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【エッセイ】いくつもの世界の片隅で「ふつう」に翻弄されていたら、ロンドンに辿り着いていました。

昨日(2020年8月12日)に「母校を買収した」経歴を持つ仁禮彩香さんが東洋経済オンラインに取り上げられ、Twitterでも「母校買収」として話題になっていました。

「在学中に母校を買収する」経験を持つ人は世界でも稀でしょう。彼女は私と年齢が同じでありながらご活躍なさっていて、非常に尊敬せざるを得ません。
一方で、この仁禮さんの記事をあるnoteと比較しているツイートもありました。

そのnoteがこちらです。

長崎県から海外大学を目指し始めた17歳の女性が書いた記事です。おそらく私が17歳の時にはこんな記事を書けなかっただろうと思わされる一方で、読みながら筆者のご経験を自分のそれと重ねてしまいました。二番煎じで恐縮ながら、この記事(本稿においては「件の記事」と呼称します)と同じような文章を、僭越ながら私の体験に基づいて書いてみたいと思います。

出生から保育園まで

私の出身は群馬県高崎市です。県庁所在地ではないものの県下では最大の都市で、東京から新幹線で約1時間。そう考えると幾分かは「都会」に感じますが、実家は市街地ではなく郊外で、文化的には東京からほとんど隔絶されていました。

両親は開業医で、父親は博士号を保持。専門職ですから社会科学的には「中流階級」でありながらも、地域社会においては「エリート」に分類されるでしょう。一人っ子ということもあり、周囲からは「跡継ぎ」として、将来を勝手に決めつけられながら育ちました。私が気に入らなければ父親は診療所のレントゲン暗室に私を監禁して、母親は首を絞めてきました。高校生になるくらいまで、どこの家庭でも親は子供を監禁したり首を絞めたり知るのが「ふつう」だと思って育ちました。

両親が共働きということもあり、幼少期を過ごしたのは幼稚園ではなく「保育園」でした。件の記事において筆者が述べているとおり、確かに保育園の同級生にはお世辞にも知性や品性が備わっていると言えませんでした。小中学校に進学してから幼稚園を卒業した同級生と比較しても、やはり保育園での同級生は進学状況や学習意欲・態度が高いとは言えず、むしろ「落ちこぼれ」に分類されることが多かったと記憶しています。そして、言いたくはありませんが、社会資本や文化資本に大きく関係する家庭環境も、やはり保育園卒業の同級生は幼稚園卒業の同級生に比べて、劣る傾向が多かったように思えます。

小学校から中学校まで

小学校と中学校は地元の公立校に入学しました。もっとも、実家からの通学圏内に「受験する小学校」というものが存在しませんでした。

同じ保育園から同じ小学校に入学したのは私を含めて6名のみで、他は新たに出逢う同級生ばかりでした。幸いにして勉強で「落ちこぼれ」になることはありませんでした。ただ、3月生まれで4月生まれの同級生とは約1年のハンデがありますから、常に体育は苦手な科目でした。
小学校は「勉強を教える」場所でありながら、「勉強できる」ことは大して褒められず、むしろそれ以外の要素が児童間の人間関係において重視されます。もっとも、この傾向は小学校に留まらず、ともすれば社会一般においても「勉強はできても運動ができないと……」と貶されることは多いのに対して「運動はできても勉強はできないと……」と皮肉を聞くことがないことからも、日本社会の多くの空間において共通する傾向かもしれませんが、その土壌は小学校教育において形成されているように思えます。

当然ながら公立小学校に「退学」や「除籍」はありません。つまり、他の児童をいじめても、学費や給食費が払えなくとも、不貞不貞しく居残り続けることができます。私を鉛筆で刺したり、私の私物の文房具を折ったりした児童も、私と同じ小学校に居座り続け、あろうことか1・2・4年生の3回も同じクラスにされてしまいました。
ペナルティがない以上、児童は問題を起こしたところで受ける「制裁」は教師や保護者から「怒られる」くらいです。つまり、私に暴力を振るったり、私の私物を破壊したり、私の人権や尊厳を無視した言動を繰り返したりする相手がいる学校に、翌日も通い続けなければならない毎日でした。

もっとも、「両親が開業医の一人息子」でありながら、なぜか小学校1年生のクラスで、「従兄姉のお下がり」の鍵盤ハーモニカや色鉛筆セットを使わされたのは未だに解せません。

