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【創作小説】永遠の終末(55)
(55)
日曜日の朝だったが、翔龍たちは、休み返上で八千代町に向かうことにした。
車に乗り込むとすぐに、「防犯ビデオに秘密があるという言葉は、ヒットだった」と久美を称えた。
「何言ってるんですか。全部、松永刑事の受け売りですよ」
シートベルトをしながら、謙遜する久美だった。
国道54号線から可部バイパスを通り、上根峠を上り切ると、そこには台地が広がっていた。
4年前、大学の卒業祝いとして数人の友人と三次の美味しい焼肉を食べに行ったときに1度だけこの道を通った。その時はひたすら三次を目指していたので、八千代町についてほとんど記憶がない。
八千代町の中心を真っ直ぐに貫く国道の両サイドには、家や商店、工場が直線的に並び、その奥側に田んぼや畑が広がっている。
車両の通行量は多く、たとえ犯人がこの道を通り、途中のコンビニや道の駅に立ち寄ったとしても、その中から殺人者を捜し出すのは至難の業だろう。犯人像が余りにも曖昧で対象者が余りにも広範囲すぎる。
目的の住所をカーナビに入力しているので、優しい女性の声に誘導されて、署を出て2時間足らずで、小峯桜子の実家に着くことが出来た。
小峯桜子の実家は、農家だったが、家はあちこちの農家と比較しても見劣りがするほど小さな家だった。庭先のちょっとした広場に車を停めて、秋の花に交じって雑草が生えている細道を並んで上った。
玄関枠の柱に丸いブザーのスイッチが取り付けてあった。それを1度押して、住人が出て来るのを待った。
その間、辺りの様子を窺うと、庭の端に建てられていた古い農具小屋が目に入った、
扉もシャッターも付いていない。鍬や藁の他に、旧式の耕耘機が1台だけ奥を向いて置いてあった。
「どなたですか?」
玄関戸が開くと、腫らした目をした年老いた女性が出て来た。
翔龍と久美は、警察手帳を示して、「広島中央署の松永と島村です」と自己紹介をした。
「それは、遠いところを、わざわざ、ようお越しくださったですね」と言い、家の奥に向かって、「お父さん、広島から刑事さんが来んさったよ」と伝えた。
外は寒いですからと、通された仏間は、線香の香りが立ち込めていた。
年老いた夫婦が背中を丸めて、2人が横に並んで、寂しく両手を合わせている姿が脳裏に浮かんだ。1人娘が死んだのだ。その心中、察して余り有るものがある。
翔龍と久美は、仏壇に手を合わせた後、中央のテーブルを前にして座った。
部屋の隅々には、使いもしない小荷物が所狭しと小積んであった。いつかは使うことがあるだろうと、捨て切れないうちに愛着が出て、いつの間にか埃をかぶっていった。そうした貧しい家の歴史を見た思いがした。
かつて中学校まで住んでいた翔龍の家と同じ匂いを感じた。
接待で出されたお茶を前にして、老夫婦も並んで座った。
「この度は、ご愁傷様です」と心からの弔辞を述べたら、すぐに母親が言った。
「娘を殺した犯人は、分かっとるんでしょうか?」
「それが、全くと言っていいほど分からないんです。今日は、犯人を捕まえるための情報が欲しくてお訪ねしました。どのような細かいことでも構いません。桜子さんが何か話しておられませんでしたか?」
「いいえ。あの子は、最近は、あんまり電話して来とらんもんで」
「それは、どうしてですか?」
「私が説教をするけえですよ」
「はあ」
「ギャンブルに手を出してしもうて……。何を考えちょるんか」
母親は、悔しくて堪らない様子で、テーブルの上で強く両手を握りしめた。
「高校を卒業して、看護専門学校に入りたての頃は、お金をしっかり貯めて、いい家を買って、父ちゃんや母ちゃんを呼ぶけえ、一緒に住もうねとか言うて生き生きしちょったのに……」
握りしめた両の手が震えていたのを隣で見ていた父親が、「そうじゃった。桜子は、早う夢を叶えとうて焦ちょったのお」と言った。
「何でかいの? 何で焦るんかいの?」
「多分、家に帰ったとき、貧しいままで、年老いていくワシらを見るんが辛かったんじゃ。あの子のワシらを見る目がそう言いたげじゃった」
父親は、ワシがいけんかったんじゃ、つまらんかったんじゃと喉の奥からしゃがれた声を絞り出して謝っているようにも見えた。
「博打で金が貯まる訳がない」と母親が淋しそうに呟いた。
「ギャンブルだったら、桜子さんは、意に反して、お金に困って無心に帰って来られたこともあったんじゃないですか?」
「1度だけ、そんなことがありましたねえ。私らにそんなお金があろう訳がないじゃないですか。マンションを出てアパートに替わりんさい言うて怒ったことがありましたよ」
「それで、アパートに……」
「まあ、悪いことばっかりじゃなかったですけど。何回か、儲かったからちゅうて、お土産をいっぱい抱えて帰って来たことも……」
その時の様子を、唯一、嬉しかったことのように思い出したのだろう。鼻をすすった。
「あまりいい人生ではなかったようですね」
久美が冴えない声を出した。
「そりゃあ違いますけえ」
父親が口を開いた。
「あの子は、やりたいことをやって後悔はなかったと思っちょります。……小さい時からずっと貧しい思いをして育ったけえのお」
その言葉に母親も同調した。
「そうですね。最期にやりたいことをやりたいだけやって逝ったんじゃけえ。私らより幸せな人生じゃったかも知れんで……」
最期だけはやりたいことをやって死んだと思いたいのだろう。
この2人の様子を見ていると、もしかしたら、小峯桜子は、貧乏から脱出できなくて楽しい思い出もない親を喜ばせたくて、夢を掛けて最後の博打に打って出たのかも知れない。
危険を承知で犯人に接触したのかも知れないと翔龍は思えてきた。
貧しさの連鎖から抜け出そうとして、精一杯もがいた女性のはかない人生を見たような気がした。
上根峠を南に向いて下る途中にいくつかのトンネルがある。暗いトンネルから出る時にはなおさらフロントガラスを通して差し込んでくる夕日が目に痛い。
「眩しい」
翔龍は、サンバイザーを下した。
久美はと、視線を向けると――夢を叶えることなく無惨にも殺されてしまった小峯桜子を思っているのか、その娘を失った両親を思っているのか、焦点が定まらない目が憂いに沈んでいた。
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