見出し画像

俺は畳じゃ死なねえぞ!Rock'nRollな人生を…

こんにちは、Hideです(^_-)-☆

みにのく杜の都も、雪が積もり低温なので、道路も圧雪状態になっています。

強烈な寒波ですね~

実は、今日1月25日は私の58回目のバースデーです🎂🎊

もはや還暦が近くなってきました。

この歳になると、特に誕生日なんてものは、嬉しくも何ともない⤵️

あ〜また一つ歳をとってしまった🥶

これでまた死へ少しずつ近くなったのだ〜

などと勝手にわけわからなく思うものだ。

しかし、それでもお誕生日プレゼント🎁をもらうのは嬉しい😃

人間は勝手なものだ、自分のバースデーを歳が増えて、死が近くなるから嫌だと思ってみたり、今度は誕生日プレゼント🎁なら嬉しいとか…

我ながら、人間って勝手な生き物だとつくづく自らを顧みてそう感じます。

歳をとっていくって事は、思うように身体が動ける時間が、そう多くは残されて無いって事だ。

うちの娘が生まれてから30数年あっという間だった💦

そのあっという間の30年は、私の今後にはないかもしれないのだ。

そう考えれば、やりたい事を身体が動くうちにやるべきだ❗️

誕生日を迎えるたびにそう思う。

なのでnoteをスタートしたのも、私のバースデーである。

還暦前のオッサンの誕生日に、始めた日が憶えやすいし、note暦も数えやすくする為に。

そろそろ本題に入ります。

⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️

人生を悔いなく、Rock'nRollな生き方を全うしていきたいと思いってる私です!

尊敬する永ちゃんの歌詞の様に

”俺は畳じゃ死なねえぞ!”

みたいな〜気持ちでいます!

<矢沢永吉1975年「サヴウェイ特急」歌詞より引用 作詞:松本隆さん>

というロッカーとしての気概を持って、残りの人生を熱く自由に生きていきたいです。


振り返るとあっという間に過ぎた日々だった

私たちの世代は、昭和の高度成長期に産まれ、子供の数も多く子供時代は今よりも割と恵まれた環境で生きてこれた気がします。

子供が中心というか、子供の事を大人が良く面倒を見てくれていた様な気がします。良くも悪くも…

私の場合は、変わった子供だったので、日本文化の風潮として、大勢の人と異なって見えると途端に変わり者だとか、変に差別が始まる時代でした。

恵まれていた部分もありますが、今ではそんな〜というおかしな風潮や慣習に満ちていましたから…人によっては、辛い時代だったとも言えます。

今の時代に比べると、世の中的には高度成長期だった幼少期の1960年代中盤から70年代、昭和後期でもあった80年代の青年初期は、空前の好景気で、就職にも困らず、本当に恵まれた良い時代でしたね。

子供が子供らしく過ごせましたし、就職もバブル期で自分の希望の職に就く事も容易に出来ました。

高校時代も80年代初頭で、松田聖子さんなどアイドル全盛時代で、明るく煌びやかな時代でした。

私は高卒でしたが、現代のように就活に困ることなく正社員として就職出来ましたし、非正規雇用なんてのはありませんでしたし、今振り返ると恵まれてましたね。

20代前半までは。

私の20代中盤(平成初期)から、日本経済は坂を転げ落ちるかの如く下降の一途を辿っていきました。

そう、バブルが弾けたのです。

“バブルの崩壊”で何もかもが変わってしまった…失われた30年間なんて言われています。

しかし、そこから何かに気づいて、誰かが持ち直そうとする動きなんて全く感じられませんでしたね。

昭和の古い非合理的で、年功序列的な身勝手な大人の感情で、動いていました。

当時から、私はこの現状は絶対おかしいとバブル期から思っていました。

好景気の影で見えなかったことが、悪い流れになると一気に目立ってくるのです。

表面的によく見えることの影には、本当に変えなければならないことが置き去りになってしまったりします。

わかっていても、位現在が良ければ、本当に大事な事には目を向けないという、ある意味人間の弱さが逆に露呈するのです。

つくづく人間は、弱くて愚かな生き物だと、20代半ばにして考えていました。

通常のその年代ならそんなことなんか考えませんよね。

何故私は、同年代が思わないことを考えたり思ったりしてしまったのでしょうか?

そんな事考えていて、口に出そうものなら、途端に変人扱いされてしまう雰囲気でした。

元々、子供の頃から周りから阻害されたり、差別されていたからなのかもしれません。

これが周りの大人や親からも可愛がられていたなら、幸せを感じて、そんな事は感じれなかったのではないかと、自己分析しています。

あの頃、私が考えていた事、今となっては100%間違いではなかったのです。

むしろ私の方が先を行っていたと言っても良いくらいです。

それをまた口に出すと、お前はおかしい犯罪起こすんじゃないか〜みたいに思われてしまう事が癪でなりません。

しかし、自分の中には、決して間違っていないという根拠のない自信みたいなのが不思議とありました。

自己肯定感が低くマイナス思考であったにも拘らずです。

きっと、自分の中には本質的な事を見抜く力が昔からあったのではないか〜なんて思っていたりします。

ちょっと自惚れみたいに聞こえてしまうかもしれませんが、それが本音です。

今起きている事の裏側やその先に何があるか、どうしてこうなっっているのかを深く考える癖がいつの間にか身に付いたのです。

哲学的なものに、人より興味がありましたし、詰め込まれるだけの学術的な事に対しても常に、何故だ?理由は、根拠は?と常に自分の中で自問自答をしていました。

と言ってもまだ若いし、今のように手元でたくさんの情報や他人の声を聞く事ができなかったので、結局は経験を積む事でしか、疑問に対する答えは見つける事ができませんでした。