中学校も、そのまま持ち上がりで公立校に入りました。「中学校受験」という選択肢も一応はあったものの、実家から通える範囲にあったのは不便な電車で時間を掛けて通わなければならない私立中学校(新島学園中学校)と、「極めて狭き門」の公立中高一貫校(群馬県立中央中等教育学校)のみ。関東地方でありながらも、「中学受験」は一般的な選択肢ではありませんでした。
一応は後者の公立中高一貫校の受験を考えたものの、自分と同じ公立高校(群馬県立高崎高等学校)に通わせたかった父親に怒鳴りつけられられたり、脅されたりしながらの勉強が、実を結ぶことはありませんでした。
(今から考えてみれば、紛れもなく「ドメスティック・バイオレンス(DV)」ですね。もちろん、父親がDVについて謝ったことは今まで一度もありません。)

地元の群馬県においてそこそこ勉強ができる子どもたちの「ふつう」は公立中学校から県下トップクラスの公立高校(群馬県立高崎高等学校、群馬県立高崎女子高校、群馬県立前橋高等学校、群馬県立前橋女子高等学校)を受験することです。実際に県庁や地方銀行で出世するのも、これらの高校の卒業生です。

私の出身中学校には、中学校校区内に所在する小学校3-4校の卒業生が入学してきます。隣の小学校校区内には、件の記事において言及されているような「市営住宅」「県営住宅」がありました。また、同じ保育園の同級生と久しぶりの再会がありました。小学校に入学したときは「なぜ同じ保育園から同じ小学校に入学した同級生が少ないのだろう」と思っていましたが、この記事を書いていてその理由に気づきました。「保育園に子息子女を通わせていたのは、隣の小学校校区内にある市営住宅・県営住宅の家庭」だったからです。
そして、あまり言いたくはありませんが、小学校に比べて「同級生の社会階層の平均値が低くなった」、誤解を恐れずに言えば「民度が下がった」ことに、中学校1年生の私は気づきませんでした。

つまり、先ほどの「私に暴力を振るったり、私の私物を破壊したり、私の人権や尊厳を無視した言動を繰り返したりする相手」がレベルアップして、しかも小学校3-4校から集まってくるのですから人数も3-4倍になったのです。さらに、もともとは「荒れていた中学校」ということもあって、教職員も「パワー系」がほとんどでした。例えば、学年主任は何かあれば罵声や暴力が当たり前で、保護者が追求しても怒鳴り散らすような「人格破綻」を指摘せざるを得ない人物でした。教務主任の体育教師も、理由をつけて生徒に腕立て伏せをさせる人物でした。
どうやら、今では自衛隊や防衛大学校でも「罰として腕立て伏せ」ははしていないなのに、いったい私の出身中学校は刑務所か少年院だったのでしょうか。
(なるほど、私は既に「院卒」だった……?)

今だから公言できますが、中学校3年生の後期は何かと理由をつけて、学校を休みがちでした。そして、ついに父親も自分と同じ高校に通わせることを半ば諦め、一応は受験したものの落ちて、滑り止めの私立高校(東京農業大学 第二高等学校)に入学しました。

高校入学から卒業まで

小中学校に比べると、高校は楽しいものでした。私と同じように県下トップクラスの公立高校(群馬県立高崎高等学校、群馬県立高崎女子高校、群馬県立前橋高等学校、群馬県立前橋女子高等学校)の受験に失敗して入学してきた同級生も多く、はじめて「勉強していてコケにされない」空間に出逢いました。もっとも、「モテる」のは相変わらず部活で活躍していたり、背が高かったりする人物でしたが、それでも「成績が高ければ尊敬される」、特に自分の好きな科目で高い偏差値を叩きだしたときには周りから口々に「凄いね」と言われる場所でした。言い換えれば「一定の民度が保たれていた」のです。

一方で、私立高校で学費も公立高校よりは高いはずで、今から振り返ると「県営住宅」「市営住宅」に住んでいた同級生はいなかったように思えます。ただ、山間部からはるばる通学してきた生徒はいて、例えば「部活が必須」の中学校から進学してきたり、2014年の豪雪で実家が孤立して陸上自衛隊のUH-60JA多用途ヘリコプター(第12ヘリコプター隊 第2飛行隊 所属)が地元の中学校に災害派遣で飛んできたりするような同級生もいました。

また、学年の一定数は推薦入試で入学していることもあり、彼らはコミュニケーション能力に長けていたり、部活に精を出していたりと「勉強」だけではない一種の「ダイバーシティ」がありました。そのような中で、例えば遊びが上手い男子や、美容やファッションへの感度が高い女子もいました。
しかし、そうは言ってもせいぜい週末に市街地で遊ぶか郊外の大型ショッピングセンターに行くのが限界で、たまに長期休暇(夏休み・冬休み・春休み)や連休を利用して東京都内や東京ディズニーリゾートに行ける程度でした。

その中でも、私はまだ土日を利用して東京都内や横浜市内に遊びに行ったり、長期休暇や連休に北海道や九州・沖縄に1人で旅行したりと、同級生に比べれば機動的・冒険的に動き回っていました。それでも、例えば高校で米国への派遣プログラムがあっても、応募を考えることはありませんでした。

