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スガ政権の「武器」。「公務員人事」の妙を、別な角度で考えてみた。~公務員が「人事」に弱い理由。

「政治家」と「官僚(上級国家公務員)」と「ふつーの公務員」はぜんぜん違うもの

さて、ここで言いたいのは、一般人が考えている「官庁側」におるものは、「政治家」「官僚」「公務員」
この三者が一緒くたにされているような気がしてならないのです。
ですから、ここでは分けて考えてみましょう。
これから解説するのは「官僚=上級国家公務員」
についてのお話だと思ってください。
市役所に勤める公務員の皆さんには、
ほとんどあてはまっていませんので、ご了承ください。

 官僚は、同期入省者がほぼ横並びで昇進していきますが、
当然ながら昇進するほどそのポストは少なくなります。
この競争の中で、一般企業ではリストラなどの人員整理が行われたり、
系列会社への出向という措置がとられます。

公務員の場合、職務の性格上法律でその身分が保障されているため、
リストラはないのですが、これらの昇進の際に
その席が望めない状況は必ず生まれます。

したがって、その段階で斡旋をうけて早期勧奨退職をうけ、
どこかに再就職をするしか選択肢がなくなるのです。
この事をマスコミは「天下り」と称しているのです。

むろん、まったく畑違いの所に、
50過ぎの官僚退職者が行っても何の力にもならないから、
自然の流れとして「関連ある」企業や団体に行くことを
「承認」されるというからくりなのです。

「天下り」を根絶する方法

 暴論を恐れずに言えば、いわゆるマスコミのいう
「天下り」を完璧に根絶やしにする方法はあります。

それは、公務員の再就職を一切禁止することです。
公務員が離職した場合には、一切の再就職を禁止するというものですが、
こんな事をしたら憲法の職業選択の自由の権利に抵触するばかりか、
それならば公務員になろうとする者はいなくなります。

もしくは、年金受給の年齢まで定年延長し、
参事でも担当部課長にでも据えておいて
定年まで飼い殺しにする方法があります。

しかし、それでは高給取りの高齢公務員が
人件費を逼迫させることになります。
天下りはなくなるでしょうが、公務員の人件費は大幅に増大します。

しかし、そのリスクを担保すれば、天下りはなくなるはずですよね。
つまり、天下りをなくすには捨て扶持が必要だということなのです。
だから、人件費を削減する事と、天下り根絶は矛盾する政策なのです。

政権を持った政治家は、このあたりもうまくつかんでいたのでしょう。
知らないうちに「官邸主導」になるのは当然のダイナミズムです。
いろんな「ポスト」を用意するため、「特務機関」を増やすわけです。

 もう一つ、国家、地方共に公務員が退職後に
「一切の再就職まかりならん」としたならば、
公務員とて突出した高給取りではないため、
年金受給年齢までなんとか生活しなくてはなりません。

その際にそれまでの収入をどう担保するかという話になります。
公務員は特権階級ではなく、むしろ同期の中では給与水準は低いのです。
だからこそ「身分の保障」がそれで担保されているのです。

景気がいいと公務員は惨めに見え、
逆に不景気だと公務員は高給取りに見られるわけです。
バブル期に公務員になろうとする者は
ほとんどいなかった事がこれを物語っています。

ろくに蓄えもできない状況で、
再就職まで禁止されたらモチベーションが下がるのは明らかです。
かといって、民間に公務員が担っている公的業務を担わせるのは
別の意味でリスキーでしょう。
そうでなければ公務員は別に働かなくとも生活が保障されている、
資産のある者しかできない
ことになります。

「前の官房長官」が公務員を「傘下」にしたメカニズム

 そうなれば、本気で天下り根絶だけを考えるのであれば、
公務員の人事流動化があがってきます。
つまり、公務員に身分保障を担保せず、完全業績制にし、
入省年次による職能給を廃止し、各ポストを流動化するのです。

入省年次を関係なく抜擢、降格をどんどん行い、
外部からも人材をどんどん投入する。
つまり、競争原理を公務員に導入するのです。

 しかし、この仕組みはこれはものすごくハードルが高いです。

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なぜならば、公に立脚する公務員の仕事は、
本来「できてあたりまえ」からスタートするからです。
つまり、公務員の評価とは、
基本的にマイナス評価にならざるを得ないのです。
そして、その評価をだれがどうやるのか、
この辺も合わせてその難しさは大きいのです。

 これが蔓延すれば、民の評価だと官僚すら「政局」に陥ってしまうし、
場合によっては買官などの汚職の温床にもなり、
腐敗のもとになるのは目に見えています。
官僚の世界にまで政治の要素が生まれてくる可能性があるのです。
それは決していい傾向ではないでしょうが、現政権は、前政権のころから
これをやりまくっていた。だからの今の状況だと分析します。

 お役所的、とよく言われますが、
裏を返せばそれは「誠実」・「公平」の証しでもあります。
だからといって、現在指摘されているような状況は、
国民や市民のコンセンサスを得ているとは思えません。

ましてや、あぐらをかいている不心得者は確かに存在するからです。
これは何も公務員に限ったことではないのですが、
公務員の場合は、「信用失墜行為の禁止」という条項があるので
より厳しい目が向けられるのは致し方ないのです。

そんなことより、これら官僚を「政治主導」などと操っている
議員のモラルこそが今は求められているのではないでしょうか。
官僚のトカゲしっぽ切りをさせて、
無駄に創った「特務機関」や「外郭団体」のポストをあてがう
そういうやり方はある意味「禁じ手」です。

企業の「社会的責任」

一緒くたに、民ならいいが公はダメだという論法は、
同じ国民である以上おかしな話です。
公務員に求めることは企業にも同様に求められることなのだからです。
企業とて、消費者から掠め取った「利益」によって
成立しているのだから、社会的にはそれなりの責任があるわけです。
だからこそ「コーポレート・ガバナンス」が求められているのです。

 天下りで、意図的に退職金を掠め取ることは
許されないことは異論を持ちません。
ですが、こういう不心得者と同列にして、
様々な生活事情における慣行まで乱暴に断罪するのであれば、
あまりにも無慈悲ではないかとも思うのです。

昔から、現実には悪徳商人や悪代官なんて、
そんなにいるものではありません。
ほとんどがマジメにそれなりに働いてきた人たちばかりなのです。
その生活慣行から生まれた暗黙知までほじくって、
外野から声高に「正義」をかざしても
新たな矛盾を生むような気がする
のです。

 アウトサイダーに立って、声高に批判するのはかっこいいですが、
どんな人間もそれなりにそこのフィールドで
インサイダーの場面を持っていることを忘れてはいけないとおもいます。

物事には必ず存在の理由があり、
絶対的な悪もないし、絶対的な善も
あり得ないからです。

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