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フランス演奏旅行の思い出・ナント

バイオリン弾きとしてオーケストラでフランスへ演奏旅行に行ったことを思い出した。後から考えると、大学でフランス語を専攻するきっかけになった旅行。

つい先日のように思うけれど、実際は三年前。

あの時私は高校3年生だった。とにかく楽しくて、フランスへ行くということよりも同じオーケストラの仲間と旅行(演奏しに、だったが笑)に行けることにとてもワクワクしていた。

約1週間の滞在で、そのうち公演は2回ほど。

それのための練習、リハーサルとゲネプロ、それの繰り返しだった。フランスは日本よりも乾燥していて、バイオリンもいつもよりよく響いた。

その1週間の中で一番記憶に残っているのは、現地のコンセルバトワール(音楽学校)の生徒たちの授業に参加させてもらったり、校内を見学したりしたこと。そして二回の公演の最初の一回はそのコンセルバトワール内のホールで行った。

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各教室のドアの前にいろんな色で作曲家の名前が書いてあって、その名前がその教室名であった。だからきっと学生たちはこんな風に言っていたに違いない(当時はフランス語のフも知らなかったので何も聞き取れなかったけれど笑)。

「おい、急がないと遅れるぞ。次はベートーベンでの授業なんだから!」

「分かったって。でもさ。お前、ハイドンに楽器忘れてない?」

こうゆうふっとしたセンスがフランスらしいなと今思う。萌え要素とでも言おうか。

個人的に二回目の公演よりもそのコンセルバトワールで行った一回目の公演の方が良い演奏だったと思う。私はその一回目の演奏会でコンサートミストレスをしたが、実は公演が始めるまでそれを嫌だと思っていたことは、ここだけの秘密である。

というのも、任された曲が技術的には簡単で始めてすぐの小さな子にカルテットを教える時に使うようなバッハの曲だったから。でも、私のオーケストラの一番偉い先生は、その曲は舐めるべきものじゃない、簡単に弾こうと思えばいくらでも簡単に弾けるが完全に完成させることは至難の技だ。として、表現力やそれを実現する技術含めて音楽を学ぶ上でとても大切な曲だと教えてくれた。

それでもそれを理解してはいても、せっかくフランスにきたのにわざわざなぜこの簡単な曲を弾くんだろう、しかも私がそのコンサートミストレスだなんて、と思ってしまっていた自分は依然として居た。(もう一つの曲は技術的にもかなり難しめで、私のお気に入りで、そちらではセカンドバイオリンのトップをしていた。私はセカンドの方が自分に合っていると思うし好きだったのもある。)今から思うと飛んだ自惚れ野郎だと思う。

じゃあ本番どうなったかというと、演奏後は信じられないくらいの拍手とスタンディングオベーション。私はびっくりした。この簡単な曲でもこんなに感動してもらえるし、何よりも自分も感動していることに気づいたのである。公演が終わってロビーで来てくれた観客の人と交流する時も、あの曲はよかったね、と言ってくれる人が本当に多かった。その観客の中にコンセルバトワールの学生もいて、バッハのあの曲、よかった!(英語)と言ってくれた子もいた。

一見華やかでなくて地味で簡単そうな曲でも名曲なら真剣に取り組めばなんだってその名曲の力を発揮する、と実感した瞬間だった。ごめんなさい、バッハ。

私は彼の名前が書いてあるホールの隣の教室を見ながら心の中で呟いたのである。



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