そのまま、特に何を挑戦することもなく高校3年生になり、大学受験を迎え、もともと安全保障や防衛政策に興味があったことから、東京都内の大学を受験して、学習院大学と法政大学の法学部政治学科に一般入試で合格しました。いわゆる「GMARCH(学習院・明治・青山学院・立教・中央・法政)」と呼ばれる偏差値帯の大学で、その上には慶應義塾大学や早稲田大学がありますが、これでも高校の同級生では「勝ち組」に分類される受験結果でした。
(同じ高校から、「早慶(早稲田・慶應義塾)」と呼ばれる私立大学や「旧帝大」と呼ばれる国立大学に進学するのはそれぞれ片手で数える程度でした。)

そういえば、余談ながら、高校2年生のとき、母親に「産まなければ良かった」と面と向かって言われたことがありました。

学習院大学 入学から中退まで

そして進学先に学習院大学を選び、入学した直後、「学習」院大学でありながらも、「真面目な学生が指を差して笑われる」現実に直面しました。そして、かなり端折りますが、最終的に適応障害を発症して退学を余儀なくされました。
この辺りは別の記事にまとめたので、とりあえずリンクを貼り付けておきます。

キャンパスで大きな顔をしているのは「学んでいる学生」ではなく「遊んでいる学生」。つまり、授業ではなくサークルに精を出し、図書館ではなくクラブや東京ディズニーリゾートに通い詰めている学生。もっとも、前提として「遊ぶお金」がなければなりません。

大学進学のときに苦労したのは「経済格差」でした。厳密に言えば実家の家計ではなく、手元にある「可処分所得」の格差です。というのも、実家から学習院大学に通学する時間(片道で新幹線通学なら約2時間、在来線なら約3時間で、乗換・乗継を考えればそれ以上)や体力、そして運賃を考えれば都内で一人暮らしをするのが圧倒的に合理的で、北関東出身者は実質的に「同じ関東でありながら東京の大学に進学すると一人暮らしを強いられる」地理的条件にあります。

しかし、ここで「小学校入学時に鍵盤ハーモニカを買ってくれなかった」父親の貧乏性が災いしました。相談なく決められた生活費は「月額5万円」。
この「生活費」とは、主に食費、交通費、消耗品費、接待交際費、服飾費を含んだ金額です。日割りで1,667円で、当時の自宅から大学まで片道IC運賃で377円、つまり往復で754円です。すると、食費や接待交際費で1日913円のみ。1,000円のラーメンを1日1杯すら食べられませんでした。女性とのデートで奢ったり、サークルで東京ディズニーリゾートに行ったりするなんて、夢のまた夢。

おかげで、「まともに食事すると学校に行く交通費すら出せない」「サークルの飲み会に顔を出すことすらできない」状態でしたが、何度父親に相談しても、「やりくりしろ」「節約しろ」の一点張り。絶対量が足りないのに、いったい何をどうやって「節制」に励めば良かったのでしょうか。節約のために定期券を買おうにも、そもそもその手元資金すらありませんでした。

そういえば、大学の入学式に「高校の制服があるだろう」「学生なんだから学生服で行け」「自分のときはそうした」とすら言われました。大学の入学式で高校生のコスプレをしなければいけない理由があるのでしょうか。

高校は制服でしたから、持っていた私服も5着程度。しかも地方出身者故に「ダサい」。学校に馴染めるように服を買おうにもお金がなく、父親も「UNIQLOで我慢しろ」と。もっとも、UNIQLOすら買うお金はなかったのですが。結果、洗濯が追いつかず「服が足りないから学校に行けない」という事態にすら陥ったり、着回す服もなく「いつも同じ服を着ている」と蔑まれたりすることもありました。
髪を切ろうにも「節約のために1,000円カットに行け」と言われました。
他の学生は髪を明るく染めていたり、パーマを掛けていたりしているのに、一人だけダサい髪。そして、なけなしの交通費を出して学習院大学に行っても「キモい」と蔑まれながらの日々。

1日1食で体力がなかったり、交通費すら出せなかったり、服が足りなかったりするだけでなく、ついに精神的に通学すらできなくなりました。1年生が始まったばかりの5月や6月のことです。夏休み前の試験の時点で、もはや学校に行く交通費も服も体力も気力も、ありませんでした。

