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ローカルは今も昔も人間的な生き方ができる楽園なのです。

(のちにこの淡路島が日本で重要な場所であることを知る・パソナ&アミューズ・・・2023年2月)

パソナの淡路島移転は「島流し」なのか? 移住した副社長が感じた“思った以上のポテンシャル”とは・・・という記事が流れてきた。
読んでいるとローカル離島の先人たちが言っていたことを話しているだけで目新しい情報はなかったが考えたのですよ・・・・

いきなり島流しって、都市生活洗脳者の妬みですね。
田舎を見下している人の典型的な思想だと思います。
記事も登場人物もお金が掛からないと何でも比べる、元々都市生活者が無駄な浪費を繰り返す生活の環境であることを知ってれば、何でも金に換算するなと思う。
その場所でしか味わえない環境こそが都市であれローカルであれ同じでしょう。
ただ便利で依存社会の都市生活がローカルを比べるなんてと思います。

「最後にダイナミックな変革の先駆けなのかもしれない。」とあるが先駆けとは言い過ぎで記者の知見の低さだろう。
昔からこういうことを理解し行動している人などたくさんいる訳で、都市生活の快適さをアピールする情報よりもこの手の情報がかなり少ないのですよ。
貧乏臭いとか、都市から逃げたとか移住は大変だとか(苦笑)
過疎化が進みとあるが、日本全体で人口が減っており、都市部に人口が集中するようなスマートシティ構想などで、行政から見て面倒で金のかかるローカルから人を排除しようとしているんじゃないでしょうかね?
中堅都市でも町の中心部は限界集落なんて全国に沢山ありますよね、自分の住んでいる長崎市内中心部が高齢化と過疎の場所ですからねw
過疎の住んでて島を笑う人多いですが、全くもって何も知らない・・・恐ろしいですねw
都市はお金中心の生活で社会依存地域、一人ではないもできない環境
 ローカルは自立している人たちの集まりであり、食べることには苦労などしなくていい。生きることは食うことですからね、決してお金を稼ぐ仕事の認識は少なくとも私にはない、仕事は奉仕だと思っている。
都市は仕事するにはいいでしょうロボットのようにw
ローカルライフは今も昔も人間的な生き方ができる楽園なのです。

ココから記事です。https://news.yahoo.co.jp/articles/60d99fa47cb617336b76cdf2f59e4f236563d323
山海の幸に恵まれているのが強み
 淡路島は瀬戸内海東部に浮かぶ島だ。面積は、瀬戸内海では最大の600平方キロメートル弱で、シンガポール島とほぼ同じだ。

 全域が兵庫県に属していて、平成の大合併により今は3つの市に分割されている。北から、淡路市(人口は約4.3万人)、洲本市(同約4.5万人)、南あわじ市(同約4.6万人)である。

 島の中心は洲本だが、最近は東海岸の特に北側が発展してきているようだ。

 1995年の阪神・淡路大震災により、淡路市(旧津名町、旧北淡町、旧一宮町)の一部で震度7に達しており、甚大な被害を受けた。当時の淡路島の人口は16.3万人ほどあったが、3万人ほど減っており、過疎化が進んでいる。都会の大学に進学した人が、地元に戻らずそのまま就職してしまう傾向が、淡路島でも続いている。

 一方、明石海峡大橋架橋によって、淡路島と神戸・大阪との交通の便が格段に改善。京阪神では、淡路島直送の新鮮な農作物を売りにした飲食店が増えている。特産のタマネギはもちろん、レタス、ホウレンソウ、トマト、ニンジンなど多くの野菜が島内で栽培されている。東京近郊で三浦半島や房総の農作物が喜ばれるのと同様に、淡路島でも大都市近郊農業のビジネスチャンスが広がっている。

 淡路島は四方を海に囲まれているので、もちろん海産物も豊富だ。北端は、明石海峡。対岸の明石の名物である鯛や蛸は、淡路島でも獲れる。また、南端は鳴門海峡で、対岸である徳島県鳴門の名産、ワカメも淡路島でも採れる。明石と鳴門の両方の名産が地のものとして存在している。

 畜産は、養鶏、イノブタを含む養豚も行われているが、淡路ビーフは別格の位置付けだ。世界的に人気がある神戸ビーフや特産松坂牛の約65%が、実は淡路島で生まれた和牛だという。

