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私の”痔”ストリー 完結篇

過去の記事はこちらよりお楽しみください。

人生で初めての手術に臨むことになった私。

手術は、入院して行うことになりました。

人生で初めての入院でした。


それも痔で。

試しに、大学の友人達に今回の経緯を話しました。

すると、エールとも冷やかしともとれる励ましの数々。

皆さま、持つべきものは友人です。

家族からは心配と失笑が綯い交ぜになったような複雑な目線を向けられておりましたから。

それはともかく。

私が入院した総合病院、痔の手術ではそれなりに有名な病院でした。

あのドクターマリオもそれなりの権威だったようです。

「顔色さえ何とかなれば、もっと威厳が出るのに」

とは思っても言いませんでした。


そして、人生初の入院です。

病室は4人部屋でした。その同室の患者に1人、外国人の方が居ました。

名をイアンさん(仮)とします。白人の方でした。

確か、アイルランド辺りの人だったと記憶しております。

この方が不安になりがちな入院生活において、けっこうな癒しでした。

「Hey,○○サン(私)、手術シンパイ?」

「キット、ダイジョブネ!ワタシモ一緒ニ手術ダヨ!」

彼は微妙に片言な日本語で、私を励ましてくれました。

連絡先くらい交換しておけばよかったかな、とも思いましたが、そこまで考えが至らないのが入院生活でもあります。

入院生活では、煙草が喫えないのがけっこう苦しかった記憶があります。

見兼ねた親父が「リラックスパイポ」を差し入れてくれてとても助かりました。

皆さまも、知人の喫煙者が入院した折には、差し入れてあげると喜ばれるかもしれません。無駄知識でしょうか。

閑話休題。

手術の前日、前準備として、お尻周りを綺麗にします。

つまり、「ケツ毛」を剃るわけですね。

看護師さん(女性)が小さいバリカンで、私のケツに生えたムダ毛を丁寧に剃ってくれました。

変な性癖に目覚めそうになったことを、もう時効だと思うので、ここで白状致します。

あと、病院食。

やっぱり味が薄かったです。

食事の度に「醬油をくれ!」とか「塩味が足りん!」とか、ぼやきたくなりました。

しかし、さほど長くもない入院生活でしたので、文句は言えません。

おまけに痔なんて、身から出たイボならぬ錆でしたので、尚更でした。

そして、手術当日。

またしても下剤を飲み、胃腸をスッキリさせるところから始まります。

朝飯は抜き。

まさしく「胃の中が綺麗にすっからかん」な状態で臨みます。

そして、奇しくも、イアンさんと同じタイミングで手術室へ呼ばれました。

「○○サン、Good Luck!」

互いにサムズアップしてしばしのお別れです。

さて、初めての手術です。


手術は、下半身麻酔で行われました。

初めての麻酔で、緊張気味の私の手を握ってくれた妙齢の看護師さんには、迂闊にも惚れそうになりました。

そして、下半身の感覚がないまま、うつ伏せになり、足を開いた状態で手術を受けました。

手術室では、ケツを晒した私とドクターマリオ。

部屋とマリオと私。

しかしながら、そこで行われているのは真剣な医療行為です。悪しからず。

そして、私の下方でマリオが奮闘すること凡そ45分

手術が終わりました。


「大きいのがね、3つも取れたよ!」



と、したり顔のマリオ。対して麻酔で意識が明瞭ではない私。

手術後は病室へ、ベッドに寝たままの状態で運ばれました。

私より軽傷だったイアンさんが先に病室に戻っておりました。

「イタイネ・・・オタガイニネ」

陽気なイアンさんも、しっかりナーバスになっておりました。

そして、夜、普通に食事が出るんですね。

朝から食事を摂れていなかったので嬉しかったですが、麻酔が切れてくるとともに襲ってくる疼痛で、食事の味はぼんやりとしておりました。

術後の夜がまた辛かった。

襲ってくる疼痛は初体験、おまけに腹も痛くなってくるし。

堪らずナースコール。

何しろ、痔の手術後のトイレというのがとても辛いのです。

痛いし、血は出るし。

痔の手術というのは、完全に縫合するわけではありません。

だって、ケツの穴を塞ぐわけにはいかないですからね。

ですから、生々しい話ですが、傷口から血が漏れてくるんですな。

ここが一番しんどい時期であります。

翌日、仲良くしてくれたイアンさんは私より早く退院していきました。

「ガンバッテ!オ大事ニネ!」

最後に堅く握手をしました。退院の付き添いに来ていた奥さんが綺麗な方だったと記憶しております。

そして遅れること数日、私も退院の日を迎えたわけであります。

ケツは疼痛ですが、病院から出て歩く新大久保の通りは、相変わらず辛いものが並んでおりました。

もうしばらく「辛ラーメン」は食うまい、と心に誓いました。

帰宅して、一人部屋に佇みました。

数日ぶりの我が家。

熱いお茶を飲みながら、煙草を吸いました。

相変わらずケツは痛かったのですが、娑婆の空気がやけに美味く感じたのをよく覚えております。

確か、あの日は薄曇りでしたが、やけに眩しい空を見上げました。


「おつかれ。俺」


凡そ10年物の痔とのお別れでありました。

その後はしばらく尻が痛い日を過ごしました。

問題は大学への通学、そして長時間の講義への対応でした。

何しろ大学の椅子は、プラスチック製で堅かったんですな。

そこで、私は例の「ドーナツ型クッション」を常に持ち歩く、という方策をとったわけであります。

移動の際、悪目立ちしていたことは言うまでもありませんが、痔に、じゃなくて背に腹は代えられないのです。

その後、大体2週間程度だったでしょうか。

だんだんと痛みが無くなりました。

経過も良好だったと記憶しております。

退院後、しばらくはお通じが嫌で堪らなかったのですが、段々と慣れてきまして、それからはお通じが怖くも何ともなくなりました。

そこで思います。

「痔がないだけで、こんなにお通じって楽なのかい」


人生においても同じです。

抱えているマイナスの部分が一つ無くなると、思いの外快適になるのです。

すみません、余計な講釈でした。

こうして、私は、痔との闘いの第一幕を無事に〆ることができました。

しかしながら、以前記事にした通り、痔は再発。

10年越しの再手術と相成りました。

しかしながら、あの経験があったからこそ、そこまで構えることなく手術に臨むことができたのも事実です。何事も経験であります。

痔のおかげで、というか、痔のせいで私の人生はなかなかハードモードでしたが、一つだけ良かったことと言えば、友人等から「痔」の悩みを相談されるようになったということです。

痔が悪くなっていく経過を一通り経験したので、話を聞けば大体どの程度の病態なのかわかってしまうのです。

おかげで「痔のことはアイツに聞いとけ」というご意見番的なポジションを得ることもできました。

それほど役に立つ場面は無かったですが。

先日より、痔の話を沢山してまいりました。

「下」の話ばかりになってしまって、読んでくださる皆さまには不快な思いをさせてしまったことと思います。

深くお詫び申し上げます(まだ痛いので、ケツを押さえながら)。

私がこうして恥を忍んで書いた内容が、誰かの役に立てば、と願ってやみません。

皆さん、お尻は大事にしましょうね。

そして、「痔」というのは割とよくある病気でありますから、ボラギノールくらい涼しい顔で買えるようになりましょう。


私もしばらくぶりに、穏やかな顔でお通じを迎えることができる喜びに浸っております。


それでは。

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