私の場合は極端なものでしょうが、それでも地方出身で「一人暮らし」の学生は、やはり「実家暮らし」の学生に比べて圧倒的に可処分所得が少ないはずです。しかも、実家で暮らしていれば、例えばサークルの飲み会で資金を使い果たしても、家に帰れば温かい食事が用意されていたり、消耗品や家電製品だって実家のものを使えます。消耗品の在庫が尽きたり家具・家電製品が壊れたりしても、おそらく家族が買ってくれるでしょうし、その費用が彼らに請求されることも、基本的にはないでしょう。それでも、地方出身者は東京に出てきて一人暮らしをしなければなりません。地元に「まともな大学」「興味のある学部・学科のある大学」がなければ、そうするほかないのです。

そして、学習院大学においては最低でも7割、おそらく約8割の学生が実家から通学していると推測されます (下記、検証フローをご参照ください)。

検証フロー: 
学習院大学のデータは検索しても出てきませんが、東京大学の「学生実態調査」によると、2018年時点で69.7%の学生が東京都もしくは関東地方の出身でした [東京大学, 2018, p. 39]。もっとも、「関東地方」には私のように通学圏外の北関東出身者もいるでしょうし、東京大学であれば「わざわざ他の地方から入学する」ケースも多いでしょうから、他の大学のデータも参照してみます。

慶應義塾大学の一般入学試験の合格者のうち、1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)に所在する高校の出身者は約72.8% [慶應義塾大学, 2020]。早稲田大学も約72.9% [早稲田大学, 2020]。もちろん、この中には1都3県と言えども実家が島嶼部や山間部にあるケースもあるでしょうし、そうでなくとも、例えば千葉県から慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスに通うことには無理がありますから、この全員が実家暮らしとは限りません。
もちろん、これは「合格者」であり、実際の「入学者」とは異なりますが、実態として「慶應義塾大学や早稲田大学において約7割の学生は実家から通える」と考えられるでしょう。しかも、こちらも東京大学と同じく「わざわざ他の地方から入学する」ケースも多いであろう慶應義塾大学と早稲田大学です。「GMARCH」と称される他の大学と比べても、地方出身者の比率は高いことでしょう。

さらに、明治、青山学院、中央、法政の各大学は一般入試の会場を地方に設けているのに対して、GMARCHにおいて立教大学と学習院大学はキャンパスで実施するのみ。受験機会の分布を考えれば、GMARCHでも立教大学と学習院大学は一般入学試験の受験者および合格者において、将来的に一人暮らしを強いられる地方出身者の比率はさらに低い(実家暮らしの比率がさらに高い)と推測できます。

また、上記のデータは「一般入学試験」の割合です。この他にも、指定校推薦、AO、内部進学といった入試形態があり、大学が予め出身高校を指定できる指定校推薦はともかく、「AO入試でネタにできる」経験は地方部より都心部が積みやすく、さらに内部進学ということは出身高校もかなり限られ、その多くが1都3県に所在しています。
(もっとも、早稲田佐賀高等学校や早稲田渋谷シンガポール校のようなケースもありますが……。)
なお、学習院大学が公表しているデータによると約11.2%の学生が「内部進学」のようです [学習院大学, 2020]。

そこで、大雑把ではあるものの、学習院大学の7-8割の学生によって、キャンパスが実家からの通学圏内にあると結論づけられます。
(一応は「実家から通えるけれど一人暮らしをしている」ケースも想定できますが、そのようなケースは往々にして「必要に駆られて」ではないはずで、論点となっている可処分所得に影響はないとして省略します。)

要するに、学習院大学において「実家暮らし」はマジョリティで、「一人暮らし」はマイノリティです。しかし、性別のように顕在的な差ではなく、しかも、実家暮らしの学生によって「一人暮らし」は「理解しにくい」境遇で、さらに金銭的な事項ですから一人暮らしの学生も「こういった事情でお金がない」と説明することも心理的に容易ではありません。したがって、「一人暮らし」学生の境遇が「実家暮らし」学生に配慮されることはありません。つまり、「一人暮らし」学生であっても、例えば飲み会の会費が減免されるわけでもなければ、サークルへの参加が少なくとも許されるわけでもありません。例えば周りで一人だけ東京ディズニーリゾートに行けなくとも、「彼(女)は一人暮らしだから」と誰が気を遣ってくれるわけでもないのです。

そして、あるとき、当時在籍していた学習院大学ヨット部において、幼稚園から大学(法学部法学科)まで学習院という経歴を持つ女性の先輩(2年生のマネジャー)が飲み会で、躊躇いなく言ってきました。

「育ちが悪い」

毎日のようにオシャレな服に包まれ、美容院に通い、親から「遅くなったらタクシーで帰宅しなさい」とすら言われていた彼女にとって、地方出身でお金もない私は「ゲテモノ」だったのでしょう。しかも、「いろいろな会社のおじさんに会って奢って貰っている」と豪語していましたから、男性とは「お金がある存在」との認識だったのでしょう。
(もっとも、後日に彼女をマッチングアプリの「Tinder」で見つけたときには乾いた笑いが出ました。いまでは"「徴用工裁判」で話題の某鉄鋼メーカー"で周囲の同僚や上司にたかっているのでしょうか……。)