 このように、山海の幸に恵まれているのが、淡路島の強み。ただし、これだけの恵まれた条件がありながら、雇用の創出が足りない。そこに、パソナは目を付けたというわけだ。

山海の幸に恵まれているのが強み
 淡路島は瀬戸内海東部に浮かぶ島だ。面積は、瀬戸内海では最大の600平方キロメートル弱で、シンガポール島とほぼ同じだ。

 全域が兵庫県に属していて、平成の大合併により今は3つの市に分割されている。北から、淡路市(人口は約4.3万人)、洲本市(同約4.5万人)、南あわじ市(同約4.6万人)である。

 島の中心は洲本だが、最近は東海岸の特に北側が発展してきているようだ。

 1995年の阪神・淡路大震災により、淡路市(旧津名町、旧北淡町、旧一宮町)の一部で震度7に達しており、甚大な被害を受けた。当時の淡路島の人口は16.3万人ほどあったが、3万人ほど減っており、過疎化が進んでいる。都会の大学に進学した人が、地元に戻らずそのまま就職してしまう傾向が、淡路島でも続いている。

 一方、明石海峡大橋架橋によって、淡路島と神戸・大阪との交通の便が格段に改善。京阪神では、淡路島直送の新鮮な農作物を売りにした飲食店が増えている。特産のタマネギはもちろん、レタス、ホウレンソウ、トマト、ニンジンなど多くの野菜が島内で栽培されている。東京近郊で三浦半島や房総の農作物が喜ばれるのと同様に、淡路島でも大都市近郊農業のビジネスチャンスが広がっている。

 淡路島は四方を海に囲まれているので、もちろん海産物も豊富だ。北端は、明石海峡。対岸の明石の名物である鯛や蛸は、淡路島でも獲れる。また、南端は鳴門海峡で、対岸である徳島県鳴門の名産、ワカメも淡路島でも採れる。明石と鳴門の両方の名産が地のものとして存在している。

 畜産は、養鶏、イノブタを含む養豚も行われているが、淡路ビーフは別格の位置付けだ。世界的に人気がある神戸ビーフや特産松坂牛の約65%が、実は淡路島で生まれた和牛だという。

 このように、山海の幸に恵まれているのが、淡路島の強み。ただし、これだけの恵まれた条件がありながら、雇用の創出が足りない。そこに、パソナは目を付けたというわけだ。

思った以上のポテンシャル
「地元のスーパーに行くと、産直の売り場があって、1000円もあれば東京では考えられないほどの新鮮な野菜が山盛りで売っています。島中に漁港がありますから、海産物もすごい。東京では5000~6000円するような海産物が、2000~3000円ですよ」と、渡辺副社長は淡路島の食の豊かさを実感している。

 渡辺副社長は北海道の出身で、新鮮で安価な農産物は見慣れている。その目をもってしても、淡路島には思った以上のポテンシャルがあると驚く。

 淡路島には、午後10時まで開いているスーパー、深夜0時まで営業しているドラッグストアなどもあって、買物に不自由することはない。100円ショップやコンビニもある。

 都会が恋しくなれば、車やバスで神戸・大阪に簡単に出られる。車を持っていなくても、高速バスの停留所に接続する路線バスが走っている。島内における暮らしの利便性を高めるため、パソナも無料のシャトルバスを走らせている。

 さらには、東京へのアクセスも意外に早い。高速バスを使えば、新幹線の新神戸駅、神戸空港に直行してくれる。朝早くに淡路島を車で出て、新神戸駅・神戸空港まで行って乗り換えると、午前9時半から始まる東京オフィスの会議に出席するのも不可能ではないという。

 しかし、パソナはどうしてそこまで淡路島にこだわるのか。

 1つは、神戸出身の創業者である南部靖之パソナグループ代表の思いがある。南部代表は兵庫県立星稜高校の出身だ。同校は、明石海峡大橋の北詰で、舞子駅や垂水駅が最寄りの垂水区にある。つまり、淡路島が身近な存在であった。なお、淡路島は公立高校の学区が、神戸市と同じ第1学区だ。星稜高校にも、淡路島から通学する生徒がいる。

 南部代表は、阪神・淡路大震災からの復興事業に熱心にかかわっていた。1996~2004年、業績不振で撤退した神戸ハーバーランドの「神戸西武」跡地に、「神戸ハーバー・サーカス」という商業施設を社を挙げて運営。5年間で5万人の雇用創出を目指していた時期があった。神戸ハーバー・サーカスでは、被災してお店を失った人を対象に、1坪ショップを無料で貸し出すなどの社会貢献的な事業も行った。

