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今、考えていること

唐突ですが。ふと、今考えていることを言語化したくなりました。自分の想いが、考えていることが、伝わって欲しい。そう思っています。

また、もうすぐ(10月)で社会人になってまるまる2年になるので、それもちょうど良いタイミングだと思い、書きました。

相変わらず、長くなってしまい、読みづらいところもたくさんあると思いますが、読んでもらえると嬉しいです。そして、何かコメントをもらえるとさらに嬉しいです。

ではでは。

目指したい社会、それは、命の贈り合いが循環する社会

まずはいま考えていること。なにに向かって僕は生きているのか。それをお話しします。

僕が目指していきたい社会のあり方、暮らしのあり方は前から変わらず。みんなが好きなことをやって、楽しく生きていくことができればいいよね。そして、自分もその輪の中にいれたらいいな。みんなが楽しく、いきいき生きているのを眺めてたいし、自分も好きなこと、やってみたいことをやりながら暮らしていたい。ただそれだけです。

でも、今はそうなっていない。と、思う。だからこそ、そんな社会を目指していきたいんです。

自分の好きなこと、興味関心あること、やってみたいことを形にして、それが誰かを楽しませたり、誰かの役に立って、誰かの人生のいろどりが豊かになったらいい。

自分がやっていきたいことを心の内から表現すること、あらわすこと、かたちにすること、表現すること。それはその人の生き様を、これまでその人が歩んできたもの、その歩みを通して感じてきたもの、それを世界に表出すること。それは、その人の命そのものの表現と言えると思う。

その人の中から出てくる命の表現が誰かに届き、誰かの心を感動させる、命を震わせる。そしてその人も自身を表現し、命を表現し、それが誰かの心に、命に届いていく。

みんながみんな、自身を精一杯生きる、これ以上に自然なこともないし、その命が輝くこともないんじゃないかな。みんな自身が自身を精一杯生きる。命の輝きを表現する。

命の表現を贈る人がいる、受け取る人がいる、そしてまた贈る人がいる。そんな命の贈り合いが循環する社会。贈る人にもその人の命を表現するよろこびがあるし、受け取る人もその人にしかできない表現を、魂の、命の表現を、受け取ることで人生に多様ないろどりが生まれる。その重なり合いで、つながり合いで、贈り合いで、世界がいろどり豊かになっていく。

そんな、命の贈り合いが循環する社会。そんな社会で生きられたらいいな、そう思っているんです。

つくるよろこび、贈るよろこび、受け取ってもらえるよろこび

人間って、元来つくるよろこび、かたちにするよろこび、表現するよろこびがあると思います。自分自身の中にあるもの、考えていることをさまざまな形で、その人それぞれのかたちで外の世界に表出すること。自己を表現すること。その表現こそが自分だけにしかできないことだし、だからこそ、それを自分がしてあげることが、自分をしっかり生きていることだし、そうすることで自分自身の命がよろこんでいく。そんな風に思います。

さらに、その命の表現を受け取ってもらえることがまた、よろこびとなる。自分の表現を、命の表現を、命のかけらを、誰かに受け取ってもらうこと、誰かに認めてもらうこと、それによるよろこびが、またある。誰かの役に立ったり、誰かによろこんでもらえたり。それは自分の命が誰かの役に立つこと、自分の命が誰かによろこんでもらえること。それを感じられるよろこびも、ある。

去年の9月からはぐくむの仕事で、農業を始めました。秋冬は様子見でちゃんとできていなかったけど、春から夏にかけて本腰を入れてやるようになりました。たくさん調べて、試行錯誤をして、いろんな人に教えてもらい。農園にも足繁く通い。ようやくたくさん作物が採れるようになった。そして、その作物を美味しいと言って食べてくれる人がたくさんいる。よろこんでくれる人がたくさんいる。自分が丹精こめてつくったものが誰かに受け取ってもらえた、誰かによろこんでもらえた。最近僕が感じている、つくるよろこび、贈るよろこび、そして受け取ってもらえるよろこびの一つです。

野菜は、育てる人が作物にあらわれると思います。日々手入れをし、必要なタイミングで肥料をあげ、雑草をとり、一つ一つがだいじで、それぞれの結果が作物にあらわれてくる。

