日やっぱ行けないや』と。

そうこうしていると、
面接の日が来ました。

人生で初めての面接。
電車を2本乗り継いでいきました。
この時ようやく、普通に
交通機関を使えるようになった
自分をみて、
『私、少しは成長したんだ』と
すごく嬉しかったのを覚えています。
交通機関を使うのも、恐かった2年前。
乗り物に乗れることが
こんなに嬉しいんだと実感しました。

面接してくださる珈琲屋さんに着き、
緊張しながら扉をあけ、中に入りました。
面接して、最初はしどろもどろでしたが
なんとか話をすることができました。

そして最後に社長に言われました。
『いつから来れる?来週でいい?』と。

めちゃめちゃ嬉しかったです。
こんな私でも、受け入れてくれるのだと。
こんな私でも、こんな私でもと。

そして、『母に受かったよ〜
来週から来てって。』とEメールをしました。

母は当時本当に大変だったと思います。
心が不安定な私。
笑ったかと思えば、
突然泣いたり、突然きれたり、
よくこんな私を見捨てないでくれたなと
今では思います。

こんな話をしてる私に
説得力はないかもしれません。

今辛い思い苦しい思いをしている方がいると思います。

そんな子達に伝えたいです。

辛いこと、苦しい事って
長くは続かないものだと思うんだ。
意外となんとかなるもんだから。
無理せず、自分のペースで
ちょっとずつちょっとずつ
前に進んだらいいんだよ。

時には、人の力も借りていいと思うんだよ。
私なんてありえないぐらい、
国試の時も、就職してからも、
沢山沢山人の手を借りたよ。

それでも、みんな見守って、助けてくれる。
そんな人を見つけたらいんだよ。
見つけるのは簡単なことではないけれど、
少しずつ少しずつ、前に進んでいったら
自然と出てくるから。
いま、私は、僕はひとりだと思っている人も
少しずつ少しずつ進んでいくと、
必ずででくるからさ。

自分のペースで無理せず、
ちょっとずつちょっとずつ踏み出してみて。


『きっと素敵な未来がそこに待ってるから』









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