パソナが目指す雇用創造業
人材派遣の会社として著名なパソナであるが、意外にも純然たる人材派遣の分野の売り上げは全体の50%以下だ。人材派遣は依然として重要なビジネスではあるが、軸足は雇用創造の分野に移ってきている。今、同社が目指しているのは、雇用創造業としての確固たる地位の確立だ。

 東日本大震災の際にも、岩手県陸前高田市から、就労創出支援事業を受託。12~15年、復興を担う人材を全国から募集して、職業実習を行い、70人の就労を支援。そのうち8割が地元企業に就職した。

 そうした雇用創出事業の農業版が、「チャレンジファーム」である。08年から、就農希望者や農業で起業したい人向けに、淡路島でスタートした。同社プレスリリース(10年4月27日付)では、6人が参加していた。淡路島では、人口減と少子高齢化によって広大な休耕地が広がっている。そこを再度開墾して、無農薬の有機栽培で安全・安心な農作物を育てようというわけだ。今後は、さまざまなキャリアを同時に積むのも必要という考えで、オフィスワークをしながら就農もするようなワークスタイルも探っていく。

 また、コロナ禍で音楽家が演奏する場が激減しており、生計が立てられなくなっている。そうしたクラシックやジャズの演奏家、声楽家、バレリーナたちを支援する事業を淡路島で行っている。

 淡路島には、パソナが運営するレストラン、レジャー施設などが点在している。日本初の体験型エンターテインメント・アニメパーク「ニジゲンノモリ」、ハローキティとコラボした淡路島の食材を使う中華レストラン「ハローキティスマイル」、淡路ビーフなどを提供するビーチサイドのレストラン「オーシャンテラス」などといった具合だ。このような施設で働きながら、ピアノを演奏してもらったり、歌ってもらったりしている。現在は約20人の音楽家を雇用しているが、追加募集をしていく予定だ。

 当初、東京から淡路島に異動するのは、総務、経理、人事など事務職に限ると考えていた。しかし、営業職でもオンラインで商談する「インサイドセールス」が広がっており、働く場所はどこでも構わないということが分かってきた。従ってインサイドセールスを行う社員も、淡路島移転の対象者となる見通しだ。

淡路島のオフィスに視察希望が殺到
南部代表が1976年、関西大学を卒業する1カ月前にパソナ(当時、テンポラリーセンター。93年に改称)を創業したのは、「家庭の主婦の再就職を応援したい」という思いからだ。そこで、人材派遣のシステム構築と普及を目指した。

 しかし、2度の大震災、そして今回のコロナ禍により、雇用が大きく失われる事態を目の当たりにし、雇用の創造に一層本腰を入れるようになってきた。その現れが、淡路島への本社機能一部移転ではないだろうか。

 渡辺副社長によると、東京と淡路島では社員が出勤する際の服装も異なっている。東京では、スーツにドレスシャツ、ネクタイを締めるというのが標準。ところが、淡路島では各自が思い思いの私服で勤務している。オフィスの雰囲気も全く異なっており、ワーケーションのスタイルが浸透している。

 4月に新しくオープンするオフィス棟は、ビーチサイドにあり、地中海ブルーをイメージして建設中である。

 最終的には、島中にパソナのオフィス、社宅、寮、商業施設などを配置して、雇用をどんどん創出し、淡路島の人口増を目指すだろう。

 ところで、淡路島のオフィスには、IT企業を中心とした大企業からの“視察希望”が殺到しているそうだ。今は緊急事態なので、視察を休止しているが、春になって新型コロナの感染者数が落ち着いたタイミングで、視察ツアーを組んで受け入れていく方針。

 淡路島へのオフィス移転の輪が次々と広がり、やがては第2、第3の淡路島を目指したワーケーション適地が開発されれば、日本人の働き方は変わり、地方も活性するのではないだろうか。

 これまで、日本企業の多くは東京に本社を構えることにこだわり、人々も東京の都心部で働くことに特別な意義を見い出していた。もちろん、東京からの視点も大事だ。しかし、淡路島からの視点が新しく加わることによって、企業の在り方や働き方に多様性が生まれる。

 パソナの淡路島への本社一部移転は、コロナ禍が生み出した、日本の企業文化のダイナミックな変革の先駆けなのかもしれない。

(長浜淳之介)

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