どのように自然と、作物と向き合うのか、どのように自分の想いを込めるのか。自分の時間を、自分の愛情を、どのように込めるのか。そうして育った野菜は自分の命の表現がこもっている。そんな、僕の命がこもった野菜たちが誰かに届くこと。とても嬉しい限りです。

農業だけじゃない。みんなそれぞれに、自分の命を、自分の時間を、自分の愛情を、自分の想いを、何かに込めてこの世界に表現すること。つくること。贈ること。それを誰かに受け取ってもらうこと。そこにはよろこびがあると思います。

だからこそ、その命の表現を贈り合う、それが循環する、そんな社会のあり方が豊かだと思うんです。

命の贈り合いだけで世界は成り立つのか?

とはいえ、みんなが好きなことをそれぞれやっているだけで、その人らしく生きるだけで、命の贈り合いをするだけで、この世界は成り立つのだろうか?維持されるのだろうか?

そんな問いが浮かんでくる。

今の僕には、その答えはわからない。見当もつかない。

だけど、それで成り立つ、と信じたい。信じていきたい。

なぜなら、自然界がそうだから。自然界はそうだから。さまざまな命が折り重なり、それぞれが精一杯その命を生きている、その中で世界が、生態系がバランスよく維持されている。不思議と、持続可能な形で成り立っているし、成り立ってきた。

どのくらいの種がいるのかはわからないけど、菌から細胞、動物、植物。さまざまな生物がいるからこそ成り立つ。どうしてかはわからないけど、それぞれがそれぞれを精一杯生きているから、それで世界が成り立っている。そして、だからこそ自然は豊かで美しい。

自然界がそうであるのなら、人間社会に置き換えても、人間が自然界の一部であるのだから、できないわけがない。

自然界で、さまざまな生物の命の循環の上で維持されているように。人間も、さまざまな人の命の循環、命の表現の贈り合いの循環で世界を成り立たせる。それこそが豊かで美しい社会のあり方ではないのかな?

自然界は、本当に多種多様な個性や特徴を持った生物で溢れている。だからこそ、人間も同じではなく、その人それぞれの個性や特徴を最大限、精一杯表現し、その命を生きていく。そうすることで、命の贈り合いの循環で世界は成り立っていく。そう信じたい。

命の贈り合いが循環する社会で生きるために

命の贈り合いが循環する社会で生きることは、自分自身が命の表現者であり、命の輝きを表出していること。そうしようしていることがだいじ。

誰かの命の表現を受け取ったあと、自らが誰かに命の表現を贈れるように。そうすることで贈り合いの循環が生まれていく。

命の贈り合いの世界で生きるためには、育てる時間が必要

ただ、命の表現をしていくのは簡単ではない。はじめから命の表現が上手にできて、誰かによろこんでもらえることは滅多にない。赤ちゃんくらいかな?赤ちゃんは生きているだけで、精一杯笑って、精一杯泣いて、ただそう生きているだけで、よろこんでくれる人がいる。でも歳を経るたびに、自分自身を精一杯生きること、自分自身の中のものを素直に表現すること、そんな感覚が薄れていく。今の社会はそういうところだと思う。だからこそ、命の表現をしていくためには育んでいく、トレーニングが必要。そのための時間が必要となってくる。

どんなふうに育んでいくのか?

①まずは、探す。

これをすることが自分のやりたいことだ、命がよろこぶことだ、これこそが自分の表現だ、と思える何かがわかるには、たくさんのことをやらないとわからない。知らないとわからない。まずは世界を知っていくこと。世界にはどんなものが広がっているのだろう?どんな人が、どんな表現をしているのだろう?知ることから始まる。どんな世界が広がっているのか、探求していく。

②次にそれを体験する。

世界を知る中で、興味を持ったものやピンときたことを実際に体験してみる。やってみないことには、それを通して自分が楽しいのか、嬉しいのか、全くわからない。だから、ピンときたものを体験してみる。やってみる。それで気づくことがある。あんま楽しくない、ちょいと面白かったなあ、、!なんでもありえる。でもその気づきはやってみないことには、体験してみないことにはわからない。

