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前髪と彼とわたし。...*shor story



場違いな長さの髪の毛が1本、前髪に紛れている。
それを寄り目になりながら、抜いてしまおうか帰宅後切りそろえようか悩んでいると、トンッと優しい衝撃を背中に受けた。

ーあ、
1本の髪の毛を摘まんだ指はそのままに振り返ったら、何の抵抗もなくその髪は抜けてしまい、それを意味もなく彼に見せた。

ーえ、なに?
光の加減で見えないのか、くっついた指先に顔を近づけてくる。
少し、ドキリとした。
彼の顔と、指先と、わたしの顔が、一直線に並ぶ。
指越しに視線は合わないけれど、彼の少し茶色がかった瞳を見つめていたら、ふっと黒目が移動し視線が絡まった。

ーこんな真昼間から誘惑してんですか?
ちゅーしたくなんじゃん、と屈めた腰を戻して、その指先には触れずに手首を掴む。
髪を摘まんだままの指は、固まってしまったようにくっついて離れない。
抜かれた髪が、わたしに捨てられないようにとしているみたいだ。
思いながらわたしも、この手首から彼の手が離れなければいいなと思う。

信号待ち、気付けば指先は離れていて、当たり前だけれど1本の髪の毛はどこかへ落ちてしまっていた。
車道の信号が変わり、車が停止する。
歩行者信号が青に変わると同時、手首へかかる圧力が一瞬弱まった。

流れるように離れていく彼の手を、振り向かないその背中を、その後頭部を目で追いながら、無意識に落とされ気付かれないまま地面に落ちていく1本の髪の毛を想像した。






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