父について(自己休息プログラム17)

「お前の父親は口だけは達者だったが、仕事はまったくできなかった」

と母はあるとき私に言った

父と母は東京の職場で出会って結婚した。総合デパートで働いており、父親は在庫の管理か何かをやっており、よくミスして母が手伝ってやっていたらしい

母が私を生んだ直後に、父は起業した

宝石商で、小さいころ私は東京の父のオフィスで遊んでいた記憶がある

3年くらいして、父は事業をやめた。倒産していたと思うが、そもそも父と母だけでやっていたっぽいので、個人事業を撤退した感じなのだろう

金がなくなったので、父の実家の福岡に引っ越した

それで私は福岡出身ということになっているのだが、実際は調布生まれだ

田舎に帰ってから父はよくわからない個人貿易を始めたり(イスラエルの死海の塩を売ったり)パソコンのインストラクターをしたりしていたが、ほぼ家にいた

週休五日くらいは家にいた気がする

暇をもてあました父の視線は私に向く

父が「修行に行くぞ」と言ったら出かける合図だった

父の車で山や林に行く。
福岡の筑豊地区には禿山と言われる炭鉱跡や川辺や林がそこらじゅうにある

父はそこらへんの枝を拾い、数メートル離れた私に投げる

私は枝で作った「剣」を持っており、それを弾き飛ばしていく

「お前は勇者だ!敵の槍を弾く!」と父が言う

投擲される枝は増える

私は同時に5本投げられた「槍」を一振りで弾くことに成功した瞬間をなぜか今も覚えている

「お前は勇者になれる。お前は世界を変える。」
「お前は天才だ。将来は金持ちになる」

5歳の私に向かって父は毎日、どこでも言い聞かせ続けていた

私は「父は私に期待しているようだが、私はおそらく普通の人間だろう」
とどこか冷めた気持ちで聞いていた

小学4年生くらいになる。だんだん世の中のことがわかってくる
私は自分が平凡な人間であるということがいよいよわかってきた
なにせ成績はオール3だし、昔よく取っていた絵の賞状も年々減っていた

父はそれまで週休5日制で働いていたようだが、さらに休日は増えていた
母親がパートに出ていた

中一になり、父親に対する敬意は完全になくなっていた
なんとも言えない失望感

これでは私立の高校は無理だろうな、と思った
家庭の財政のせいで自分の進路が減っていることに苛立った

ある日、日曜日は家族でアニメのワンピースを見るのが習慣になっていたのだが、その日たまたま私と妹が共通して別の番組が見たかった(たしかスカパーの(そもそもなぜ金も無いのにスカパーが導入されていたのか謎だが).hackというアニメ)

私と妹が「今日は別のを見る」という

父はワンピースを見よう、と言った

母親は困ったように、子供が見たいやつでいいんじゃない?と言う

父はワンピースを見ようと言った

私・妹・母VS父みたいな構図で押し問答が続く

突然「勝手にしろ!もういい!」と父が切れた

家族に(いや自分に?)驚きと失望が走るのを感じた
「ああ、この人は自分の見たいアニメが見られないと言うだけで子供にキレるのか。なんて残念な大人なのだ」
と明確に思った

私が高校に進学すると同時に父と母は離婚し、父は一人で実家に帰り、残った家族は母が働いていた場所の近くに引っ越した

離婚することを父は嫌がっていた
離婚の原因は明確で、父が働かないから。働かないのに株に手を出そうとしたりするから

父はよく「来年は金持ちになる。そしたらみんなでハワイへ行こう」と言っていた

小5くらいまで、私はぼんやりとだがまだ信じていた

だがいつからか「ねえハワイは?約束したよね?」と確認することも辞めた

離婚するしないの最後のほう、母親に「ちゃんと仕事もがんばるから離婚はやめよう」としつこく言っている父に対して

「あなたの愛が本物なら、この後仕事を見つければいいし、見つけたらまたヨリを戻せばいい。私も母もあなたのことを心底嫌いなわけではないので、やり直せるさ」

的なことを私は父に言った。
父は「お前は賢い子だなぁ」と言っていた。
そして父と母は無事に別れた。
我々の貧困度合いは一切変わらなかったが。

高校生の子供に説得され、諭される父親!
なんて哀しいんだろう。
当時は自分のような子供に説得される父親を心底軽蔑した。

私がかけた言葉など何から何まで嘘だ。
家族全員、父に対する愛などとっくの昔に失せていたし、母は絶対にヨリを戻すことは無いと10代の私でも理解できた。

それから今日まで一度も会っていない

ただ、近年私はというと、社会に出てから若干当時の父親の印象が変わり始めている

なぜなら、私自身が社会生活を送るのに相当苦労しているからだ

自信の無さ、他人への信頼のできなさ、攻撃性、飽きやすさ、傷つきやすさ、依存性

尊大な自尊心。自分の思っている実力と客観的評価のズレを自覚すると、「ああ、父親もコレを抱えていたのかも知れんな。そりゃあ社会生活うまくいかんわなあ」
と思う

むしろこれで結婚して子供も2人作ったんだからうまくやったほうかもしれないな、とすら思い始めている

ただ、だからと言って当時何年にもわたり家族にかけた負担を免罪されるわけではないとは思っている

そもそも父と離れてから15年も経っているので、実際はもっとクズかもしれないし同情の余地も無い人間かもしれない

それでも、ちょっとそろそろ会っとくかな、という気持ちになっている

いや、もっと言うとわりと会いたい

もう60歳も後半くらいになっているのではかろうか
このタイミングで会わなかったらもう一生会わない気がしている
父方の祖母もまだ生きているのかあやしい

もしかしたらちょっと分かり合えるかもしれない
分かり合えないクソイベントと化すかもしれない

次に仕事か、人生の方向性が決まったら、報告に行こう

おそらく父は器用な人間じゃなかったし、今風に言うと発達障害とかアダルトチルドレンとかその類なのかもしれない

ちなみに父の母(つまり祖母)はマイナーな宗教に完全にハマっていて、父の兄はそんな祖母が嫌で15歳で家出をして絶縁している
私も小さいころはその「集会」に毎週連れて行かれた

母の宗教狂い、兄の突然の家出と絶縁、父もいろいろあったのだろう
そういうえば父の父(祖父)は炭鉱で一発儲けた後、湯水のごとく金を使い、借金だけ残して死んだ。
祖母は宗教に使う時間以外は、定年を迎えているにもかかわらず借金を返すために働いていた

悲スィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!

負の連鎖かよォ

でもこれも田舎ではよくあることなのかもしれない

「筑豊」と聞くと、父とよく行った当時できたばかりのコスモスコモンと、なんか唯一の商店街の唯一の映画館で見たクレヨンしんちゃんの映画を思い出す

あれらはまだ変わらずにそこにあるらしい

近いうちに行くことになるだろう

私はなんとなく思うのだが、父は家族と離婚してからは、わりと楽しく人生やっているんじゃないかと思っている
おそらく荷が重過ぎたんじゃなかろうか。家族を作るということに対して
むしろ変に後悔とかしてないでほしい。逆にむかつくので



父はまた槍を投げてくるだろうか

今の私はもう、槍が飛んできたらその場から逃げることを覚えた

「なにしてんだよ」と笑って「そのゲーム」を終わりにすることを覚えてしまった

でも、もし父親が5本槍を飛ばしてきたら

そのときはせめて2本くらいは叩き落としてやろうと思っている

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