「Happy Ending」は小松未歩の「中の人」の気持ちが歌われている気がします

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。思春期の頃から20年間愛してきた曲たちが、時が経つにつれ私の中でどのように変化していったのか、解釈の変化をお楽しみいただけると嬉しいです。
今回は、twitterにて実施された、小松未歩25周年記念の全曲投票で1位に選ばれた「happy ending」(2006年)について書きます。

15年前:小松未歩が「穏やかな人生を望む」ことを受け入れられなかった

この曲がリリースされたのは2006年11月のこと。2006年4月の8thアルバム発売からなかなか次のシングルが出ないなあと思っていた頃のベストアルバム発売。待望の新曲が聴けると喜んだのも束の間、最後の曲のタイトルが「happy ending」。このタイトルを見たとき嫌な予感が頭をよぎりました。もしかして、これが最後の1曲になってしまうのでは…

そして、その後1年待っても2年待っても新曲の情報はなく、ついには公式ホームページの更新さえ途絶えてしまいます。それから15年の時が経ち、サブスク解禁とともにホームページが更新されたのには驚きましたが、残念ながら新曲のリリースはいまだありません。いまのところ、この曲が最後の1曲なのです。

さて、最後の1曲という予感も感じつつ聴いたこの曲。語り掛けるような優しい歌い方を心地よく感じる一方で一つのフレーズがどうしても私には引っかかったのでした。それは、
「穏やかな人生だったと振り返れたらいいな」というもの。

私は、小松未歩の楽曲から、翼はなくても足掻いて傷つきながらも何かを成し遂げたい、変化を恐れず、一瞬でも輝いて生きてる証しをこの世界に示していきたい、そんなイメージを抱き、小松未歩に憧れて、小松未歩に励まされて夢を追って生きていました。

そんな小松未歩が、日常のありふれた幸せをかみしめて生きたいと歌い、「穏やかな人生だったと振り返れたらいいな」と言い残して去っていったのです。結婚を機に引退するということなのでしょうか。運命を共にできる人と出逢えたのだとするならば、それは喜ばしいことですが、そうだとしても、「君次第の人生なんてイヤ」とか「自分で勝ち取る人生だけが無限の可能性を秘めてる」とかそういう人じゃなかったのでしょうか。

音楽とともに生き、音楽で表現して多くの人を魅了してきた小松未歩が、もう、変化を恐れず、思いのすべてをぶつけて曲を作ることをしないのだとしたら、それはひどく寂しいことのように思えたのです。

現在:私が見ていた「小松未歩」が作られたものだとしたら

それから14年ほどが経ったある日のこと、長戸プロデューサーのラジオ番組にて、突然、小松未歩のデビューの経緯が明かされることとなります(正確には、それより前に寺尾広さんの書いたコラムで一部明かされていたようなのですが、私はその記事を知りませんでした)。

いまでも見ることができる、小松未歩の公式ホームページによると、「3歳の頃から兄の影響でエレクトーンを始める。中学時代から、邦楽・洋楽問わずに興味を持ち、オリジナルの作詞・作曲を始める。この頃、始めて組んだバンドにkeyboardで参加する。高校時代より、バンドのヴォーカルとして、京阪神のライブハウスに出演する。創作活動、ライブを続けていた時、知人を通じオリジナル曲のデモテープがプロデューサーの手に渡る。」とされていました。

しかし、長戸プロデューサーが語ったところによると、もともと小松未歩はミュージシャンとしてではなく、秘書募集でbeingの門戸を叩いたとのこと。それまでの作曲経験はなく、楽器も弾けない。けれど、カラオケに入っている曲はほとんど歌えるというほどヒットソングを熟知していた素質に長戸プロデューサーが目をつけ作曲をすすめてみると、小松未歩の才能が一気に開花していったのでした。

要するに、(長戸プロデューサーが後に語ったことの方が正しいのだとすると)公式ホームページに載せてきたプロフィールは全て噓だったわけですが、ここも一つ「小松未歩」を知ることのヒントになるのではないかと思っています。すなわち、幼少期から音楽で自己表現を続け、高校時代から自らバンドを作ってライブハウスで活動するアクティビティを持ち合わせていた。そんな姿こそが「小松未歩」なのだ、として、「小松未歩」のキャラクターを作り上げていったのです。

類似例として、長戸プロデューサーはZARDの坂井泉水に対して、「平成に生きる昭和の女」というコンセプトを求め続けたということがあります。「昭和の女」とは「私はあなたの夢のために、いつでも身を引きますよ」という、女性の姿のことです。そして、坂井泉水は、内面の自分というよりも、作られたコンセプトの下ので「坂井泉水」ならどう表現するだろうかということを意識して詞を書き続けたのでした。

「小松未歩」のコンセプトは何だったのか

さて、では、そうだとすると「小松未歩」というキャラクター設定はいったいどういうものだったのでしょうか。それは「夢と恋なら夢を選ぶ、自立した、または、自立しようとする女性像」だったと私は思っています。ZARDの坂井泉水のコンセプトになぞらえるならば「平成に生きる令和の女」とでも言いましょうか。