我々世代は、就職というスタート段階がバブル期で、優秀じゃなくても新卒のレッテルがあれば、もそこそこの会社に就職出来たのです。

いや、27歳までの第二新卒と呼ばれる若者だって、望む会社に入社できたのです。

高卒の底辺の私すら、ハロワや求人誌から応募すると、是非うちに来てくれ、とか言われた。

現代と同じ人手不足だったのですよ。

今とは中身が、大幅に違いますが…

バブル期は、物が売れて売れて供給が追いつかず、それで企業側も人手がたりなくて、社員の追加募集をしていたのでしょう。

バブル期に新卒で、現在も在職している方は、ギリギリ良い待遇で入社出来た分まだ良い方ですね。

バブルが崩壊してリストラにあって失業した方もおられましたが、就職氷河期の世代に比べればまだ良い方だったのもしれませんね〜

私はどこの会社に行っても、ダメダメ振りを発揮して長く勤めるなんて出来ず、転職ばかりを繰り返していました。

高卒後に地元の名産品の会社に就職しましたが、社長の負債から倒産。

その後、転々としてガソリンスタンドやクリーニング屋、有線放送の営業や、業務用食品の卸や外国タバコの営業等を、20代の頃はしていました。

もう自分でも何をしていたかも、わからなくなるくらい色んな仕事を経験しましたね。

30代~40代もあっちこっちに就職しては辞めてと、転がるように転職を繰り返して期ました。

不景気な時期は正規雇用には就けず、派遣や業務委託、請負などと、ちょっと変わった処遇でも働きました。

30代頃からは、ある程度就く仕事も、販売促進という営業系のジャンルに決まってきましたが。

振り返るとあっという間でした。

波乱万丈というのかな、こういう人生を…

20代半ばで結婚して、子供も二人育て、今までよくやってこれたなぁ~と感じます。

今は孫もいて、幸せな方ですよね。私は、まだまだ。

孫達も

“自由を求め続ける ロックンロールスピリッツ”

がDNAとして、ちゃんと受け継がれているんですよ、ウケますね(笑)

これもひとえに、しっかりした妻のおかげです。

あとは、どんな辛い状況でも、

「今は虐げられているけど、自分は決して間違ってない、必ず自分の考えに時代がマッチしてくるだろう」

と根拠の無い自信みたいなものはありました。

そんな見えないものに支えられ今まで来ました💪

私なりに頑張ったんだなぁと、たまには自分で自分を褒めたいと思います。

自己肯定感を育む為に…

物事の本質を自分はわかっているという自負だけは持っていました。

冒頭で申し上げた通り

月日が経つのは、早い、やりたいと思った時にやり始める事が重要だ❗️

どんなに叩きのめされても、”負けるもんか”という強い気持ちだけは持ち続けていました。今だって同じ気持ちです❗️

これがRock'nRoll魂です❗️🎵

悩み多き半生

何をやっても失敗だらけで、周りからも顰蹙を買い、そのうち虐げられ、端の方に追いやられるパターンでしたね。

いわゆる窓際族みたいな(笑)

後から思えば、自分でもその失敗に対しての分析をしなかった、自身の努力不足のを痛感しましたね。

悩みが多く精神的な苦労が多かったように感じます。

自分自身が原因なので、より悩みは深くなりますよね。

眠れない日が続き、仕事にも手がつかなくなり、メンタルの病院で診察を受け、多量の抗うつ剤や眠剤等も服用した事もあります。

その時、大きな精神科の病院で「適応障害」と診断されました。

抑うつ状態が酷くて、自宅に引きこもることもありました。

何年も何十年も引きこもってはいませんでしたが、断続的に引きこもっていたので、私も引きこもりですね充分。

現在では、開き直れているので、そんな重大な失敗や出来事でなければ気にならなくなってきました。

まぁもともとそんな立派な人間ではないのですから失敗した時でも、”まぁ自分なんてこんなものだ”と思うようにしています。

これって一見後ろ向きに見えますが、そうじゃないのですよ。

自分の良い部分を発揮できるものがあれば、プラスとマイナスで相殺されますからそれで良いのです。

人間、仙人や神様仏様ではないのですから全て完璧なんて、人はいないのですよ!

”生きてるだけで丸儲け”という、大好きな明石家さんまさんの言葉に救われましたね。

自由に自分らしく生きていければそれでgood(^_-)-☆

毎日を悔いなく、楽しく生きていく事が一番ですよね。

悔いなく生きたい、とは思いますが長い人生ですから、正直悔いを残すことだってあります。

しかし、完璧じゃないのも、まあ人間らしくて良いのではないかと…思えるようになりました。

そんな、緩い部分も無いと、人にも優しくなれませんし、自分も疲れちゃいますからね。

失敗だらけの人間だから、世の中の優秀と呼ばれる人たちにはわからない、弱い立場の人の気持ちにも寄り添えるのではないかと思っています。

正直者が馬鹿を見る、そんな世の中ではいけませんからね。

だから、良い歳して”Rock'nRoll”だなんて叫んでいるおじさんも、こんな時代だからこそ必要なんだと思うのです。

先は何も見えない闇だぜ 何かを見つけにいこう

現在ブログを書いて自分の思いを発信していますが、はっきりとは先が見えませんよね。

いつ病気になるかも、事故に遭ってしまうかも、人生は先の事はわかりませんからね。

だから、今出来る事を、自由に思った通りにやっていく。

それが私のスピリットです。

これからもどんどんやりたいことにチャレンジしていきますよ!

「ガラスの向こうは何も見えない闇だぜ 何かを見つけに行くんだ♬」

これからだって、永ちゃんの「サヴウェイ特急」の歌詞に励まされながら、ロックに生きていきたい。

*杜の都の地下鉄には、特急列車はありませんが(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?