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リンゴ、擦った? リンゴ・スターという漢

正直、リンゴについては書けるか不安だった。

何しろ、ビートルズ時代のイメージしか無いからだ。

それにしても癖のある顔でしょ。

貶してる?いや、褒めてますよ。



ところで、リンゴ・スターという漢は、意外と紆余曲折あってビートルズに加わった、というのは古参のファンならばご存知かと思う。

ビートルズがグループとして活動し始めた時、ドラマーは別の人物だった。名をピート・ベストという。

この人がファーストアルバムの録音辺りまでは在籍していたのだが、どういうわけか外されてしまい、それで加入したのがリンゴスターだったわけである。

リンゴはバンドにおいて、謂わば新参者であり、交代メンバーだったのだ。

音源として前任のピートの面影が残るのは、『Love Me Do』1曲のみというのが定説になっていて、リンゴとの比較をするには1stであるところの『please please me』を聴けばよいわけだが、そんな比較をしたところでマニアしか喜ばないだろうと思われる。

というか、違いに言及できるほど俺も詳しくない。すまない。

そこで、リンゴ・スターという漢がビートルズでどういう存在であったか、それを掘り下げて、俺目線で考えていきたいと思う。



ご存知の通り、ビートルズはファーストから絶好調で売れまくったわけだが、ビートルズの初期、中期、後期はかなり色合いの異なる音楽をやっていることはよく知られていると思う。

初期はライブバンドとしての魅力があり、中期は多彩な音楽的要素を混ぜ込んだコンセプチュアルな作品作りに魅力があり、後期はそれぞれのメンバーがソロ作に向かい始め、それぞれの色味が強く出た曲が共存した(というかぶっ込まれた)作品に魅力がある。

そんな中で俺が思うリンゴの価値というのは、

ジョンやポールが作ってくるキャッチ―ながらも一癖ある曲をきちんと叩けるドラムのスキル

間断なくやってくるツアーやライブの隙間を縫ってレコーディングされるために僅かな期間で仕上げなければならなかったアルバム製作も難なくこなす対応力

そこにこそリンゴの魅力があるのではなかろうか、と思う。

つまり、リンゴという漢はバンドのドラマーとしての「勘どころ」が非常に良かったということだろうと思う。

バンドに(通常は)一人しか居ないドラマーとして何をすべきか、どうあるべきかが感覚的に分かっていたのだろう。



細かく言えば、ドラムスタイルに変な癖もなく、得意なジャンルに偏りもなく、コンポーザーが出してきた曲の意図を理解し、最適なプレイスタイルが選択できて、そして、新参者ゆえの「子分キャラ」というか「いじられキャラ(初期のテレビやラジオの出演時にはよくジョンにいじられていた)」的な立ち位置でバンドの中でよい調整弁のようになってたのだろうと思っている。

実際、ビートルズメンバー内でリンゴが揉めたというエピソードはあまり見ない。

こう書いていくと、なんだかすごく良いドラマーだったように思われてくるし、実際そうだったのだろう。

何しろ、あれだけクセが強かったジョン自由闊達なポールマイペースなジョージというメンバーの組み合わせにおいて、最後にハマるピースとして「リンゴ・スター」というのは最適だったのではなかろうか。

でなければ、ビートルズは早期に仲違いしていたかもしれないし、あれだけ革新的な作品群が出せていなかったかもしれない、というと褒めすぎだろうか。

初期こそ、バンドのコマーシャル要素としてアルバムで1回はボーカルを取ったが、後年はほぼドラムに徹して、きっちりとバンドの屋台骨となったリンゴ。

ビートルズのオリジナル作品として、リンゴがクレジットされているのはたった2曲。

個々のソロ活動の寄せ集め感が強い『The Beatles(White Album)』で1曲、最後の最後に『Abbey Road』で名曲『Octopus's Garden』にクレジットされた。

『Octopus's Garden』というシンプルながらもリンゴらしさがよく出た曲を生み出せたのは、ビートルズという偉大なバンドを支え続けたリンゴへ、音楽の神からのギフトだったと考えるとロマンがなかろうか。



ソロになってからは時々日本に来てコンサートをやっているようだ。

元々はバンドのドラマーだったわけで、そんな人がどうコンサートをやるのか、と言えば、ビートルズ時代の曲を歌いまくっているようだ。

しっかりと過去の栄光で金を稼いでいるのである。実に身も蓋もない感じだが、ビートルズ時代のキャラクターを知っていると許せてしまう気もする。

しかも、後年は日本の缶ジュースのCMで「リンゴ、擦った?」とか言っていやがるのである(これは40代くらいしかわからんだろうな)。

親父ギャグかよ。

ホントに日本の広告代理店のオヤジが作るCMって昔はとんでもないセンスだったのだなと慄然とするのだが、これもリンゴだから許されていると思う。

例えばだ。

ポールがCMで「真っ赤なマッカートニー!」とか言って赤い衣装で出てきたら、俺はファンを辞めてたと思う。

件のCMも「リンゴだしなぁ。やりかねないな」と、なんだか許せる。

それは持って生まれたキャラクターによるものだ。

リンゴ、あんたにゃ負けたよ、と。

今だに、時々あのデカい鼻が付いたほのぼのした顔を思い出すと、何だかホッとしてしまう自分がいる。

他のビートルズメンバーも同じことを思っていたのではなかろうかと思う。



大事なことを忘れていた。

だいたい2世というのは、親の威光を借りたとんでもない輩が多いのだが、そんな中で俺の大好きなOasisやらThe Whoのバックを務めていたザック・スターキーを生んだ功績は途轍もなくデカい。

2代に渡って偉大なドラマーであり続けているのだ。

デカい鼻の親父に代わって、ブリティッシュ・ロックの王道でデカい音を鳴らし続ける息子。

すまん、繋ぎが無理矢理だ。

それにしても、ああやって息子がしっかりと親父の後を継いでドラマーをやっているあたりに、リンゴスターの人柄が窺えないだろうか。


そういう意味でもリンゴは偉大だ。


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