初めて見た「私立小学校の出身者」を前に、「育ち」という自分にはどうしようもない事項を論われ、もはや為す術もありませんでした。しかも、考えてみれば首都圏の中学生や高校生は学校帰りに渋谷や原宿に行けるのです。地方の中高生は週末に郊外のショッピングセンターがやっとなのに。

そういえば、高校生のときは北海道から沖縄まで旅行したことがあったものの、あいにく海外旅行をしたことがありませんでした。そのことを、英語のクラスで同じだった、初等科(小学校)から大学(法学部政治学科)まで学習院という経歴を持つ男性の同級生に話すと、ニタニタと笑い、目をかまぼこのようにしながら他人を見下せるのがさぞ楽しそうな顔で言ってきました。

「恥ずかしいな(笑)」

そう、学習院大学において「外国を訪れたことがない」のは「恥ずかしい」ことだったのです。確かに、私が入学した2016年は「国際社会科学部」が新設されたばかりで、学内に「国際的であることを是とする」空気が流れていました。それでも、他人の旅行経験を論って「恥ずかしい」とするほどとは思いも寄りませんでした。確かに、学習院大学の同級生はTwitterやInstagramに、当たり前のように海外旅行の写真を載せています。プロフィール欄に今までの旅行先を列挙しています。しかも、ビジネスクラスどころか堂々とファーストクラスに乗っている同級生もいました。

「アルバイトをすれば良かったのに」と言われるかもしれません。確かに、当時も私はアルバイトをしていました。しかし、大学生が稼げる金額なんて、誤解を恐れずに言えば「たかが知れている」のが現実で、もはや「アルバイトするために生きている」状態でした。しかも、アルバイトで稼ごうとするほど、勉学に充てたい/充てるべき時間や体力・気力は失われていきます。
だいたい、学費を考えても、大学生の「1時間」の価値なんて本来的に「1,000円ぽっち」じゃないはずです。学業が本分のはずなのに、「大学生はアルバイトをして学費や生活費を稼いで当たり前」のマインドセットが根本的におかしいのです。
しかも、実家から通学している学生はアルバイトをしなくとも実家での生活が保障されている時点で、時間や体力・気力で圧倒的なアドバンテージの差があるわけです。彼らにとってアルバイトは「遊ぶお金を片手間に稼ぐ」程度のもので、生活費を稼ぐために必死に働かなければならない私とは、そもそもスタート地点が違いました。それに、大学生がアルバイトして、同級生と同じファーストクラスやビジネスクラスに乗れるとでも言うのでしょうか。

いずれにせよ、実家から通学している学生にとって「当たり前」の生活すらできていないことを理由に、私は「最下層」としての扱いを受けることになったのです。
もちろん、これは単に地方出身だとか一人暮らしという要因以前に、いわゆる「毒親」の貧乏性に付き合わされたことにも起因しています。地方から地方の理系大学を経て、就職活動もなく診療所を開業した父親にとって、「都会の私立文系大学生」の生活や「学生時代に力を入れたこと(いわゆる「ガクチカ」)重視の採用」の現実は想像できないようです。就職活動で企業が採用していくのも「勉強していて成績が高い学生」ではなく、残念ながら「サークルで遊んでいてコミュニケーション能力が高い学生」です。
その結果、「都会の私立文系大学生への想像力が欠如した両親」と「地方出身者の生活実態への想像力が欠如した学生」の狭間で、私は困窮していったのです。

そして、私は学習院大学に適応できなくなりました。ヨット部でのハラスメントや、その後の内部告発もあって適応障害を発症。遂に、休学を経て退学に追い込まれました。この辺りの経緯は長くなるので、先ほども取り上げたこの記事に書いてあります。

しかし、考えてみると、仮に仕送りがさらに5万円多かったとしても、大学4年間で240万円。10万円でも480万円。後者ですら、学習院大学からの退学を強いられてロンドンの大学に入り直してから要した費用(学費、航空運賃、現地生活費ほか)よりも安く、開業医の両親に出せなかった金額とは到底思えません。結局、私は「毒親」の「貧乏性」に付き合わされて、青春を浪費させられたのでした。

本当に貧乏な家庭なら、幾分か諦めがつくでしょう。同級生が彼女にデートで奢っていたり、入場料が約8,000円の東京ディズニーリゾートに友達と遊びに行っていたりするのを我慢しなければならないのも、悔しいながら理解できるでしょう。しかし、私の場合は、そこにあったはずの「青春」に手が届きそうなところで、父親の貧乏性に無理やり押さえつけられて、その「青春」を周りの同級生が謳歌しているなかで、指を咥えてみていることを理不尽にも強いられたのです。
(どうやらこれは「金銭的虐待」もしくは「経済的ドメスティック・バイオレンス」に分類され得るようですが、当然ながら父親は頑なに認めません。また、もちろん父親が謝罪することもなく、いまでも謝罪を求めれば激昂して怒鳴り散らします。)

