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【歌詞解釈】小松未歩の『I~誰か...』に本気で感情移入してみた

毎月恒例、考察という域を超えて妄想をお届けするシリーズの第5弾。
小松未歩の1曲だけで1時間話すという企画の一環として執筆する、
下書きというかカンペとなります。

個人的に『I~誰か...』は
小松未歩史上、最も脆さを表している楽曲だと感じています。

楽曲の音色、歌詞の後ろ向きな言葉選び、
いつもどおり、されど抑揚の薄い歌い方。
それらすべてが、誰もが直面する哀しみの色を染め上げているようで
儚い、故に美しい一曲となっていると私は思うのです。


ビデオクリップが醸し出す圧倒的な死の匂い

まず、PVはごらんになられているでしょうか。
セピアともモノクロとも取れる、彩度を極端に落とした
植物、コンクリート、被写体。

ただ色調を統一しているだけでなく
さらさら揺れる草花、フェンス越しの空、取り残された人形等
物悲しさだけを漂わせる構図
古い映画フィルムよろしくノイズ混じりで冒頭から流れ込んできます。

おおよそ日本でない情景、異国の大地。
ここではないどこか。

小松未歩自身も登場し、花束を抱いていて
これも献花を思わせます。
この心象情景は『Love gone』のPVと重なりますね。

ただ、片手で持つ部分も見て取れることから
それに対して当て所ない心残りがあるのだと推測できます。

何らかのストーリーが綴られた書籍がめくれ
ルビンの壺のように2つの対面した自分の影が向き合い重なりすれ違い
ゆらゆらと陽炎で歪んだレンズでそれらを移したあと、
うつむき視線を落とし、やがてページの途中で紙は炎を上げました。

それはさながら後悔に胸が灼かれ希望を焦がし尽くし
白い服はまるで炭化したように漆黒に成り果てたあと、
ようやく立ち上がり歩き出す姿は、前に進んだようで
同時に非常に痛々しく映るでしょう。

「取り戻したい時間があるの」という歌詞の裏で流れる映像。
時計から始まり再び1ABメロと同様の景色を見せるのは
明らかに過去にとらわれている証拠。

2Bメロに移ると再び黒い服(現代)へ戻り
枯れた草木や空が流れ
最初の情景から時間が経ったことを教えます。
トーチに儚く添えられた両手も切ないですね。

座った自分に交差する2つの自分の影。
過去にも戻れず未来にも進めない心情と捉えるのに
難くない表現ではないでしょうか。

リップシンクしているのは白服のときだけ。
蝋燭を持っているのは黒服のときだけ。

あなたがいるときに活きていた自分と
あなたをなくして喪に服した自分。

思い出は焼失し、花は枯れ、町は色をなくした。
誰か、私に生きる意味を教えて。
こんなにも暗く鈍く、美しく儚いビデオクリップは、
随一の出来だと個人的には思っています。


歌詞は耽美とさえ呼べるほどの闇色

そんなPVに引っ張られて読み解く歌詞は
それこそ私の大好きなV系によくある世界観を連想させます。

それは利己的な悲壮主義
自分が可愛そうと嘆くだけの悲恋歌。
落ち込んでるときに聴くとシンクロ率400%になり
いい感じに蕩けられます。

色のない街を歩いていた 木枯らしに吹かれながら
自分が何者かもわからずに どこへ行くの

秋から冬にかけての情景は
もの悲しい雰囲気を醸すのに最も適している季節です。

外気温の冷たさと内側からくる寒さ。

涙でふやけた視界は皮膚と空気という境目さえ不明瞭にして
人格を麻痺させ感覚は失われます。

恋をして人生が色づく≒絶望しすぎて色彩を失う
というのは自分もよく使う表現であり
V系の世界ではそれはそれはベターな歌詞と言えるでしょう。

人の愛し方も忘れて こみ上げる思い、殺した

KinKi Kidsの『もう君以外愛せない』ではありませんが
たった一つの恋で大げさなことですね。

……なんて切り捨てるのは、きっと本気の恋をしていない証拠ですね。
まぁ自分もしたことありませんが。

ただ、何か些細なきっかけでも
人を愛することが怖くなるという経験はわかるつもりです。
ひとはそれをトラウマと呼びます。あなたにも1つや2つ、ありませんか?

