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【創作小説】永遠の終末(58)
(58)
それから3日が経った。
理奈に接した男への嫉妬の情念と失恋の苦悩は半減した。けれども、理奈に対してとった男の行動を忘れることはなかった。1時間を空けずに、いつも鮮明に思い出された。
そうしているうちに、似た行動をとっていた男をかつて何処かで見た記憶が蘇った。
頭髪の先だけが茶髪で、前髪を垂らして、サングラスをかけていたという外見の違いを除けば、奴の女に対するその特徴的な所作は全く同じだった。
――あれは、誰だったろう?
どこかのホテルのカウンターの前で、キャップにサングラス、口ひげという出で立ちで、若い女の肩を抱き、強く胸に引き寄せ、顔を近づけて何やらよからぬ話をしていた。
奴は、「10センチまで近づいたら、もうしめたもんで、それが9センチになっても平気になる。それからは思い通りだ」
そう嘯いて、翔龍を見た。
「俺の女房には、内緒だぞ」
笑いながらそう言った。
――あいつだ。
その時の相手の女は、ハーフコート、その下は、派手なピンクのスイートピーの花模様が散らされている薄いブルーのワンピースを着ていた。
男好きのする小可愛い顔をしていた。
――あれは、もしかしたら、……三宅ひとみさんだったかも知れない。
もしあの女が三宅ひとみだったら、どうして奴は黙っていたのか、さらには、この度の殺害事件と関わりがあるのだろうかという疑問が湧いてきた。
――何はともあれ、確かめねばならない。
休憩室で昼食後のホットコーヒーを美味しそうに飲んでいた久美を、翔龍は、外に誘い出した。
「えっ? どこに行くんですか?」
車に乗って、駐車場を勢いよく飛び出した。
「三宅ひとみさんの実家に行くと主任へ連絡をしてくれ」
「分かりましたけど、何かあったんですか?」
広島城の堀の横を南北に貫く国道を北上しながら、「ボクは、昨年、三宅ひとみさんらしき女性を目の前で見ていることを思い出した」と早口で翔龍は言った。
「ええっ!」
驚きのあまり、久美は、ショルダーバッグから取り出したばかりの携帯電話を落としそうになった。
「記憶が戻ったんですか?」
「少しだけ」
「どこで、彼女を見たんです?」
「ホテルだ」
「どこの?」
「どこかは分からない」
「一緒に泊まったんですか?」
「愚かな質問だ」
「愚かと言われても、私、何にも分からないんですけど」
「スマン。とりあえず、主任に連絡を頼む。詳細は、後で話すと伝えてくれ」
「了解です」
久美は、翔龍に教えられた通りに板垣に連絡をした。
車は、渋滞のない祇園新橋を軽快に通過した。
「もしかしたら、犯人が分かったんですか?」
「かも知れない」
「何を思い出したんです?」
「ホテルのカウンターの前で、ボクが知っている男がある女とよからぬ話をしていたのを思い出した。その女が三宅ひとみさんだと思えるんだ」
「ええっ? その知り合いの男は誰なんですか?」
久美は、目をキラキラ輝かせながら訊いてきた。
「まだ犯人と決まった訳じゃあないから、名前は言えない。まずは、あの女性が三宅ひとみさんかどうかを確かめるために行くんだ」
「どうやって確かめるんですか?」
「ボクは、その時に彼女が来ていた服を覚えているんだ。その服が家にあったら、彼女はひとみさんであろうし、服の話をすれば、ご両親も何かを思い出すかも知れない」
「以前、板垣主任がご両親に訊ねた時は、ひとみさんからは何も聞いてないということでしたが……。どんな服です?」
「ピンクのスイートピーの花模様が散らされている薄いブルーのワンピースだ」
「派手な服ですね? その服、見つかるといいですね」
「事件解決の鍵だ」
「そんなに大事なことを主任に報告しなくてもいいんですか?」
「迷ってるんだよ。知り合いを殺人犯だと告発するんだ。確固たる証拠がなければできないと思うんだ」