そして、私は「ハラスメント地獄」だった学習院大学を辞め、ロンドンにある大学に入り直すことを決意しました。いや、そうせざるを得ませんでした。今さら日本の大学に入り直したとしても、「大学1年生」が「高校4年生」の実態を鑑みると年齢が離れていれば「悪目立ち」するのは明らかで、年齢的にも極めて不利な就職活動を強いられることにもなります。もはや海外以外に、進路はありませんでした。

ロンドンで

英国の高等教育システム上、留学して最初の1年間は外国人留学生向けコース(International Foundation Course)に入らなければなりませんでした。もっとも、学習院大学で取得した単位を引き継げばこのコースに通わなくても良い場合もありますが、先述の記事に書いたとおり、私は学習院大学でハラスメントを受けて退学しました。そのような大学で得た単位を、あいにく引き継ぎたいとは、お世辞にも思えません。

そこで、昨年(2019年)夏に、私はロンドン大学 東洋アフリカ研究学院 (SOAS University of London)に設置されている外国人留学生向けコース(International Foundation Course)に入学しました。英国とは高等教育システムが異なる国からの留学生が入るコースなので、英国およびその旧植民地以外の、日本、中国、韓国、アラブ諸国、欧州諸国といった国々からの、国籍・人種や年齢の異なる同級生と出会いました。

また、ロンドン大学 東洋アフリカ研究学院 (SOAS University of London)は、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London)やキングス・カレッジ・ロンドン(King's College London)といったカレッジと同じ「ロンドン大学(連合) (University of London)」の一角を成しており、前述のカレッジに通う日本人留学生との付き合いも当然に生じます。

彼らにバックグラウンドを聞くと、最低でも首都圏の中高一貫校や難関公立高校(例えば、いわゆる「都立御三家」と呼ばれる東京都立高校)の出身。インターナショナルスクールや在外教育施設(日本人学校のみならず、日本にある私立学校の現地分校も含む [文部科学省, 2019])を経て入学している学生も多く、私のように「地方の高校を卒業して入学した」ケースは稀に感じます。

幸いにして、学習院大学入学時および在学中に、父親から受けた経済的虐待もしくは経済的ドメスティック・バイオレンスと学習院大学からの退学の因果関係を突き付けたら、父親は「チッ」と舌打ちしながらも学費や生活費を支払うようになったものの、それでも父親の気分次第ではいまでもメールで八つ当たりされたり、支払を拒否されて納入期限に間に合いそうになかったりすることが何度もあります。

これから

あくまで父親から、その貧乏性に付き合わされて理不尽にも大学適応を阻まれた「埋め合わせ」として、学費や生活費が不足および遅滞なく支払われることを前提としていますが、今後もロンドンの大学で勉強を続けたいと考えています。おかげさまで、Times Higher Education世界大学ランキング2020で東京大学と同じ36位のKing’s College London (キングス・カレッジ・ロンドン)からも入学オファーを得られました。

ロンドン大学 東洋アフリカ研究学院(SOAS University of London)もキングス・カレッジ・ロンドン(King's College London)も、Times Higher Education世界大学ランキングやQS世界大学ランキングにおいては学習院大学とは比べものにならない評価を得ています。
また、King’s College London (キングス・カレッジ・ロンドン)世界で唯一「Department of War Studies(戦争学科)」を擁しており、かねてから私が興味関心を寄せている安全保障や防衛について学術的に取り組むなら、世界で最も優れた教育研究機関の一つです。また、米国のジョージタウン大学やフランスのパリ政治学院(Sciences-Po)といった世界の名だたる教育研究機関への交換留学プログラムもあります。

また、こちらは奨学金を得てのものになるでしょうが、卒業後は大学院修士課程で国際関係学や公共政策学を勉強したいと考えています。この記事では理由を割愛しますが、今のところシンガポール国立大学(National University of Singapore)のリー・クアンユー公共政策学院(Lee Kuan Yew School of Public Policy)に魅力を感じています。やっぱり安全保障や防衛政策が関心事項であり、その業界で「スペシャリスト」「有識者」と呼ばれる人材になりたいと思っています。