何も感じないわけではないんです。
ただ、繰り返すことが怖くて、隆起した感情を押し殺すのです
人はそうして悲しい思い出を深化させてしまい、
いつしか拗らせてしまうのです。

思い出が美化されてしまいがちなのも、同じ効能ではあるんですけどね。

誰か ここにいる意味を教えて
響く鼓動も無駄に思える

「born to love」という慣用句は
生まれた意味を問われたときの最適解だとは思いますが
個人的には大嫌いな言葉の一つです。

もしもそれが真理だというのであれば
愛が解らない私は生きている意味がないということになります。
心臓が動いていることが無意味だということになります。
よって、その文字列を受け入れるわけにはいかないのです。

私はとある事情で、現在精神的に療養中ということもあり
社会的貢献度は0%です。

私の場合その原因は失恋にはありませんが
それがトリガーとなる可能性は充分に想像できます。

「生きる意味は?」と言われれば、
「死ぬ理由がないから」としか言えません。

そんな寂しいこと言うなよ、と
優しいあなたなら言ってくれるのでしょうか。
それなら……誰でもいいから、生きる意味を教えてよ

心 体 揺さぶられることが
煩わしくて このまま消えたい

心が揺れる というのは、感情が動くということでしょう。
体が揺れる というのは、性的な意味とも取れるでしょうか。

それが煩わしい ということは――

皆さんは精神を病んだ経験はあるでしょうか。
一番それを実感するのは、"大好きなことがしたくない"という
謎の観念だと思っています。

私は音楽を聴くことが大好きです。
アニメを見ることが大好きです。
小説・漫画、その他諸々活字を読むことが大好きです。
絵を描くことや詩を書くことが最高の趣味です。

でも、それをしたくないと思ってしまう時期があります。
不思議ですよね。
いくらでも時間はあったのに、それができないんです。

実は今もちょっとそうで、
つい最近までnoteを書く頻度が極端に落ちていました。

そんな折にSNS等に消極的になるのは
まさに情報に一喜一憂するのが煩わしいと確かに感じているから
に他なりません。

ここ一年ほどが酷くはありますが
程度の差こそあれ、実は定期的に訪れる症状なので
まぁやっぱりどこかで決定的に踏み外したんだろうなぁとも思ってます。

なにかの期待を抱かれても、正直応えられる自信がないので
自分がこのまま消えてもまぁ何も変わらないんだろうな
……と考えてる辺りが、自称永遠の中二病たる所以です。

取り戻したい時間があるの 伝えたい言葉がある

あーもう、ここの歌詞のなんたる普遍っぷり。
共感しない人居ないでしょ

いくらでも抽象的な例は挙げられますが
今自分の中でもっとも色濃く抱いているのは
マネージャーに就任し初めた頃に戻って
今の知識でもう一度やり直したいということです。

もうあの頃は何もかもが手探りすぎた。
最たるはコロナ渦。
もっと、上手くできたはずだ。やれたはずだ。
今俯瞰してみればもっとももっと選択肢はあった。
あの娘達に、もっとやってあげられることがあった。
もっと、かけてあげたかった言葉がある。

具体的に、心からそう思います。
まだやらなきゃいけない仕事は残っていますが
まずは病気を治さないと向き合うこともかなわない。
人生最大の汚点です。
もう触れることもしたくない。
あのときはあのときで最大限フル稼働してたんだ!!!!!

……盛大に矛盾してますねぇ。でもそれが実情です。

――はい、歌詞に戻りましょう。

緋色の空が君を連れ去り 星にしても

この曲が阪神大震災のことについて書かれたものだという噂を聞いて
なるほどこの部分が特にそうだなと感じました。

が、もちろん私の解釈だとそうはならず
単純に火葬されて空に昇り星になるという
とても普通(?)で必然的な解釈です。

全然関係ないんですが
川田まみの『緋色の空』ってこの曲のアンサーソングっぽくないですか?

