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自治体職員が説明資料を作成しようとすると抱える課題

わたしが感じた「わかりにくくなってしまう」事情

今年(2022年)になって70年ぶりに国家公務員の文書作成のルールが見直された。

「公用文作成の考え方」について(建議) 平成4年1月7日
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/93650001_01.html

それに呼応して、20数年間、行政や企業の資料作成に関わってきた経験から、わたしが感じた「自治体職員が説明資料を作成しようとすると抱える課題」について、企業の場合と比較しながら書いておきたい。

ひとつめの課題 「常にもれなくを要求される」

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資料作成の課題は主に2つある。
ひとつめは「網羅性」の重視だ。

企業は新しいサービスや商品を提供する場合に考えておくべき事柄は、その時点での一定程度の完成度でよい。あらゆる場合を想定して完璧に対処できるようなことは、通常しない。おおよそ起こるであろうことを考えて致命的なことが発生しないと考えられればゴーサインが出る。

提供してみて思ってもみなかった客層に受け入れられたり、思ってもみなかった使い方をされることがあるが、当初の企画意図から大きく外れたとしても新たなビジネスチャンスの拡大として歓迎される。日傘が男性に使われたのがこのケースだ。

さらには一部のネットサービスやアプリのように一定程度の完成度で提供してみて市場の声を聞きながら改良していけばよいという考え方をすることさえある。

ところが行政の場ではこうした考えはなじまない。
提供にあたっては検討段階で可能な限り完璧に対処方法を決めておくのが一般的だ。想定される対象や利用のされ方など起こりうることはあらかじめ完璧を目指して作り上げられて提供される。いざ提供してみたら考えていたことと大きく違ったということは許されない。たとえばコロナ禍に見舞われた中小飲食店を支援するための制度を進めてみたら、大企業のチェーン店ばかりが利用したということはあってはならない。

網羅性という点からもうひとつ企業と行政が大きく異なることがある。
企業は担当者によって顧客とのやりとりをするにあたって方法や対応レベルに違いがあっても問題ではない。むしろ営業担当者が顧客の要望に合わせて、より的確なアドバイスできれば、より成果を上げることができる。その成果に応じて評価や報酬に違いが生まれることは当然のことだ。

それに対して行政では同じ業務であれば、誰が対応しても同一であることに注意が払われる。住民に対するサービスが窓口の担当者によって大きく異なるということはあってはならない(担当者によって経験や適性などから違いが生じることは実際にはあるが、制度としてはどんな人が携わっても対応の内容や質については平準化されていなければならない)。

そうしたこともあって業務は厳密な規則に基づいて行われる。その規則は突発的な例外が発生することは、できる限り避けておくべきということから、付則や補則といったものが多くある(こうした結果として対応が杓子定規になり、融通が利かないことが多いという印象を与えてしまうこともある)。

こうした網羅性の重視は行政という仕事の性質から必須ではあるが、説明資料の表現においてはマイナスの影響を及ぼしてしまう。
説明のための資料にも網羅性を追求し、内容を詰め込みすぎ、けっきょく何が言いたいのか伝わらなくなってしまう。

これが、ひとつめの課題「網羅性のワナ」だ。

ふたつめの課題 「説明相手との距離がある」

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ふたつめの課題は説明相手との「距離感」の存在だ。資料を作ったり説明しようとしたりする者と理解する者の経験や知識のギャップが大きい。

たとえば介護保険制度や税、法的規制などに関する知識といった本来はその仕事に一定期間、関わっていないと充分に理解できないような専門的な内容について知識や経験の異なる他部署や住民、業者などに伝えることを要求される。

もちろん企業にも知識の異なる人を相手にする仕事はある。たとえば民間の介護事業サービス業者はそうした対応を迫られるが、対象サービスは範囲が限定されており、また組織にはたいてい長年業務に携わり経験や知識を持ったベテランの職員がいる。

それに対して行政では、ほとんどの職員が数年間で異動する。属人性の高い経験値・暗黙知は組織のなかで人を介して伝えられる割合は企業に比べて少ない。

企業では経験豊富なベテラン社員が退職するといきなり困った事態になるが、行政では人の入れ替えは日常的だ。

また弁護士や医師、会計士、薬剤師などの自分の知識とはるかに差がある相手に説明する必要がある職業はあるが、それらは法律で業務範囲が固定されており、自らが提供するサービスを望んでいない相手に必要な事実や考えを受け入れさせる責務はない。

一方、行政では関連知識が少なく、必要性を感じていなかったり、望んでいなかったリする相手に説明することは日常的で、そこでは説明責任を問われる。説明する相手には高齢者や子ども、障害者、また日常的に文書でやりとりすることに慣れていない人たちにも、必要なことはきちんと理解してもらわなければならない。
そこで使われる説明資料は事実をきちんと記述するだけでは伝わらない。

これら「網羅性のワナ」と「距離感のワナ」が自治体職員が説明資料を作成しようとすると抱える課題である。

解決の鍵は「階層性」と「抽象化」

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では、この2つワナにかからないで、わかりやすい資料を作るにはどうしたらよいのだろうか。

「網羅性のワナ」に対するには「階層化」だ。
冒頭から順に詳細な情報を示していくのではなく、まず「初めの一歩として理解すべき内容」を最初に取り上げて、次に個々の相手の状況によって必要となる特定の内容に導いていく。

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もうひとつの「距離感のワナ」に対するには「抽象化」。
すべてを正確に描写しようとすると、何が言いたいのかわからない資料になってしまう。

そこで相手に「何について判断し、どのような行動や意思決定をして欲しいのか」という目的に照らし合わせ、取り上げる情報をほんとうに必要なレベルまで抽象化する。
そして、そこで使うことばや考え方などは相手が使っていることばや考え方を使う。相手が「使っていることばや考え方」というのは、相手が「理解できることばや考え方」とは違う。相手が使っていることばや考え方、すなわち相手自身になじみのある言葉を使って伝える。

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こうした「階層化」と「抽象化」を資料作成に取り入れることが、行政の説明資料のわかりにくさから脱却する鍵であると考えられる。

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