【深い河】遠藤周作の到達点
遠藤周作の『深い河』がとても面白かった。『沈黙』と並んで作者の長年抱えていた宗教的問題を描き切った主著。
『深い河』は5人の日本人がガンジス川に観光する話。あらすじだけ書くとちっとも面白そうじゃない。だが遠藤がどんな思想を持ち、どんな思想と戦ったのかを読み解くとしみじみと考えさせる傑作だ。
中でも、成瀬美津子と大津という2人の会話に遠藤の悩みの核がある。今回はこの2人の会話を中心に作品の面白さを紹介してみたい。
◆口下手なクリスチャンのモノローグ
美津子と大津はキリスト教系大学の同級生だった。しかし両者のタイプはまるで異なり、美津子は取り巻きを抱えイケイケの「陽キャ」で無神論者、大津は友達もいなく授業では前の席に座っているタイプの「陰キャ」で敬虔なクリスチャンだった。
無神論者の美津子は、宗教なんて信じている大津を不快に思い、いじめる。そのいじめ方が陰湿で、まず大津を誘惑し(もちろん恋愛感情などない)、キリスト教の棄教を迫り、棄教させたらさっさと別れて、取り巻きと笑いの種にする。まあ、他人の信仰を踏みにじって快感得るとんでもねえ野郎だ。
大学卒業後しばらくたって2人はヨーロッパで再開する。なんと大津は棄てたはずのキリスト教をまだ信じていた。美津子はまた意地悪な気持ちが起こり大津に棄教を迫る。
◆キリスト教の真理は日本人は重すぎる?
どんなに神を疑い、棄教しようとしても、神がこちらを捨てない。このような思想は「正当」なキリスト教からはかけ離れている。それは大津が誰よりも理解していた。その後2人はたびたび再開し、宗教について議論を重ねる。
大津は日本人に合うキリスト教、自分が救われるキリスト教とは何かをずっと考えていた。善悪をきっちり分け、棄教すれば地獄に落ちるようなものではない、別のキリスト教を。だが無神論者の美津子にも、ヨーロッパのクリスチャンにも、大津は馬鹿にされていた。美津子もクリスチャンも論理で自説をとことん武装していた。作中で口下手な大津はいつも「論破」され続ける。「無意味だ」「間違った考えだ」などと叩かれ続ける。
◆善も悪も包み込む宗教
大津(=遠藤周作)の思想は誰からも理解されないが、確実に深まっていった。キリスト教、仏教、イスラム教など世界に数多くある宗教はすべて同じことを語っているのではと思うようになる。
◆最後に
大津=遠藤の達したキリスト教観。それは①善悪が無分別であり、②各宗教ごとの垣根が取り払われ、③どれだけ棄教しようとも救われるという極めてラディカルなものだった。ヨーロッパの敬虔なキリスト教が聞いたら大反論されること請負だ。
もうすでに材料は出し尽くしているが、次回は遠藤周作の思想をより深掘りしてみたい。
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