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なぜ、僕はパーソナルトレーナーになったのか?

こんにちは。
渋谷、大宮で3店舗のパーソナルトレーニングジムを経営している、岡崎秀哉(@hide_sharez)です。
仕事を始めて10年以上立ちますが、このタイミングで「なぜパーソナルトレーナーという仕事につき、ジムをオープンしたのか」などこれまでの経緯を振り返ってみようと思います。
この記事は、パーソナルトレーナーの仕事に興味がある方、フィットネス業界の仕事に興味のある方はもちろん、将来したい仕事についてお悩みの方、転職を考えている方など、仕事や仕事の選択について興味がある方にも何らかの参考になるかもしれません。
ちなみにですが、こういったものは自分でいうのもなんですが、後付け的に無理やり紐づけた感じも少なからずあると思うので、その点は予めご了承ください。
とにかくお時間のある方、ご興味ある方はお読み頂けると嬉しいです。
思い出の写真と共に振り返っていくのでそちらもお楽しみ?ください。

1.キッカケは学生時代

少し遡って学生時代を振り返ってみます。
僕は「鹿屋体育大学」という鹿児島の体育大学出身なのですが、大学進学の際に、体育大学を選んだ理由は大きく2つあります。

1つはライフスタイル的な部分です。
中高時代を振り返ると、僕は陸上、野球、スキー(アルペン、クロスカントリー)、水泳、自転車など様々な競技に触れており、体育の授業は予習するかのように自宅でも様々なスポーツをしていました。筋肉番付などを見て、自重筋トレもしていました。

アルペンスキー(小学校高学年)
野球(小学校高学年)
陸上(中学、高校)
クロスカントリースキー(中学)

そんな運動漬けの日々を過ごしていて、その生活に対して特に不満もなく、楽しかったので(ここに関しては親に本当に感謝)、このライフスタイルを崩さず生きていくには?的な発想で体育大学を選びました。英語や数学を学んでいた授業の時間も運動や身体に関することに触れられるわけなので、今の学生生活よりもさらに楽しそうじゃん!みたいな感覚です。今思えばすごくカジュアルな理由だったなぁと思います。

もう1つの理由は競技スポーツとしての部分です。
上記のように様々なスポーツ競技に取り組んではいたものの、正直パッとした成績は出ていませんでした。競技スポーツとして真剣にスポーツに取り組めるのは大学が最後だと思っていたので、スポーツや身体について勉強もしながら自分の限界にチャレンジしてみたかったというか、それなりの結果を出したい、という思いがあり、体育大学を選択しました。
これらの2つが大きな理由だったので、将来なりたい仕事なんて明確にはありませんでした。なんとなく、体育教師とかになるのかも?くらいに思っていました。(そんな簡単になれるもんじゃないんですが)

そんな非常にライトな思想で体育大学に進んだ僕は、キャンパスライフの中で大きな3つの気づきを得ます。

2.大学生活での3つの気づき

体育大学で過ごしていく中で得た3つの気づき。
1つ目は、専門的に学んだことによって生まれた「自分の過去の取り組みに対する反省、気づき」です。
僕は中高時代、練習量で言えば周りのどのメンバーよりもやっていたと思います。逆に言えば量をこなしていれば成果に繋がると思い込んでいました。
しかし、体育大学に進み、それなりに身体のことやトレーニングのことを学ぶと、中高時代の部活での練習や個人的に取り組んでいたことが、もっと効率的にできたなとか、こんなことしてたから怪我したのか、と振り返れるようになってきました。
これらは過ぎたことなので仕方ないけど、自分と同じように田舎で学生時代を過ごし、専門的な指導者が周りにいない人たちの中には、当時の僕と同じように考えている人もいるんじゃないか?同じように無意識に間違った努力をしているケースもあるんじゃないか?と想像しました。
そういった人たちにアドバイスをしてあげたり、身体の仕組みやトレーニングに対する正しい考え方を知ってもらえれば、問題が少しでもクリアになるんじゃないかと思ったのです。
これが1つ目の気づきです。この気づきにより、スポーツ指導やトレーナーという仕事に興味を持ちました。

セパタクロー(大学)

2つ目の気づきは、「求められることの嬉しさや伝えることの楽しさ」です。
僕は大学時代に「セパタクロー」というマイナースポーツに打ち込んでおり、一応、全国ベスト4、学生日本代表に選んで頂いた経験もあり、あと暇だったのと、旅行好きだったので、様々な地方にセパタクローの指導に行かせてもらう機会がありました。
そこで、見本を見せたり、指導して感謝してもらったり、質問されたりすることが楽しかったし嬉しかったんです。自分が持ってるもの、培ってきたもので人の役に立つみたいなことを初めて経験した気がします。
その経験は、後に自分が持っているものが人の役に立って感謝してもらえる、それが仕事になったら良いなという感情に変化していったと思います。
また、大学までは「スポーツは自分の競技力を向上させる為だけ」にやっていましたが、大学でのセパタクローというマイナースポーツを経験したことで、「もっと広めたい」「もっと知ってほしい」「一緒に楽しめる仲間が欲しい」といった、スポーツに対してこれまでに感じたことがない感情が生まれました。
この、自分の経験したものを人に伝えたい、知ってもらいたい、という感情も今の仕事に繋がっている気がします。

