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自己紹介 双極性感情障害1型 (躁鬱病)と分かった経緯


はじめまして。
ひとはこ と申します。
名前の由来は 愛煙家であり甘党なのでグリコのキャラメルなどの一箱から 採りました。
簡単に自己紹介がてら、双極性感情障害1型と診断を受けるまでの経緯を書いてみようと思います。

まずは生まれは 東北の山奥です。
私が生まれた頃、1980年代には山を降りて国道沿いのスーパーまで 健脚なばーちゃんの徒歩で片道30分以上だったと記憶してます。
なにぶん 山奥の集落の生まれなので最寄りのバス停までも山を降りて徒歩15分。
バスは1時間に一本あるかないか くらい。
なので 魚や牛乳、生活雑貨、食パンなどを積んだ移動販売トラックが集落まで週1〜2回来てくれてて。そんな環境もあり 子供の頃は新鮮な魚、特に お刺身や甘いお菓子に飢えてました。
これが40代になった今でも 抜けません。
甘党でお刺身、握り寿司、生物が大好きです。

そんな幼少期から 周りの人とのズレを多々、感じてました。
幼稚園に行けば 周りの子供が 俺が遊んでいる積み木、俺が俺用に出してきて持ってきた積み木を勝手に移動させたり 崩したりする訳です。
そりゃ 子供の私でも怒りますよ。
で、滑舌が悪くて 言葉を噛む私は
無言で ムカついた相手を殴ってました。
これは 私が生家で受けた教育そのまま。
悪い事をしたら 四六時中 殴られてました。
ゲンコツを頭の上に ゴツンとされて
「なんで殴られたか 考えろ」と。
で、子供なりに 殴られた理由をあれこれ考える訳ですが、それを「騒いだから 怒られた」とかで答える、間違った答えをすると もう一回 ゴツん と殴られる訳です。
考える力は付きましたが 理不尽極まりなく、
「先に言ってよ。殴る前に。怒る前に」って
ずーっと思ってました。
「人の気持ちを考えろ」と 何度も言われたけど 陰では人の悪口ばっかり言ってるし 矛盾してる大人達、子供達、人間ってものを私なりに見てると 意味が分からなかったのです。
生家や生い立ちはまたの機会に。
ここらで割愛。

この他人、人とのズレは思春期、社会人になると さらにデカくなっていって。
その分、歳をとり 知識や体験を踏まえて
自分なりの処世術を生み出せたけど
やっぱり 世の中、人の世は矛盾だらけで
不条理で。白でも黒でもないグレーな矛盾をはらんだ生き物が人間なのかもなって割り切れてから だいぶ楽に生きれる様になりました。

そんななか 31歳の時。
責任あるポジションを与えられて、素晴らしい上司に恵まれて 仕事でもやっと認められる環境に身を置く事ができた31歳のお盆過ぎ。
「4月になったら役職つけるからね」と言われ
お盆の支店ボーナス査定基準一位を獲った あの夏の終わり お盆休み明けの涼しい時期に
現場仕事を終えて さて事務処理の前に一服してトイレ済ませるか と職場の一階のトイレで立って用をたしてる最中に意識を失った。
後ろには個室の和式便所の壁があり タイルの床に後頭部を打つことも顔面から便器に突っ込む事も無かった様で 下半身丸出しで床に倒れ込む形で 意識を取り戻せた。
何が起こったか、まったく分からず ゾッとして冷や汗が止まらなかった。
その後、数週間は何事もなく過ごせたが、だんだんと体が重くなり 睡眠時間が長くなり 食欲も減り 無気力、食べるよりも眠りたい、起きたくない、起きていたくない日が続いてた。
繁忙期は過ぎたとはいえ年末までは仕事も詰まってて こなす日々。
ある日の夕方、現場仕事終えてロッカールームで腰が痛くなり 少し腰を休めようと床に寝っ転がった。スポーツドリンクの2リットルペットボトルを枕にして。
5分ほど目を閉じて 腰が楽になったな よし
事務処理と明日の準備だ と起きると2時間経ってた。これが2度目の意識を失う体験だった。

3度目は 年明けの1月。
年末年始、ちゃんと休み
リフレッシュできたし 遊びにも行けてた。
で、切り替えて仕事に打ち込もうと思うものの
朝礼後、営業車に乗り込み 営業に出たものの会社の最寄りのコンビニの駐車場に車を停めて
暖かい缶コーヒーを買って飲んでから記憶が無かった。
気がついたら夕方で 支店長が運転席の窓を叩いて起こしてくれた。
何が起こったか まったく分からなかった。
最寄りのコンビニという事もあり 他の社員の目撃談をまとめると 朝から車内でシートを倒してグースカ 爆睡して 窓を叩いても起きなかったと、支店長から教えられ ゾッとした。
このままでは 営業車で事故を起こしかねないと貯まってた有給を消化し自宅で療養する事にした。
その間に うつ状態になり 食事とれない 食べれない 気力がなくベッドから起きるのはトイレのみ の状態になった。
でも、不思議と熟睡できる日と 考え事して まったく眠れない日があった。
考え事としては 4月からの昇進は無くなっただろうな とか 周りに迷惑かけたなとか ネガティブな事ばかり。無限地獄みたいにグルグルしてめまいをしながら天井を眺めてた。
で、4日とか眠れないと いきなり72時間とか連続でノックダウンするみたいに眠って トイレにも起きたくなかった。
「もう もらせばいいや。どーでもいいや。疲れた。生きてく事に疲れた。22歳の時に自殺未遂を2回した時に無傷で生き残り、やれるだけ好きなだけ生きたら次は死のうって決めてたし。
31歳か。頃合いかもしれん。人殺しや車で人や物を壊さなかっただけでも 良かったとしよう」とか 考えがぬぐえなかった。
結果、有給を消化しても 風呂にも入れず 支店長がお見舞いに来た時に 汚れた姿に驚かれた。この時に支店長は 部下のメンタルヘルスケアの講習を受けてた過去があり
「ひとはこちゃん。内科や心療内科に行ってごらんよ。めんどくさいかもしれないけど、このままだと 自己治癒は難しいと思うよ。点滴とかあるしさ」と助言をもらい なんとか這う様にシャワーを浴びて翌日、最寄りの駅前の心療内科に行った結果、うつ状態だと診断される。
そして診断書をもらい会社に提出したところ休職手当で療養する事になり1年間休む事になった。その際、3ヶ月通院した結果、「うつ状態」から診断名が「うつ病」に変わり、一年後、服薬しても回復しない怒りを主治医に素直にぶつけた結果、「双極性感情障害」と診断された。
で、鬱では無く 躁鬱病と診断され 薬が全て変わって やっと 薬の効果が出だした。
ぐっすり眠れるし 食欲も出た。
結果、太った。

その後、処方されてるリーマス(リチウム)には中毒値があるとGoogle検索で知る。
机しか無い 5分 問診しかしない 日曜日にキリスト教の牧師をしてる主治医の発言内容にブチ切れてセカンドオピニオンで 転院。
転院した病院は、県警本部に電話で聞いた。
この一年の間に障害者手帳を持った私は
県警本部に電話で「県民で精神障害者がトラブル起こした時に ぶち込まれる入院設備ある病院ってどこですか?」と。

そこに転院した。
それから10年が経ったよ。

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