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『生きる力』はなぜ生まれたか

文科省は新学習指導要領にて、『変化の激しいこれからの社会を生きる子どもたちに必要な「生きる力」を育むことが必要』と述べています。この『生きる力』を育むというフレーズに違和感を抱いた方は少なくはないのではないでしょうか。本記事では、なぜこのような抽象的で曖昧で不確かなことを文科省が言い出したのか、中村高康著『暴走する能力主義-教育と現代社会の病理-』を踏まえて、私の見解をまとめます。

①現代社会では 『新しい力』が必要だ論 が必然的に起こる

現代では、新しい能力が求められる時代だ、というキーフレーズが度々沸き起こります。実は令和の時代より50年も前にも、この類の話は社会で起きているのです。そして、繰り返されているのです。なぜでしょうか。

その1つの説明は、高度に発展した現代社会では、職業が多様化し求められる能力が唯一これだ、と決めることが困難であることです。社会や職業が変化するたびに、今のままではいけないのではないか、と人々は不安になり、時代にあった能力を探し求めます。そして、『これからの時代には◯◯な力が必要になる』と言い出すのです。いや、言いたくなるのです。

②『新しい力』は必然的に陳腐なものになる

政策者や評価者は、人々の求めに応じて時代にあった能力を探します。彼らは、何かしらの育成目標や評価目標とする能力を決めなければなりません。

その能力を決める際の方法が重要です。社会では多様な能力が求められています。しかし、ありとあらゆる能力を目標に掲げて大勢を育成することは不可能であるため、目標となる能力をある程度絞らなければなりません。

そこで、様々な職業で求められる多様な能力のうち、誰にとっても有効であるように、共通するそれらしい力を抽出せざるを得なくなります。教員にも、販売員にも、医師にも、デザイナーにも、会社員にも、起業家にも共通する能力を取り出すことになります。すると、どうでしょうか。結果、コミュニケーション力や人間性など、ありきたりで誰にでも必要な真新しさもないような能力が残ることになります。

これが、文科省の場合には『生きる力』となっているわけです。

③『新しい力』は必然的に批判にさらされる

現代では『新しい力』が求められています。そして、その能力を測ることが求められています。例えば、文科省の場合にはこれを『生きる力』と考えています。そして、そのうちの1つの学力の要素として、観点別評価による思考力判断力表現力などの育成を想定しています。

しかし、実はこのような抽象的な能力は、完璧に測ることはできません。必ず、何かしら足りない部分が伴います。また、『新しい力』は社会が変化するたびに求められるものでもあります。そのため、『新しい力』は常に批判にさらされる運命にあります。

身近な例として、入試改革が挙げられます。『今の選抜方式には能力を正しく測る機能がない』という批判は定期的に発生しています。そして、一斉の筆記テストによる選抜の批判は、面接や内申書による人物重視評価を生み出しました。さらに最近では、思考力判断力表現力の測定のために、大学入学試験での記述方式やポートフォリオによる学習履歴での評価(eポートフォリオ)という方式なども考案されてきています。

しかし、新しい選抜や評価方式においても、抽象的な能力は完璧に測ることはできないものです。そのため、新しい方式も時間が経てば再度批判されて、再び見直されることになります。この繰り返しは社会で病的に繰り返されます。そして常に発生することを避けることができません。

文科省の『生きる力』も、常に批判され見直されていくことになるでしょう。

④そして、必然的に①に戻る

文科省の『生きる力』が批判され見直された時、次に何が起こるでしょうか。もうお分かりですね。再度、①〜③の繰り返しが起こるのです。『生きる力』に代わる『新しい力』が必要だ論が起こり、陳腐な『新しい力』が設定されることでしょう。そしてその『新しい力』は批判に晒されてまた変わっていく運命にあります。

この現代社会の現象を、メリトクラシーの再帰性と中村高康は呼んでいます。メリトクラシーには『能力主義』や『能力による支配』という2つの意味があります。再帰性とは、常に問い直され批判されるという意味で使われています。現代社会では、これからの時代に必要だとされる新しい力を人々が渇望し、その求めに応じて新しい力が探し出され、そして新しい力が批判される、という現象が繰り返されるのです。

まとめ

中村高康著『暴走する能力主義-教育と現代社会の病理-』を踏まえて、『生きる力』がなぜ生まれたのか、私の理解をまとめてみました。現代社会でのこのような能力を問い直す議論は他にも、新卒に求めるコミュニケーション力、OECDのキー・コンピテンシー、経済学での非認知能力など、似たような現象が度々起こっています。興味を持った方はぜひ参考文献を読んでみてください。

参考文献

中村 高康 (2018). 暴走する能力主義. ちくま新書


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