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故郷にJリーグのクラブチームがあって、本当によかった

二十四歳の春、わたしは突然帰省した。
新卒で三年働いた職場の、いろいろなハラスメントのストレスから、かちかちに強張り、思うように動かなくなってしまった身体と、心をかかえて、逃げ延びるように、東京から佐賀へと帰ってきた。
飛行機を降りて、空港の建物を出た瞬間に、暗がりにへたりこんで、わんわん泣いた。
無職になってしまったし、結婚を考えていた同い年の恋人も、ひとり暮らしのアパートの部屋も、そのまま置いてきてしまった。
これからわたしは、どうなるんだろう。
目の前に広がる夜の佐賀平野は、どこまでもどこまでも真っ暗で、これからのわたしの人生にも、楽しいと思えるようなことなんて、なにひとつ起こらないような気がした。

まずは休んで、元気になること。
先のことは、元気になってから考えよう。
そんな母の号令と、サポートにより、わたしは実家で、のんびりと日々を過ごした。
テレビをみて、新聞を読んで、散歩をして。
たくさん食べたし、たくさん眠った。
おだやかに過ぎていく毎日のなかで、明るいブルーとピンクを組み合わせたユニフォームと、翼を広げて羽ばたく鳥のエンブレムが、ぱっ、と目に飛び込んでくるようになった。
それは、佐賀県に本拠地を置く、サッカーのクラブチームのものだと知る。
ローカルテレビ局のニュースや、地方新聞のスポーツ欄では、いつもこのチームの情報が熱を持って取り上げられていた。
その情報にふれるたびに、こんなにハードな練習に取り組んでいるんだ、とか、こんなに笑顔がチャーミングな選手がいるんだ、という発見があって、親しみのような気持ちが、ちょっとずつ積み重なっていった。

サッカーは、やったことも、試合をみたこともなかったので、ルールやプレーや戦術は、わからないことだらけだった。
そこから、父との会話が生まれた。
東京の恋人も、サッカーが好きだったので、電話をかけては、距離を忘れて話し込んだ。
好きなものや、興味のあるものについて誰かと語り合うこと、新しい知識を得ることは、ポジティブな刺激にあふれていた。
ストレスで極端にせまくなっていた視野が、ぐんと広くなったような気がした。
それは、ただの気分転換ではなく、わたしの心の回復に大きく繋がる体験だった。

初夏の晴れた日、父の運転する車に乗って、スタジアムまで試合を観に行った。
入場口までの沿道には、ずらりと並ぶ食べ物の屋台や、応援グッズのワゴン。人だかりの真ん中では、鳥のマスコットキャラクターが子どもたちと写真を撮っている。
スタジアムの中に入った瞬間、息を飲んだ。
見渡すかぎりの、あざやかなブルー。
スタジアムにいる観客の誰もが、それぞれ、このクラブチームを愛していて、スタンドを染め上げている「サガンブルー」は、すべて愛の色なんだと思うと、涙が出てきた。
ずっとずっと、誰かの怒りや、イライラや、下心にばかり触れて過ごしていたので、いつの間にか、世界のすべては、そういうものだと思っていた。でもそれは間違いだった。
わたしは、たまらなくうれしかった。

試合中は、太鼓の音が、前進する鼓動のように、どんどん、どんどん、と胸を打つ。
ゴールが決まったときには、立ち上がって、飛び上がって、喜んだ。
となりに座る父と、そして、見ず知らずの人たちと、笑顔でハイタッチを交わした。
大きな声で、得点のチャントを歌いながら、心の底から、楽しい、と思った。
ストレスに押しつぶされて「もう、これからの人生に、楽しいことなんてひとつも起こらないかもしれない」って、泣きながら戻ってきた故郷で、こんなに、楽しいと感じられる瞬間に、出会うことができるなんて。
どれだけ泣いても、また笑える日が来る。
全身で、そう感じることができた。

故郷の、ちいさなクラブチームが、わたしの人生にあたえてくれたポジティブな影響は、とてつもなく大きなものだった。
わたしの故郷に、そして心のそばに、Jリーグのクラブチームがあって、本当によかった。

感謝の気持ちを、この文章に代えて。



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