「ふつう」って何だろう

振り返ると、各ライフステージにおいて「ふつう」の概念に振り回され続けてきたように思えます。

実家では、親が子供を気に入らなければ監禁したり、首を絞めたりすることが「ふつう」でした。でも、おそらく日本社会の「ふつう」において、それは虐待やドメスティック・バイオレンスに分類されます。あと、父親にとって「謝らない」「非を認めない」「頭を下げない」ことも「ふつう」のようです。その「ふつう」に、私は耐えられる自信がありません。

保育園の同級生たちで、4年制大学に進学した人を私は寡聞にして存じ上げません。おそらく、彼らの「ふつう」は高校(や、その後に進学しても短期大学や専門学校)を卒業してすぐに働くことでしょう。確かに、彼らは早く社会に出て自動車ディーラーに就職したり、消防士や美容師になっています。もちろん、それはそれで立派だと思います。
しかも、なかでも本当に悲惨な家庭環境だった同級生は、そもそも成人式や同窓会にすら出席していませんでした。
しかし、この「ふつう」で生きたいとは思えませんでした。

小中学校において、暴力やいじめが「ふつう」でした。「従わない相手に言うことを聞かせるなら、暴力以外にどんな手法があるんだ!」と、そもそも前提からして倫理的に大きく間違っているであろう主張を豪語している同級生もいました。先述の通り、教職員においても暴力や罵声、体罰や人格否定が「ふつう」でした。「ふつう」は生徒に人権や尊厳なんてありませんでした。
そして、当時の同級生も、ある程度は保育園の同級生と重なる進路を歩んでいます。そうでなくとも、成人式で周りに訊いた限りは国立大学なら東北大学、私立大学なら上智大学で「高止まり」で、東京大学や慶應義塾大学・早稲田大学に進学した同級生はいませんでした。
でも、この「ふつう」にも違和感を感じるのです。

高校において、「勉強しているやつは立派」なのが「ふつう」でした。書類で向学心を評価されていたり、貼り出された偏差値を友達に称えられたりするのが、本当に嬉しかったことを覚えています。きちんと努力が認められ、ある程度は(男子更衣室がなかったり、仕方なく教室で着替えていたら女子生徒が何の遠慮もなくズカズカと入ってきたり、それで揉めたりしたことはありましたが――)人権も尊厳も認められる空間でした。そして、いわゆる「良い大学」を目指すことが、「(自称)進学校」なりにも「ふつう」でした。
高校3年生のクラスを振り返ると、確かに一部は陸上自衛隊に入った同級生もいましたが、大半が「日東駒専(日本、東洋、駒澤、専修大学)」呼ばれる偏差値帯の大学から先述の「GMARCH」に入りました。学年からも、「早慶(早稲田・慶應義塾)」と呼ばれる私立大学や「旧帝大」に進む同級生が、それぞれ片手で数えるくらいにはいました。
ようやく、なんとか受け入れられる「ふつう」に出逢えました。

学習院大学において「ふつう」とは、1都3県の出身であることと、学生ながらファッションや旅行にお金を使うことでした。また、いわゆる「内部進学(学習院高等科・学習院女子高等科からの進学)」だけでなく、他の高校からの進学であっても、私立中高一貫校や都立難関高校を卒業した同級生が多かったように思えます。でも、「私立小学校出身」はちょっと凄いくらいに思われていたように感じます。
また、学習院大学入学時および在学中において、私は父親の「ふつう」に付き合わされ続けました。地方から地方の理系大学を経て、就職活動もなく診療所を開業した父親にとって、学生の「ふつう」の姿とは、恋愛やサークルといった「邪念」を振り捨て、勉強に専念して、ひたすら貧乏な生活に耐え続けることだったようです。
この学習院大学で求められた「ふつう」と、父親から許された「ふつう」の板挟みになって、私は学習院大学で本当に惨めな学生生活を強いられ、ついぞ退学に追い込まれました。
あの「ふつう」に馴染みたかった。

そして驚くべきことに、ロンドン(の日本人留学生コミュニティ)において「ふつう」とは、難関の中高一貫校や都立高校やインターナショナルスクール・在外教育施設を卒業していたり、休みのたびに海外旅行したりすることです。私立小学校出身も、もはや驚くべきことではありません。しかも、InstagramやFacebookを見る限り、ビジネスクラスや高級ホテルを利用していますから、その旅費も決して安くはないはずです。
とんでもない「ふつう」に来てしまいました。でも、ここしか私が生きられる場所はありません。

将来の進路を考えるときに、周囲から安全保障や国際政治といった界隈の研究者を調べたり、幸いなことにご紹介いただいたりすることがあります。彼らの姿を見ていると、最低でも「修士号取得」が「ふつう」に思えてきます。確かに、シンクタンクや教育機関で研究するとなると、最低でも修士号が「スタートライン」で、博士号を取ってようやく認められるわけですから、そういった学位を保持することがアカデミアの世界において「ふつう」でしょう。
この「ふつう」に到達するために、いまは研鑽を重ねています。