③その次は気づく。

いろんなことを体験してみて、やっぱりこれかも!というものがあるかもしれない。まだまだ違うのかもしれない。自分がどんなことが好きなのか、どんなことに心踊らされるのか、どんな表現が好きなのか。自分がどんな状態であるのか、自分と向き合っていく時間が必要。内省したり、いろんな人に話を聴いてもらったり。結局自分はなにをやりたいと思ってそうなのか?どんな表現をしていきたいのか?これかもしれないと当たりをつけること。体験したことから気づいていくこと。

④その次は継続してみる。

これかもしれないなあ、というものを何回かやってみる。自分の想いをのせてやってみる。自分を表現してみる。そしてそれを他の人に受け取ってもらえる形でやってみる。それを継続していくこと。

この4つをやっていくことで、自分の命の表現が育っていく。磨かれていく。輝いていく。次第に、その輝く命の表現を贈ることができるようになる。その過程では、必ず他者が存在している。お手伝いしてくれる人、受け取ってくれる人、アイディアをくれる人。そんな人たちに、そんな想いたちに支えられることで、自然と命の贈り合いになっていく。

ここには時間がとてもかかると思う。でも、育てられるのは自分しかいない。他の人はお手伝いしかできない。育てられるように後押しをするしかできない。だから、時間がかかっても、でも、頑張ってほしい。折れないでほしい。信じてほしい。そして僕もそうでありたい。

育てる時間、その間はどうするの?

とはいえ。今の社会において、自分の命の表現を育てるその時間を生きていくには、もちろんお金が必要だ。お金と時間。食べ物、住む場所、着る服、使うエネルギー、その他諸々。必要なものはたくさんある。今の社会では、それをお金で買わないといけない。

じゃあそのお金はどうやって工面する?僕の提案は、すでに命の贈り合いを体現してる人のもとで働くことだ。命の贈り合いの社会で生きたいなら、すでにそれを体現してる人のもとで働いてお金を得ること。せっかく貴重な時間を懸けるなら、せっかく命を懸けるなら、ただ削るのはもったいない。お手伝いをすることでその人の命の贈り合いの手助けになる。命の贈り合いの社会の一端を担うことになる、命の贈り合いの社会の一員になることとなる。その命の表現者の生き様をそばで感じ、自分を顧みることができる。その体験も、自分の命の表現に生きていくことがたくさんある。

そこで得たお金を使い、日々を過ごす。そして自分の命を育てる時間も確保する。そこでゆっくりと、着実に育てていけば良い。

そんなふうにして、命の贈り合いの輪を広げていく、そうなればいいよね。その先には、みんながいきいきと、好きなことをやって、命が輝き、命の表現の贈り合いが循環する社会が広がっていく。それって良くない?

今いる環境でまずは体現したい

僕は、そんな社会を作りたい。自分ひとりでつくる、なんておこがましいし、到底無理。ただ、少しでもそこに近づいていくために命を使いたい。そのためにならエネルギーが湧いてくる。いろんな人の命の輝きを信じて生きたい。

幸い、僕は今いる環境でできることがたくさんある。株式会社はぐくむという会社で、コミュニティカフェはぐくむ湖畔を任せてもらっている。まずはそこでできることをやっていきたい。(はぐくむについてはぐくむ湖畔についての詳細の説明は飛ばす。ここら辺のものを読んでもらえると分かると思う。)

今いる環境を通じて命の贈り合いの世界を体現するために

まだまだかたちにできていないことがたくさんあるけど、これからかたちにしていきたいことを含めて。

はぐくむ湖畔にて

湖畔に来た人が、命の贈り合いが循環する社会に参画するきっかけづくりをしていきたい。

そのためには?上記のことをやっていきたい。探す、体験する、気づく、継続する。

探すには。

想いを持って命を表現するいろんな人がいることを知ることができる状態をつくること。そのためのものが必要。それは、リストなのか、図鑑なのか。はぐくむの周辺にいて関わってくれている人、命の表現をしている、していきたい人のリスト。やっていること、想い、これまで、そしてこれからのこと。そんなものがまとまっていたらいいな。そのリストを見ることで、いろんな世界で生きている人を知ることができる、そして世界が広がる。いろんな世界を知り、自分の興味関心が向く方を探していく(リストは未着手)。

