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【積極的自由】という生き方もありじゃないか

こんにちは、HideですΣ੧(❛□❛✿)

YouTubeでホリエモンが、元農水事務次官が引きこもりの長男を殺害した事件を例に、引きこもりについて言及した動画を観た。

8050問題が社会問題になる中、外に出られない大人が増えているのに対してホリエモンなりの考えを語っていた。

う〜んなるほど〜と感じながら観ていました。

今回は、引きこもり体質である私が、ニートや引きこもりついて感じた事をお話ししていきたいと思います。


「引きこもり」を「積極的自由」というワードに変更すべき

世間には私を含め、ニートや引きこもり、その予備軍の人達が一定数存在することをまずご理解頂きたい。

現在は仕事を持って外に出れていても、何かのきっかけで家に引きこもってしまうって事態になる事もあり得ると思う。

特に40代にもさしかかってくると、長く勤めていた会社を退職をしてしまうと再就職が極めて困難になる。

正規雇用としてやり直しが難しくなる現実に直面した時、自分が望む将来像が描けなくなり、社会との接点を閉ざしてしまう…

という様な事例も現実には珍しくないのだ。

実際、中高年が引きこもりになる原因の1位は退職である。

どうしても自分の身の周りにそんな人がいないと、ピンと来ないというのも確かだ。

引きこもりに陥る原因に退職が多いのならば、リストラ等があった場合、誰にでも起き得る事ではないだろうか。

しかし〜この「引きこもり」という呼び方は、いささかネガティブではないか、とホリエモンは動画の中で語っている。

この「引きこもり」というワードには、暗いイメージしかないからだ。

そして引きこもる行為自体が決して悪い事では無い〜と言っている。

私もそう思う。今や学校にしてもオンラインで教育も受けられるし、ITを活用して外界とやり取りは出来る時代だ。

仕事だってオンライン上で行える業務も沢山ある。

外に出なくても出来る作業が増えているし、逆にこれからは在宅で済むことの方が増えてきそうな感覚すらある。

生活面にしたって、ネットショッピングも当たり前になり、画面上で注文すれば買い物や飲食物のデリバリーまでしてくれる。

恋愛だって、マッチングアプリを使って知り合える。

昭和の時代からすれば、実際に人と会ってコミュニケーションをとるのが当たり前だ。という常識も確実に変化している。

PCやスマホを使って何かをする奴はやれ”オタクだ” ”コミ症”だ、なんてのはもう古い認識でしか無いのだ。

もうそんなことで人を評価していたら、古い人間として葬り去られてしまう。

多様化した現代、人と上手く付き合っていけない人を、阻害してしまう自体がナンセンスとも言える。

もちろん、「引きこもり」を隠れ蓑にして、自らを閉ざしてしまうのも良くないと思う。

そこには引きこもりも、そうでない人もお互いに、尊重し合う事が絶対条件となる。

最初はすれ違いがあっても、お互い腹を割って話せば、理解できる部分だってあるはずだ。

それには、まず最初にこの「引きこもり」というワードを変えていくことからだと、ホリエモンが言っているが、私もそれには賛成する。

周りの人と同じ様に出来る人間は良くて、それ以外は”ダメな人間”だという見方は良くない。

誰しも人と繋がりたいという思いはあるはずだ。

表面だけを見て、決めつけてしまうのはちょっと偏った見方ではないかと感じる。

人と面と向かって話すのが苦手なら、画面上で人に自分の思いを伝えるって方法もありだし。

それには、率直で偽りのない表現をすることが絶対条件だ。

活字って、お互い顔を見ない分、言いたい内容を伝えやすいが、言い方が悪いと誤解を招くこともあるので…そこはお互いに注意は必要なところだ。

「引きこもり」と呼ぶところをホリエモンが提案したのが「積極的自由」というポジティブなワードだ。

人は誰しも生活スタイルを選択する自由がある。

現代では、自宅にいながらオンラインで人の役に立って、報酬をもらえる事だって出来る。

そんな生き方だってあるという考え方と新たな「積極的自由」の呼び方に、私は大賛成だ。

人と関わるのが苦手 それなら関わらずやれる事を探せば良い

人と関わるのが苦手で、家にこもっている、それはそれで悪い事じゃないんじゃないか。

出来ない物に時間を費やすよりも、出来る事で好きな物に力を注ぐことの方がずっと生産性も上がるはず。

苦手なことを無理にしていても、かえって周りに迷惑かけてしまうことにだってあるし。

会社でコミュ力のない上司の下で働かされると、部下は大変で超迷惑である。

どうしてこんな人間を管理職にするのか〜と会社に不信感すら抱いてしまう。

それなりに各チーム内で協力し合う体制が整っていれば良いが、現実は会社は役職だけ適当に付けておいて、あとはお前(管理職)の責任だ、などと無責任に丸投げだけしているのが現実だ。

そんな組織として、人を雇う側でありながら、しっかりしたシステムを整えな組織では義務を果たしていないだろうと思ってしまう。

下で働く者も然り、会社任せではなく、自らの仕事に対してどうすれば良いかを考えていく必要がある。

労使互いに責任と義務は果たさないと成り立たないからだ。

話を戻すが、人にはそれぞれ向き不向きというのがある。

向かない事をやっても所詮出来ないのである。

仕事だからという根性論だけでは上手くいかない。

それなら、自分が出来ることや、やりたい事を優先に物事を考えていくべきではないか。

フリーランス(個人事業主)としてやるのだから、誰に縛られてやるわけではないのだから。

ある種わがままに見えてしまうかもしれないが、それで良いと思う。

誰にも迷惑をかけるわけでは無いのだから…

自分もブログで稼いでいきたいと思って始めたが、中には懐疑的に感じた人もいると思う。

特に文章を書く才能に特別恵まれていたわけでもないし、そりゃ〜周りからしたら、「おいできるのかよ〜」と思われても仕方のないことだ。

しかし、周りに褒められたからやるんじゃないし、シンプルに自分がやりたいからやるだけの話なのだ。

そんな外野の声にいちいち拘っていられないのです。

人が無理だと言うことをやるのに喜びを感じる私ですから。

これをやりたい、こうなりたいという気持ちを大切にしていきたいし、何かを始める人にもそう思って欲しい。

人生は一度 自由に生きていくことを優先すべき

中高年になり再就職も厳しくなってくるのは仕方ないですよね。

自分が今出来る事の中で、何をやりたいかを考えるのも一つの方法です。

親の介護など家庭の事情もありますが、やれる範囲の中で探してみれば良いと思います。

周りの協力を得ながらでも。

体の動くうちに目指すものを見つけて動いた方が後から後悔はしないはずです。

体が思う様に動かなくなってからでは、キツくなります。

リスクが少なく出来る事もあるはず。

今や昔に比べ家にいて人に会わなくたって出来ることは沢山ありますから。

誰かに押し付けられた物だと気乗りしませんが、好きな物なら自然と自ら動けるはずです。

決して家に引きこもっていることが悪いわけじゃない。

自分なりの「積極的自由」を求めているだけなのだから。

現代で世界的に人気を得て莫大な利益を生み出している文化であるアニメやゲームにしても、ITの発達にしたって、自宅にこもって生み出されたものだし、オタクなんて言って馬鹿に出来ないのですよ。

日本のオタク文化が世界的経済に大きく影響している事をお忘れなく。

例え周りに何か言われようとも、ポリシーを持って取り組んでいきましょう。

積極的自由は、自らも楽しめて、いずれは認められる日が来ると私は信じています。

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