それでも、まだ学生です。毒親であっても、しばらくはその金銭的なコントロールの下に置かれるでしょう。その「ふつう」に付き合わされ続けるのでしょう。

いまは幸いにして、実家を離れて一人で暮らしていますが、父親は事あるごとに地元に帰ってくるように言ってきます。いままでの虐待やドメスティック・バイオレンスを指摘したり、実家に帰ったときに人権や尊厳が軽々しく扱われたりすることを理由に拒否しようとしたりしても「そういうのは良いから」と言って、聞く耳を持ちません。もちろん、過去の虐待やドメスティック・バイオレンスについて指摘するたびに「逆ギレ」します。謝罪を求めようものなら、当然の如く怒鳴り散らします。
先述の通り、「謝らない」「非を認めない」「頭を下げない」のが父親にとって「ふつう」なのでしょう。

でも、私が地元で経験した「ふつう」から抜け出せたのは、両親が開業医という「ふつうじゃない」家庭環境だったからなのも、また確かではあります。おそらく、「ふつう」の家庭環境なら、「ふつう」の呪詛から逃げられていませんでした。

「ふつう」に奔走され続けたから、ちゃんとした「ふつう」で暮らしたい、でもそれだけじゃなくて

様々な「ふつう」に翻弄されたことが私の22年における一つの特徴かもしれません。

中には適応しなくても良い、もしくは適応しなくて良かった「ふつう」もありました。法律も倫理も無視され、人権や尊厳を容赦なく蹂躙された「ふつう」に適応してしまうことこそ、むしろ本来の意味で「ふつうじゃない」でしょう。
(少なくとも私の価値観において、「ふつう」じゃありません。)
多大な接待交際費を要する「ふつう」も、ちょっと大変です。"育ちが悪い"私は自分にお金を使いたいのが本音です。でも、辿り着きたい「ふつう」もあります。手に入れられなかった「ふつう」もありました。

つまり、すべての「ふつう」に自分を合わせていく必要はない一方で、やっぱり合わせたい「ふつう」もあります。だから、やっぱりちゃんとした「ふつう」で生きられるように成長しなければならないと、改めて感じました。
それに、もし自分が結婚したり、パートナーが子供を産んだりしたときに、その「ちゃんとしたふつう」で彼らと幸せに暮らせるようにしなければならないとも思わされます。

そして、大学院修士課程を修了したら、安全保障や国際政治といった分野で、社会に貢献するときが来るかもしれません。世界には紛争が「ふつう」の地域があります。ソ連製自動小銃が「ふつう」に出回っている国があります。我々からしたら「世界の片隅」ですが、彼らにとっては「世界の中心」です。そして、こんなのが「ふつう」であってはいけない。
世界の大部分において、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済といった「普遍的価値」は、世界の大部分において「ふつう(普遍的)」ではありません。しかし、この普遍的価値こそ「ふつう」でなければならない。地政学的には「世界の片隅(リムランド)」の国々ほど「普遍的価値」を実現しているように思えますが、本当なら満遍なく普及する必要があります。

一気にレイヤーが変わってしまって恐縮ですが、「ふつう」に翻弄されて、いつの間にか日本国外にまで来てしまった立場だからこそ、片隅とか中心とか関係なく、世界規模で「ふつう」を考えなければならない気がします。

あとがき

なんだか思うままに書いていたら、脈略のない記事になってしまいました。しかも約15,000文字。字数だけならちょっとした論文ですね。いろいろリサーチしながら書いたので、気づいたら6時間くらい掛かっていました。

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もしかしたら有意義な情報を提供できるかもしれません。特にロンドンの美味しいお店とか。

文献目録

学習院大学, 2020. 学部・学科、大学院研究科、専門職大学院の志願者・合格者・入学者数の推移. [オンライン]
Available at: https://www.univ.gakushuin.ac.jp/about/R02_2-2-5.pdf
[アクセス日: 2020年08月14日].

慶應義塾大学, 2020. 2019・2020年度 一般選抜 統計総括. [オンライン]
Available at: https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/files/2020/5/8/toukei-2020.pdf
[アクセス日: 2020年08月14日].

早稲田大学, 2020. 出身高校所在地別状況. [オンライン]
Available at: https://www.waseda.jp/inst/admission/assets/uploads/2020/07/2020_2.pdf
[アクセス日: 2020年08月14日].

東京大学, 2018. 2018年 学生生活実態調査報告書. [オンライン]
Available at: https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400131321.pdf
[アクセス日: 2020年08月14日].

文部科学省, 2019. 認定した在外教育施設の一覧. [オンライン]
Available at: https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/002/002/001.htm
[アクセス日: 2020年08月14日].

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