体験するには。

実際の命の表現者、そしてそれを目指す人の舞台を用意して、その表現を受け取れる場をつくる。いろんな世界のプロ、命の表現者を呼んで、その表現を受け取る場をつくること(未着手)。また、育てている段階の人が表現をし、それを受け取って応援できる場。それを用意すること(たねラボ)。

気づくには。

一旦立ち止まり、自分と向き合うこと。そして、向き合った自分を他の人に知ってもらい、また新たな視点や気づきを得ること。そのための場が必要。そのうちの一つは対話。自分との対話ができる場(コーチング?瞑想?ジャーナリング?湖畔でどうやって展開していくかに関しては未着手)。そして、他者との対話ができる場(コミュニティディナーカンバセーションカフェHOTORIの時間)。そして、自然との対話ができる場(農園、リトリート(はぐくむ四季の森など))。それをどんな人でも参加できるように整備していく。

継続するには。

自分がやっていきたい表現がこれかもしれないということを継続して表現していく、表出していく場、そしてそれを受け取ってもらう場が必要。それを継続してできる場を整えていく(たねラボ)。

まだまだ未着手のものやかたちが整っていないものが多いけど、それらを通して、ひとりでも多くの人が、命の贈り合いの循環に入れるようになったら嬉しいな。だからこそ、ひとつでも多くかたちにしていきたい。

湖畔のメンバーとの関わり合い、チームのあり方の理想

湖畔のメンバーとの関わりも同じようにありたい。どうしても目先の、売上、利益、足りない分をどうするのか、なにをしていくのか。埋めるために、、、を考えていってしまうと、集っているメンバーその人自身に向き合うことから外れていってしまう。現に、数字に関してや施策だけが先走り、メンバーそれぞれの考えていること思っていることやりたいことに向き合えなくなっていた。でも、そうじゃない。本当にありたい姿は、湖畔を構成してくれているメンバーみんなそれぞれが命の表現を、表出することができる、命の贈り合いができることがすごく大切だし、そういう環境、チームでありたい。だから、みんなそれぞれのやりたいこと、想いに目を向けて、それが表現できるようにしていきたい。そして、命の贈り合いが循環する社会の一員になっていってほしい。その先に、誰かの命を育てる時間やそのためのお金を贈れる、ひとつの傘になってほしい。そう考えています。みんなのやりたいことが、命の表現が、どんどん形になって、贈り合いができるチームになっていったらいいな。

チーム運営で大変なことはたくさんある。目先にだけ目がいってしまい、見えなくなっていってしまうこともあるかもしれない。だけど、改めて、今後はそういったスタンスでみんなと、そして自分とももちろん、向き合っていきたい。

湖畔に来てくれる人、湖畔にいてくれる人、湖畔を通じて僕が関わっている人に対して、そんなふうに接していきたい。

最後に

僕は今こんなことを想っています。

だから、命を表現することにまっすぐでいたいし、あなたにもそうあってほしい。心からそう願う。これからの命の残されてる時間を、命の贈り合いが循環する社会で、つながりで生きていってほしい。そんな社会で生きていきたい。

お金がないからできない?将来、大変なことが起きた時、お金がないとそんなことも言っていられない?否。そんな今の社会は、そう感じてしまう社会は、その不安でもって、命の表現活動を否定してしまう社会は、貧しい。

そうならない社会をみんなでつくっていきたい。誰かが困っていたら、誰かが手助けしてくれる。命の贈り合いの循環する社会では、命の贈り合いでつながる社会では、必ずそうなる。そう信じてる。

だからこそ、まっすぐに自分を生きてほしい。これからの命を、あなたの中にある素敵なものを表現するために使ってほしい。そう願っています。

僕はそのためにできることを、今いる環境でやっていく。まだまだ未熟な部分、不十分なこと、たくさんあります。それを一緒に手伝ってくれる人がいたら嬉しいです。そして、僕の考えを受け取って、これに関して議論してくれる人がいたら嬉しいです。

この文章が、僕の命の表現が、あなたにまっすぐ受け取ってもらえることを願っています。

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