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小林秀雄がグッと読みやすくなる3つのポイント


ぼくの記事によく出る批評家・小林秀雄。

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「生きてる意味がわからなかったらどうしますか。
そんなことを教えてくれない学問は学問でないね。」
小林秀雄(1902-1983)

日本の近代批評の確立者と言われ、一時期の文学界を引っ張った人。

一方で受験国語で学生を悩ましたせいか
「悪文野郎!」とか
「なに書いてるのかわからん!」
と罵られる作家
でもある。


ぼくは高校のころからあこがれて読んでいたのですが、正直かっこいい文章にひかれて無理して読んでただけで、理解してませんでした。

どこが近代批評の確立なのか。
ヒデオ以前と以後で批評はどう変わったのか。

ヒデオの全体像や問題としたテーマがみえてきたのは20歳こえてからです。
いまではぼくの考えに決定的な影響を与えた人になり、もう完璧ヒデオにやられちゃってます。
思うに、ヒデオはけっして悪文でも、古臭い作家でもありません。人生に強い影響を与えうる偉大な思想家です。

今回の記事では小林秀雄に挑戦して面白いと感じなかった人、そもそも小林秀雄が何を言っているのかわからない人をターゲットに、ぼくなりのイントロを書きたいと思います。
3つにわけて紹介しますが、目指すところは1つとなるでしょう。



①イデオロギーをくそみそに批判した


ヒデオは文壇デビュー作「様々なる意匠」でプロレタリア文学を批判したと言われています。

プロレタリア文学とは社会主義に根差した政治的な文学をいいます。

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「思想的な文学を創ろう!」byプロレタリア文学


けれどもヒデオの試みはもっと過激でした。
プロレタリア文学に限らず主義主張いわゆるイデオロギーすべてを批判したといっていい。
なぜ批判したのでしょうか。
イデオロギーのような小手先の思想では人間はわからないからです。

けれども現代はますますレッテル張りの文化ですね。
決めつけるのは楽なんです。

お前は女だからああだとか、
B型だからこうだとか、
どこ大学だからそうだとか。

そんな決めつけでものごとをわかった気になってはいけない。
人生とはもっと難しい、そしてだからこそ生きる価値があるんだ、これがヒデオの主張だとぼくは考えています。


このことはよく考えるべきでしょう。
ちなみにぼくは友達にヒデオロギーとうんざりされてますが、その際は毎度上記のようなこと書いたことをくどくど言ってます。
そしてまたうんざりされてます。



②感動を言葉にする


ヒデオはイデオロギーを批判しました。
ではレッテル張りの代わりになにを重視したのか。
それが直観です。
体験した感動といってもいいかもしれません。

はじめに感動が起こります。
この感動はなにかと、あとから振り返って言葉にする。

ヒデオの批評はこの展開が多いです。


そば食ってたり、道歩いていると、
ふと昔聞いたモーツァルトの一小節や昔読んだ古典の一文が生き生きとよみがえってくる。
なぜいまよみがえってきたのだろうと振り返り、その探求を言葉にしていく。

重要なのは、ヒデオにとって「考える」とは能動的なものではなく受動的なものだったということでしょう。

ぼくがなにかを主体的に考えるのではなく、とてつもないなにかに考えさせられている。このもののみかたがヒデオ批評の醍醐味です。これについて、「老いと思考」をテーマにまた書いていきます。



③批評を通じて自己を語った。


これは自分語りではありません。
作品を深く知るとき生まれる自己の感動を言葉にしたのです。
自分語りとは作品を自分の好みで、いいように解釈し、歪めて、利用することだ。

ヒデオの目指したのは作品をよく読み、あるいは鑑賞し、それを想像し、過去の著者と一体化して、現代に生き返らせることでした。
どういうことか。

秀雄は多くの天才を批評する。モーツァルト、ドストエフスキー、実朝、そして宣長……

彼らの著作をよく読み、よく聴き、彼らと出会った体験を秀雄は語る。この体験が結果的に自己を語ることになるのだ。

自分自身が感動し、作者の身振りがみえてこない言葉と一体化することはできません。
私の感動は私しか体験されない。そして感動をもとに書かれた批評は作品を自分の都合のいいようにゆがめたりはできない、まっすぐな批評文学となるでしょう。これが秀雄の態度である。


3点書いていきましたが、いかがでしたか。

ここまで書いてなんですが、小林秀雄がなぜ近代批評の確立者と専門家に言われているのか、ぼくにはわかりません。

そんなことは彼の批評を読むうえでなんでもないことなのです。ただヒデオ以降優れた批評は芸術作品として扱われるようになりました。人間の内面を掘り下げる文学作品と批評は同列になった。



◆小林秀雄の本はまずここから


最後にヒデオの本はなにから入るのがいいか紹介します。
おそらく『考えるヒント』はヒデオ作品で1番読まれている作品だと思います。

けど個人的には入門としておすすめしません。
よく話が脱線しますし、散漫な印象で、結局なにが言いたいのかわかりづらいです。

実際、ヒデオは全体の構想を練ってから書く人ではなく、書きながら考える人でした。『考えるヒント』はそれがよくも悪くも顕著です。では最初になにから入るべきか、個人的には講演録をおすすめします。


割高ですが、ぼくは近所の図書館で借りてマジで何十回も聞いてます。手っ取り早く触れたい場合は『学生との対話』という本にもなっていますのでそちらをどうぞ。



◆まとめ


①小林秀雄はレッテルで人間をわかった気になっている人を批判する

②ヒデオはレッテルではなく感動を重視した

③人間を知るためには著作をよく読んで、自分の心のなかに息づかせなければならないと考えた

④感動した自己を語ることが批評となる

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