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初任者研修にかかわって気付いたこと、考えたこと(初任者研修の振り返り)

 先日、私が勤務する教職員研修施設での令和2年度初任者研修が終了しました。本年度はコロナ禍の影響で、6月まではWeb配信による講座となりました。私は7月から実施した集合研修で、小学校(一部)、中学校社会科及び高等学校地理歴史科・公民科の教科教育講座に協働学習者(自称)としてかかわりました。
 そこでの学びを振り返って、以下5点について気付いたり考えたりしたことを書いてみたいと思います。


1 教育用語のイメージを共有すること
 どの校種の先生にも学習指導案の提出を求めることがあります。その学習指導案を見て思ったことです。今、特にキーになる用語の漢字が間違われやすいということです。「評価規準」や「課題探究(追究)」が、「基準」や「探求(追求)」と記載されています。それぞれ意味が変わってくるので、お互いに気を付けたいところです。
 このとき、漢字を正しく使うことはもちろん重要ですが、教育用語のイメージを共有することや言葉にこだわることがとても重要だと感じました。
 児童生徒の学習状況の評価も「規準」で見るか「基準」で見るかで、見とる児童生徒の姿は違ってくると思います。また、「探求」的な学びでは物事の本質を問う学びにはならないと思います。「主体的・対話的で深い学び」といいます。では、「主体的な学び」ってどのような学びなのかと問われれば、それぞれが抱くイメージは違っていると思います。おそらく、私たち研修に携わる者のイメージも微妙に違っているのではないかと思います。
 ですから、お互いのイメージを言葉にしてみることが重要だと思いました。そうしないと、一生懸命研修をすすめても、場合によっては、たどり着くゴールが全く違うものになってしまうと思うからです。


2 各講座にも振り返りが必要
 授業でも振り返りの時間をとるように、各研修講座でもその時間は必要だと思います。
 講座の場合、先生方は終了後に受講報告を記載し提出します。その内容から、私たちは先生方の学びの状況や講座の内容を評価をすることができます。しかし、先生方自身は講座での学びの振り返りを共有することができません。
 やはり、一日の学びを自分の言葉でまとめる場面が必要だと思います。そして、それを共有する場面も必要だと思います。先生方には、同じ立場の先生方の言葉が最も響くと思うからです。
 中学校社会科と高等学校地理歴史科・公民科の講座では、①印象に残った「やりとり」、②印象に残った「ひと」、③今、考える「これから」を、Googleフォームを使って問いかけました。その内容の共有は次の講座になってしまいましたが、最終回の講座では機器が整ったので、その場で共有することができました。お互いの学びを確認するとともに質問する姿も見られました。
 他教科等の講座では振り返りの時間が確保されているのかどうかについて把握していませんが、本年度の私の所感として他教科等の担当者に伝えたいと思います。


3 学習評価については難題
 中学校では4月から新学習指導要領の全面実施に伴い、3つの観点で生徒の学習状況を見とることになります。高等学校の新学習指導要領は令和4年度から学年進行での実施になりますが、今回、生徒指導要録に「観点別学習状況」を記載する欄が設けられました。本年度の研修講座で学習評価について協議したとき、中学校と高等学校の先生方の温度差が気になりました。本年度、観点別学習状況の評価を経験してきた中学校の先生方。教育用語としては知っているけど、その経験はなさそうな高等学校の先生方。高等学校の先生方にとっては、「授業」や「評価」の捉え方の転換が求められていると思います。教科部会まかせにせず、学校をあげて研修に取り組んでほしいと思います。
 さて、生徒の学習状況を評価することは、とても難しいことです。生徒や保護者から信頼を得られる評価にすることが重要ですが、だからといって、細かな基準を設けてチェックする必要はないのではないかと思っています。生徒や保護者に説明するための貴重な資料にはなると思いますが、それを丁寧にやればやるほど教員の負担は増大していきます。こうした評価の私のイメージは、毎時間の状況を判定して、最終それを集約する(たとえば、8回判定したら、その合計を8で割る)というものです。毎時、毎時細かく評価することで、教員は授業に集中できなくなるのではないかとも思います。
 教員は当該教科(単元)の目標を生徒に身に付けさせるために授業を構想し、その授業で指導したことを評価しなければならないと思います。大切なことは目標(単元の目標とそれを達成するための毎時の目標)を生徒と共有して授業を行い、その目標に到達していない生徒を見出し、その生徒に適切な指導を行うことが、まず重要だと思います。その生徒が、単元の最後に目標を達成していたら、その状況を成績として記録すればよいと考えています。そして、生徒が目標を達成するプロセスにおいては、各時間で目標に達しているかどうかを見極め(評価し)、それを指導に生かすことが重要だと考えています。
 前者に比べ、教員の負担は少ないのではないかと思います。ただ、単元を構想するとき、目標を達成した生徒の姿をできるだけたくさんイメージしておくことが重要だと考えています。