平成の時代は「女性の生き方」の過渡期にありました。昭和の時代は、女性はいつか結婚するのが当たり前、結婚したら女性は家庭に入るのが当たり前。恋愛を謳歌できるのも10代後半から20代前半の短い期間に限られていました。それから平成に入り、少しずつ、男性と肩を並べて仕事をし始める人が増えていき、結婚しない人生、子どもを持たない人生を選ぶ人も増えていきます。令和に入った今となっては「寿退社」はもはや死語となりつつあり、若い世代では子どもを持っても仕事を続ける女性の方がメジャーになってきました。

大きな夢を持ち、それに向かって懸命に生きる。思いを引きずられる恋があったとしても、夢と天秤にかけたならば、やはり夢を選んで自分の道を決める。男性ミュージシャンの中にはこうした表現を好む方もときどきいますが、女性ミュージシャンでこうした思いを頻繁に歌う人はこれまであまり見なかったように思います(私自身はそこまでJ-POPに詳しくないので確信を持てませんでしたが、15万曲を聴いてきた、えいちびぃさんの小松未歩評を見てそれを強く感じました)。才能の原石を持ちながら、男性のように自立して、もしくは自立したいと願って夢を叶るべく強く生きようとする「平成に生きる令和の女」が小松未歩のコンセプトだったのではないかと私は思っています。

「中の人」のキャラクターはどうだったのだろう

そんなわけで、小松未歩は、「小松未歩」のコンセプトを意識しながら曲作りをしてきたものだと思います。一方で、公式ホームページに綴られる日記やエッセイの「ヘンな物さし。」には夢に向かって果敢に挑戦する意欲的な姿はほとんど見られず、素敵なものを追いかけ日常の幸せをかみしめる姿が描かれていました。

もちろん、重なる部分はあるものの、楽曲に描かれたり、楽曲インタビューの中で語られる「小松未歩」のほとんどは「小松未歩」のコンセプトが表現されている一方で、日記やエッセイで語られる「小松未歩」は「中の人」(小松未歩というキャラクターを演じた本人)の思いを表現したものがかなり出てきているのではないか、最近、そんなことを思っています。

現在の解釈:ついに運命をともにすべき人と出逢えた「中の人」の思いを歌った曲

…ということで、大変前置きが長くなりましたが、いよいよ本題、Happy Endingの現在の私の解釈を紹介します。

この曲は、「小松未歩」というコンセプトを捨てて、最後に思いのままに「中の人」の気持ちを歌った曲なのではないか、というのが現在の私の解釈です。

小松未歩は「小松未歩」として自立して夢を追うアーティストを演じてきたけれども、「中の人」としてはいつか素敵な相手が現れ、その人とともにささやかな幸せを楽しむ人生を理想に思い続けてきました。そして、ついに運命の人が現れて、「ドラマチックな恋ではない」けれども、この人とともに生きていきたいという気持ちが固まります。これまで、自分のすべてをぶつけて、コンプレックスさえ武器にして楽曲をつくる旅をしてきたし、それは楽しいものでもあったけれど、これからはこの人とともに、穏やかな家庭を作る人生を歩みたい。そんな気持ちを歌にして、最後の1曲をリリースしたのかもしれません。

そう考えると、その後2年ほど公式ホームページ上の日記が続いたことも、何ら不思議ではありません。日記に描かれたのは「中の人」の気持ちなので、音楽制作をやめて「小松未歩」を演じなくとも言葉は自然と出てきたのです。結婚して2年ほどが経ち、いよいよ子どもができて彼女が接する日常が大きく変わっていったころ、日記の更新が途絶えたのではないか……そんな風に思っています。

仮に、2009年に子どもが生まれたのだとすると、現在、子どもは13歳。そろそろ音楽に夢中になり始める年頃です。彼女はいったいどのように自分の子どもに「小松未歩」のことを伝えているのか、そして、その子どもはその物語をどのように受け取っているのでしょうか。ひょっとすると、もう何年か後には、彼女の子どもが新しい音楽を世に届けてくれるのかもしれません。

おわりに:えいちびぃさん、ねこみちさんに感謝。6/22をお楽しみに。

私がHappy Endingについて考えをまとめることができたのは、えいちびぃさんのnoteとねこみちさんのツイートに大きく助けられています。本当にありがとうございます。

 歌詞の解釈に正解はないですし、小松未歩像についても正解はありません。けれど、25年聴き込んでくると、それぞれのファンが楽曲の世界観、小松未歩像を作り込んでおり、それぞれどのように解釈したのかを知るのはとても楽しいです。お互いの解釈を知ることにより、25年経ってもまだまだ新しい発見があるところもすごく面白いです。まだまだこの曲、私の知らない一面が残されているかも。まだまだ小松未歩に新しい見方があるかも。


そして、このhappy ending1曲について、note仲間のえいちびぃさん、花の砂時計さん、twitter仲間のまこさんと私の4人で1時間語るラジオ企画をtwitterのスペース機能を使って開催します。

放送は、6月22日(水)22:22~23:22。ご都合がつかない方も後から1か月ほどは録音を聴くことができますのでご安心ください。もしちょうど都合がつく方は、ぜひリアルタイムで「#HappyEndingナイト」をつぶやきながらご参加ください。

それでは、また。お会いできる方は、22日に、よろしくお願いします。