最後の3つ目の気づきは、「何でも良いから自信のあるものを持っておくことの大切さ」です。
僕は高校卒業まではメジャー競技ばかり行っていたのですが、それはTVなどで見て、これをやっている自分カッコイイ!これやったらモテそう!みたいなノリで競技を選択し、練習を頑張っていました。しかし、思っていた成果は出ず、悔しい思いをしていました。
上記でも記載したように、競技スポーツとして真剣に取り組めるのは大学が最後だと思っていたので、大学時にどんな競技に取り組むかは考えました。
これまでやってきた競技や、自分なりに自分の能力を加味して、自分に合っているもの、大学から始めても上位に食い込めるものをメジャーではなくても良いから選択しよう、と決めました。
いろんな競技を調べ、3つほどのスポーツに絞りました。その中でマイナーながら、たまたま僕が通っていた大学に部活動として存在していたのが「セパタクロー」でした。競技の存在自体は知っていましたが、もちろん全く経験はない状態からのスタートでした。
自分なりの分析として、器械体操的なものがある程度得意、サッカーもある程度得意、少人数でできるので試合や練習を行いやすい、マイナーであり多くの選手が大学から始める、など、その世界で自分が上に行けそうだ、という理由で選択しました。
僕はセパタクローに真剣に取り組む中で、「どんな分野にも上位にいかないと見えない景色がある」ということを味わいました。
マイナー競技ではありますが、セパタクローでそこそこの成績を収めたことで日本代表選手とも練習ができたし、様々な場所に指導に行かせてもらったり、本場であるタイに渡ったりと、これまで行ってきたメジャー競技では経験できない体験ができました。
これは、後に仕事やプライベートにおいて自分が勝負する際に、自分を客観的に見て、強み、弱みを考えて、自分が戦う場所を選ぶ、戦い方を考える、という発想に繋がっていると思います。
また、タイに渡った時は言語が通じない中で、セパタクローという競技を通じて現地の方と仲良くなれたり、試合をして勝ったら食事を奢ってもらったり、スポーツが人を繋ぐことや、スポーツが国境を越えることを身をもって経験し、スポーツの力、可能性の大きさを感じたし、これだというものを持っていればある程度やっていけるんだな、みたいなことを感じました。

3.フィットネスの世界へ

これら3つの経験から、自分の学んだことや経験を活かして人に求められる、感謝される仕事がしたい、自分の学んだことや経験や良いと思うものを人に伝えていきたい、これだと自信を持てる仕事にしたい、といった観点から、トレーナーという仕事、フィットネス業界の仕事に興味も持ちました。
その後、就職活動のプロセスで、色々とフィットネス業界、スポーツ業界を調べていくうちに、大学時代に触れていたスポーツの世界だけでなく、一般の方にも運動指導のニーズが多くあり、フィットネスクラブが業界の主要産業であることを知りました。
そのフィットネスクラブの中でも花形となる仕事が、トレーナーというより、インストラクターという仕事であり、こっちの方が多くの人と接することができるし、楽しそうだ、と興味を持ちました。カリスマインストラクターの方々のブログなどを読んでいた記憶があります。
そんな理由で、仕事として大学卒業後はフィットネスクラブを選択しました。
運営業務もしつつ、様々なレッスンの研修を受け、合格しレッスンを担当し、いろんなお客様に楽しんで頂いたり、一緒に身体を動かすことが楽しかったです。
格闘技レッスン、バーベル系のレッスン、水泳、エアロビクス、アクアビクス、ヨガ、ダンスエクササイズ、ショートレッスンなど様々なレッスンを担当していました。
鹿児島の田舎の大学から就職で上京すると、人の繋がりが増える楽しさがありました。繋がりが増えることで、得られる情報も増え、働いていくうちに、今度は一般の方でダイエットやボディメイクしたい方が多くいること、機能改善に悩んでいる方がいること、など一般の方向けのパーソナルトレーニングのニーズがそれなりにあることに気づきました。このパーソナルトレーニングのニーズは学生時代の就職活動中に調べていた時にはあまり認識していませんでした。2010年、2011年のことです。
そこで、ベテラントレーナーの方に弟子入りし、2012年から本格的にフィットネスクラブの仕事からパーソナルトレーナーの仕事にシフトしました。

その後、フィットネスクラブでのパーソナルトレーニング指導、いろんな場所を借りてのパーソナルトレーニング指導をさせて頂き、著名な方などの自宅出張パーソナルにも行かせて頂き、リッツカールトン東京で会員制の高級クラブでのパーソナルも経験しました。
また、RIZAP(プログラム開発、トレーナー教育)、FiNC(アドバイザー)など後に大きな規模になる企業に創業間もないタイミングでご縁を頂き、貴重な経験をさせて頂きました。
このように、様々な形でフィットネスサービス、パーソナルトレーニングサービスに関わってきましたが、自分の中でもっとこうなったらなぁという考えが生まれてきました。同時に様々な場所を移動しながら、お客様が増えてしまっており、一ヶ所に集約せねば・・・という状態でもありました。
そこで、2015年にパーソナルジム「Sharez」をスタートしました。

Sharezトレーナーメンバー

ざっとトレーナーという仕事を選択し、パーソナルジムをオープンするに至った経緯について自分なりに振り返ってまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
もしかしたら、そんなに共感される部分はないかもしれませんが、お楽しみ頂けていれば幸いです。
よかったな、面白かったな、何かの参考になったな、という方は是非イイねやシェア頂けると嬉しいです!


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