4 児童生徒を大人として対応できれば
 高等学校地理歴史科・公民科の講座で先生方が模擬授業を行ったとき、あまりにも丁寧な言葉づかいだったので驚きました。丁寧な言葉づかいは当然のことですが、普段の教室を再現したというより、実は目の前の生徒役の先生方を意識して授業していたのでした。
 この場面から、次のことを考えました。
 この模擬授業で大人相手に授業したのなら、普段の授業でも児童生徒を大人だと想定すれば授業改善がすすむのではないかということです。このことは、私が経験した社会教育での大人の学びの状況を思い出してのことです。
 大人相手なら、まず、自分の授業に来てくれるという確約はありません。そして、大人はすでに一定の経験や知識をもっています。そんな大人に、一方的な講義スタイルは受け入れられません。すでにもっている経験や知識を再構築するには、どのような学び方にするのかを考える必要があります。ところが、学校は教室に常に児童生徒がいます。その状況に甘えてはいけないと思います。ですから、児童生徒が教室から出て行ったり気持ちがどこかへいってしまったりしないように、そこにいることが楽しくてワクワクするような授業をつくらなければならないと思います。大人と比べ児童生徒には経験や知識がありません。ならば、ホンモノと出あわせることが有効ではないかと思います。また、大人は必要があるから学びます。ならば、児童生徒の学習課題への関心を高め、学びの必要性を実感させなければならないと思います。そうすれば、児童生徒は自ら解決策を導き出すのではないかと思います。
 少し無理があるかもしれませんが、児童生徒を大人だと想定して教材研究すれば、主体的・対話的で深い学びが追究できるのではないかと思います。


5 私自身が改善すること
 中学校社会科と高等学校地理歴史科・公民科の講座については、担当者と「主体的・対話的で深い学び」になるように構成しようと協議して実施してきました。それは、初任者の先生が自身の授業改善に生かせるように普段の授業を意識した講座づくりをしようということです。そうして講座を終えた今、次のことを改善する必要があると感じています。

▶︎暗記教科のイメージを払拭したい
 このことは担当者とも一致しており、授業改善のベースになることだと思いました。
 ところで、私が教員になって10年目を迎える頃、平成2年に東西ドイツが統一されたり、平成3年にはソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したりしました。これらの出来事で、これまで教科書に基づいて覚えさせていたことが通用しなくなったと感じました。社会科教員として、社会は変化するということを実感するとともに、変化に対応できるよう生徒には見方や考え方を身に付けさせることが大切だと気付きました。
 確かこの頃の中学校学習指導要領の改訂で、地理的分野の世界の国々は3つ程度の国や地域を学習することになったと記憶しています。このように改訂されても、高校入試に出題されたらと言って教科書を隅から隅まで教える先生がいました。このことは、入試を授業改善に取り組まない理由にしていると思います。私たちの仕事は、生徒が希望する進学先に合格させることも大切ですが、その先の長い人生で生きて働く力の基礎を身に付けさせることだと思います。
 特に高等学校では、授業改善より大学入試結果を優先する傾向が強いうに感じます。そのような状況の中で、初任者の先生には、私たちの思いと学校の現実の間で悩ませることになるかもしれませんが、今後も、少なくとも10年後に活躍している生徒の姿を思い描いた授業改善をめざして講座を考えていきたいと思います。キーワードは、暗記教科からの脱却です。

▶︎グループ協議のあり方
 今年度はコロナ禍で制限はありましたが、講座でもグループで協議することがあります。
 授業の場合、私の経験では既存の班をグループとして活用してきました。しかし、これからの学習では(もちろん学習内容にもよりますが)、自然にグループができるような状況が望ましいのではないかと思います。状況によっては近くの友だちと、状況によっては遠くでも情報をたくさんもっている友だちとなど、生徒が課題を解決するために自ら動くことが大切ではないかと思います。
 これまで、生徒は教員から提供された環境で学んでいましたが、実社会において受け身の状況では課題を解決できません。「若い先生方はなかなか相談しない。」と聞くことがあります。その姿は、私たちが生徒に何でも提供してきた結果なのかもしれないと思っています。21世紀を生き抜く生徒には、課題解決のために自ら動けるようになってほしいと思います。
 そんな姿を生徒に求めるならば、授業においては、誰かと相談しないと解決できないような課題になるよう十分な吟味が必要になると思います。研修講座の課題についても、十分に吟味していきたいと思います。
 また、グループ協議を行う場合、●分間とか●時までとか時間を制限することがよくあります。限られた時間ですから制限することは必要なことだと思います。しかし、よく考えてみると、グループ協議のゴールが時間の経過になってしまっているということです。協議のゴールは、一定の結論を見出すことにおくべきだと思います。指示について工夫するとともに、先にも書いたように、やはり協議課題の吟味が必要になると思います。
 そうしたことを思い描きながら学習活動を考え、初任者の先生方にはそんな講座を体験してほしいと思います。

▶︎使う言葉にもこだわってみる
 講義(授業)のとき、私は「今日は●●について話します。」などという言い方をよくします。この時点で、講師(先生)は話す側で受講者(生徒)は聞く側という図式が成り立ってしまうと思うようになりました。主体的な学びが望まれているなかで、受講者(生徒)には、まさに受身的な講義(授業)という印象を与えているのではないかと思います。
 そこで、「今日は●●について一緒に考えましょう。」などと言いかえることも必要ではないかと思います。そして、「一緒に考えましょう。」と言った以上、そのような内容を準備しなければなりません。「1」で述べたことと同様に、言葉にこだわることが行動の変容にもつながるのではないかと思います。


おわりに
 ダラダラと書いてしまいました。でも、文字にするというプロセスを経て、この一年を振り返ることができました。さまざまなことを考えさせてくれた初任の先生方に感謝したいと思います。
 そして、この気付きを行動として現されるようにしたいと思います。

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