翔龍の顔は、興奮して赤みを帯びていた。そんな翔龍の顔を覗きこんで、「ところで、松永刑事、ここ数日間元気がありませんでしたが、どうかしましたか?」と久美が訊ねた。
翔龍は、相棒に迷惑をかけたくなくて、失恋の痛手を気付かれないように行動してきたつもりだったが、久美の目をごまかすことはできなかったようだ。
何はともあれ、それは忘れたい出来事で、さらりと流したかった。
「いや。何もない。どうしてそんなことを訊くんだ?」
「目は虚ろで、ボーとして話を聞いていないことが多々ありましたし、外を見て溜息はつくし、……特に顕著だったのは、顔ですね」
「顔が何か?」
「まるで年老いた猿の面でした」
「おいおい、冗談でも猿はやめてくれよ」
「失恋したんじゃあないですか?」
久美は、例のごとく目を細めて翔龍を見た。
――何と、鋭い。
「違う」
「相手は、誰です?」
「だから、違うって」
久美は、それ以上の追及は止めた。じっと前を向いたまま、「カワイソウ」と呟いた。
だが、「カワイソウ」の相手が本当は誰だったかは、久美しか知らない。
実家は、安佐町にある山の中腹にあって、造園用の花木を栽培して生計を立てていた。緑化ブームの波に乗って、1家はひと財産を築いていた。2階建ての大きな家の他に立派な蔵も建っていた。
数年前に甥に事業を譲って、今現在、父親と母親は、隠居生活を送っていた。
事前連絡をしていなかったが、2人は訪問を快く迎い入れてくれた。
仏壇が置いてある座敷に通されると、翔龍と久美は、位牌に対して焼香をし、手を合わせた。
「よう、お参りに来てくだいましたのう。ありがとうございます」
父親は、丁寧にお礼を述べた。
すぐに母親がお茶を運んで来て、樫で造られた大きなテーブルに並べた。
翔龍は、ひとみが来ていたであろう服の話を切り出した。
「ひとみさんは、ピンクのスイートピーの花模様が散らされている薄いブルーのワンピースをお持ちだったと思うんですが、覚えていらっしゃいますか?」
父親は、「そんな服をあの子が持っとったかなあ」と呟いていたが、母親は、すぐに思い出して、「お父さん、去年の秋に、広島の百貨店で買った服ですよ。持って来ましょう」と言った。
隣の部屋に行って、何やらタンスを開け閉めする音が聞こえて来た。
そして、「これです」と大事そうに両腕に抱えて持って来て、テーブルの上に広げた。
捜していたのは、目の前の服に間違いなかった。
――これで奴と三宅ひとみさんとは関わりがあったということは確定した。
ひとみは、この服を着て、満面の笑顔で奴を見て話をしていた。
「それにしてもいい服ですね」と溜め息交じりに久美が言った。
「娘と一緒に何軒もの専門店をはしごして、やっと見つけて買ったんです。8万円もしたんですけえ」と母親。
「8万円ですか? 高い」
久美が驚きの声を挙げた。
「……この服、1回しか着とらんのに、……高こうつきました」
母親が、ボソッと言った。
「えっ? 1回?」
「そうです。派手すぎるけえと言うて、あれからずっと、私の洋服タンスにしまっちょりました」
「どこに着て行ったか分かりますか?」と翔龍。
「何分、去年のことですからねえ。お父さん、覚えちょる?」
「……ううん。……そう言やあ、珍しくお土産を買うて帰ったわいね。あれは、ほ、保命」
「保命玉ですね? 福山駅で売っている飴玉です」
「そうそう、福山言うちょりました。ええ、ええ」
福山のホテルだ。翔龍は1度だけ行ったことがある。5年未満の若手の刑事の研修会に、翔龍と奴の2人で参加した。
奴は、福山のホテルで三宅ひとみを強く胸に抱き寄せ、今年はパルコの前で吉本理奈を強く胸に抱き寄せたのだ。
怒りに震える足で、翔龍は、三宅家を後にした。
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