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【歌詞解釈】小松未歩の『happy ending』を本気出してファンとの決別として捉えてみた

毎月恒例、考察という域を超えて妄想をお届けするシリーズの第4弾。
小松未歩の1曲だけで1時間話すという企画の一環として執筆する、
下書きというかカンペとなります。

どのオリジナルアルバムにも収録されておらず、
シングルコレクションに新曲として
そして結果的に小松未歩として最後に発表された、
非常に特別な一曲
です。

「happy ending」と冠されているため
どうしても"最後の曲"という意味合いとは
切りはずしては捉えられないタイトル。

そしてそれまで迂遠な言い回しを得意としていた彼女の
とてもストレートな言い回しは
どう解釈しても"結婚して引退します"宣言としか言いようのない
そんな内容となっています。

よって解釈はそれと断定しつつ
彼女がこの作品を残したことに勝手な意味付けを行ってみたいと思います。


あなたにとって小松未歩はどんなアーティストでしたか?

まずこの楽曲をめぐり、「らしい」「らしくない」の論争がありました。
すでにこの時点で、受け皿自体が非常に多岐に渡っていたことが伺えます。

十分に売れたアーティストではありますが
それこそ嵐やB'zのように
万人に愛される、とまでは行かなかったはずなのに
こんなにも聴手の意見が割れるアーティストも
珍しい
のではないでしょうか。

例えば私の一番好きなアーティスト、JanneDaArcのイメージといえば
エロい、ハードロック、と
ライト層とコア層のイメージはそんなに変わらないと思います。

小松未歩とファン層の似ているGARNET CROWも
ファンタジーでミステリアス、
ZARDだって
元気になる、切ない
等のイメージに則って、その中で
らしい曲やらしくない曲が存在

そしてそれが割と誰とでも一致している印象です。

よって、小松未歩の『happy ending』を聴いて
・普遍的で聴きやすく小松未歩らしい/らしくない
・暗くないから小松未歩らしくない/らしい
・優しい聴き心地で小松未歩らしい/らしくない
・明確な情景が描かれていて小松未歩らしくない/らしい
となるのはとても不思議な現象なのです。

みんなの中の小松未歩像が違う、
いろんなタイプの人が小松未歩を聴いている、

そのどちらでもあるでしょうし、
ただ単にパーソナルがわからないから生じているだけかも知れません。

……などといろいろ御託並べてますが、
これは私自身で証明ができます。
いかんせん私の主食はヴィジュアル系です。
好きな音楽性はわかりやすくアップテンポなロックなのです。

そんな私の特別な位置に、小松未歩が居るのです。
私を惹きつける何かがそこにはある、
何の個性もないイチJ-popアーティストに惹かれるわけがないのです。

あえて強引に共通項を見つけるとしたら、
それは悲しみを歌う歌詞
されど吐き捨てるのではなく、嘆けど時として原動力にさえ変換し
ネガティブとポジティブの共存、あるいは共生
キレイゴトだけじゃないこの世の中でキレイゴトを翳す、
そんな弱さと強かさが大好きなのです。

あなたが小松未歩をこれまでどのように嗜んできたのか、
それがこの楽曲の印象を決めると言っても過言ではない
のです。


何にとっての「happy ending」なのか

いつもだったらこの表現は暗喩だろう、
と決め込んで拡大解釈するのですが
今回はほぼ比喩表現がなくおおよそ読んだままの情景だと思っています。

街灯に照らされた いつもの坂道
手をつなぎ歩いてる 影を並べて

まさに今、いま現状の情景ですね。
並んで歩いていることから二人は睦まじい関係なのでしょう。

なんでもない一日だけど
なぜか心満たされてる

ということをすぐに次のメロディで補足しています。
カメラが切り替わらない情景描写。ノーカット編集とでもいいましょうか。

この時点で
少なくとも『Love gone』『氷の上で立つように』『さいごの砦』
とは全く違う作りなのがわかりますね。

ねぇこんなふうに
いつまでもあなたと過ごしていたいな
哀しみも痛みも 傍で乗り越えて行きたい

まだ先程の景色が続いています。
AメロのことをBメロで歌い、
Bメロのことをサビで歌う。

……何を当たり前のことを言っているのだろう、と思いでしょうか。
そうですね、J-popの歌詞というのはおおよそこういう形なのです。

なればこそ。
これまでそういう歌詞の作りではなかったことが
この楽曲がとてもJ-pop的で、
故に、個人的に「小松未歩らしくない」としている所以
と言えるのです。