愛しい人の助けになれず 泣いてばかりで ごめんね

ここでいう「愛しい人」は恋人とかではなく
こうして塞ぎ込んでる自分を見捨てずに付き合ってくれている
友人や知人、親族
だと捉えています。
そう、これを読んでくれているあなたとか。

こんな後ろ向きな文章ばかり紡いでいてごめんね。
口を開けば泣き言ばかりでごめんね。
まぁ実際はそんなにマイナス思考なことは口頭では言ってないんですが
空元気を上塗りしているだけであんまり本心を語ってないのは事実で
本音を言ってなくてごめんね。こんな嘘つきでごめんね。

でも付き合ってくれてありがとう、なんて思ってないんだからねっ

人は生まれ散りゆくまでの人生を
懸命に生きて 足跡残す
だから 夢や希望が輝くと

冒頭で「木枯らし」という言葉を使ってるので
人の死を「散りゆく」と表現するのはとても自然でしっくりきますよね。

懸命なほど夢や希望が輝くというのも詩的で素敵で
なんて活力に満ちた言葉なんでしょう。
いいこと言うね。うん、そうであってほしい、
そういう世界であってほしいと、心からそう思います。

教えてくれた 君だけが居ない

見捨ててはくれない人達に恵まれ、
塞ぎ込んでた気持ちを整理して再び歩き出し
人並みの生活に戻ることはできた
……けど、その景色に、君だけが居ない

これほど絶望を感じる瞬間はあるでしょうか。
描けた未来が綺麗であればあるほど、
それは鋭利さを増して胸に突き刺さります

誰か ここにいる意味を教えて
響く鼓動も 無駄に思える

ジャンヌの『霞ゆく空背にして』ではありませんが
夢や希望を教えてくれたのなら、忘れ方も教えてよ。

とはいえ
なんでも教えてもらおうとする姿勢は褒められた行為ではありませんね。
少しは自分で解決してみなよ。考える葦なんだろ?他人に頼るな。

……いや、違うのよ。

これが夢の途中ならいいのに
冗談だよって 笑わせてほしい

それまで持っていた価値観を覆すほどの劇的な出逢いだったから
ここまで深く絶望に惹かれてしまってる
わけで
けして考えることを放棄しているわけではないの。
打ちひしがれている今、自分がたどり着けないだけで。

君と私の間でだけで生じた現象だから

誰か――

なんて問いかけてるけど
自分以外の誰かに解決できるわけもない

だから、誰かとは問いかけてはいるけど
けしてその誰かが解決してくれるわけでもないことも、もう知ってる。

強いて言うなら――
誰でもない、立ち直れるはずの未来のI~自分…に、教えてほしいのだ



ジャケットの折り返し部分でも
miho komatsu I で切れるようになってるしね。

本当のタイトルは『私』。
Aメロで歌われている「自分が何者かもわからずに」。
つまり、誰か…のあとに続く言葉とは?

A.__ (私が)誰かもわからない

でしょうか。

茫然自失、私が誰なのか、もうわからない。見失った的な。
なんつって。


アンサー

余談ですが、一個前の記事で
「この曲と似ている世界観」として自作の詩を掲載しました。

この歌の時点では、「私」は「違う人」に恋愛感情を抱いてませんが
「違う人」はそのことにとっくに気づいており
"「私」オマエの感情なんてどうでもいい、自分がそうしたいからするだけ"
という態度を取り続け

また「私」のほうはあんな事考えてますが
人との距離感を図るどころか断絶しているがゆえ
表面的には誰にでも過剰に優しく基本的に"いい人過ぎる"ので
一身上の都合で世界から疎まれている「違う人」にとっては都合が良かった
という利害の一致で、最後はハッピーエンドっぽく終結します。

まぁ結局お互い恋愛感情を吐露しないまま終わるので
傍から見てハッピーかどうかはわかりませんけどね。


つまり、何がいいたいかと申しますと。

案外立ち直ろうとしなくても生きていけるというか
小松未歩の『No time to fall』じゃありませんが
どんなに落ち込んでいてもお腹も減るし笑ったりできるもんです。

無理に元気になる必要はありません。
ゆっくり、刺激が怖いならなるべく緩やかに。
生きる意味なんて、「死にたくはないから」くらいでいいじゃない。

もしかしたらそのへんに転がってる愛ってやつを拾うかも知んないし。

信じてはないけど、救ってくれる誰かいるかもなと思い込むことで
シュレディンガーの希望が顕現している

と、私は解釈いたします。


Afterword

というわけで。

ここ最近最も入れ込んでる『I~誰か…』の拡大解釈でした。
悲しい哀しいと嘆いてるうちは、
逆説的に生きたいと願っているんだ
とも思っています。


そんなかんじで
私も深海を潜水するように、されど前へ進んでいこうと思います。
たまに水面から顔出すので、万が一見かけたらよろしくです。

次回は今季のアニメをザ~っと見てみた一言感想をダラダラ綴ります。
よしなに。




最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!