今日くれた言葉
またたくさん私に積もってる
しあわせは たぶんこんな事 心からそう思えた

ようやく少し視点が動きました。
ですがそれもあくまで現行を装飾する出来事に目を向けただけ。
小松未歩はこんなにも"いまを見つめる"表現者だったでしょうか

私の記憶では、もっと未来に重点/充填を向けていた印象でした。

まどろむあなたの その睫毛が大好き
指でそっとなぞると おはようになる

2番に入り、すこし小松未歩らしい表現に映ります。
ただ空気感だけは1番と地続きであり、
やはり幸せオーラの説明でしかありません。

違う町で生まれたのに
不思議 同じ夢見ている

眠ってるときに同じタイミングで夢を見て
きっと起きたら今度は同じ夢を描いていける。
あーもうなんなの、このお似合いカップル。末永く爆発してくれよ。

ねぇ映画のように
ドラマティックな恋ではないけれど
限りある未来を 共に生き抜いて行きたい

散々地球と回りたいとか羽ばたくために出逢ったとか
ドラマティックな表現を好んできた方とは思えません
とてもリアリティ、現実的。

花の砂時計さんも注目していた「限りある未来」。
それは空想ではない世界へ回帰するということ。

それは品川みくさんの仰っていた
「小松未歩が作り出した小松未歩像」を取り払うこと、
ではないだろうか。

そうして育てた
かけがえのない絆に見守られて
穏やかな人生だったとふり返れたらいいな

そうした、長年聴いてきたファンが
少なからず似た感情を抱いている
こと、さえも踏まえて
穏やかな人生だったと振り返られたらいいなと歌う。

アーティスト小松未歩はそれはそれは激動だったでしょうし
エンターテインメントとは乖離した自身はあくまで別の生き方
普通の人生をこれから歩んでいく
つまり、これが最後の作品となるということを、
この一文で察することは自然ではないでしょうか

運命はきっと
私達に優しく微笑んでる
哀しみも痛みも 共に乗り越えて行けると

ここはもう結婚の義の常套句でもありますよね。
健やかなるときも病めるときも、なんてね。
私達は小松未歩の曲で
辛い時を乗り越えてきた経緯があるでしょう?
共に、乗り越えてこれたでしょう?

ねぇこんなふうに
いつまでもあなたの傍にいたいな
ハッピーエンドになりますように…
心から そう願ってる

こちらも文字通り、相手とずっと一緒に居たいと願いつつ――

そんなふうに、小松未歩楽曲は私達の傍にあります。
小松未歩の曲を愛してくれたみんなの生活が
ハッピーエンドになりますように

そう、心から願ってくれているのではないでしょうか……


というわけで、
私生活で自身の恋を見つけた、もしくはそれこそ結婚でもしたのか
想像に難くない歌詞だと思いますが

小松未歩というアーティスト像にとってのハッピーエンディング
=みんなの心のなかにいつでも鳴り響くメロディ
という意味で、そしてそれは
こうして今でも皆さんが聴き続けてることで叶っているわけですね。

「-ing」に綴られた意味。
これからも小松未歩の楽曲を聞き続け
いつまでもこの現在進行系を保っていけたらいいな。


Afterword

えー、結果的に全3回に渡って
『happy ending』について書いてしまったことになります。

私に好きな曲で記事書かせてしまうと長くなる
その典型的な事態を顕現させてしまいました笑
複数曲を記事にまとめることで一言の感想にとどめていたというのに!

色んな捉え方があると思いますが
私の中で小松未歩はすでに終わってしまったコンテンツではあります。
だからといって聴くのをやめてしまったアーティストではありません

べ、べつに嫌いなったって言ったわけじゃ、ないんだからね!
勘違いしないでよねっ

今なお私を惹きつけるアーティストであり
むしろ今こうして語り合えることによって
再び燃え上がっている現在進行系のアーティストでもあります

ハッピーエンドではなく、ハッピーエンディング。
このエンドロールはまだ続いているのです。
こうして語り継がれるアーティストに間違いなく成ったアーティストです。

これからも末永く、けして正解のない問題を定義してくれた彼女を
永遠に紐解いていけたら幸いです。できれば、あなたと。


次回は雨SONGを特集したいのですが
書く前に梅雨明けるんじゃないだろうか……
いや梅雨は早く明けてほしいですけどね。
外に出なければ雨は嫌いじゃないんですが。

よしなに。


最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!